東電・吉田昌郎を描いて見えた原発の“嘘”

東電・吉田昌郎を描いて見えた原発の“嘘”

2015年7月30日(木)

 東芝粉飾決算が世論の批判を浴びている。しかし、その比ではない嘘とごまかしがまかり通ってきたのが日本の原発である。民間企業であれば株主代表訴訟で経営者の責任を問えるが、こちらのほうは政府も経済産業省の役人たちも何のお咎めもなしというのだから始末が悪い。
 今般上梓した『ザ・原発所長』では、モデルにした故・吉田昌郎福島第一原発所長のライフ・ストーリーに、日本の原発発展史や政官財の思惑を重ね合わせたが、取材を進めるにつれ、嘘とごまかしの横行を目の当たりにすることになった。

半永久の「見切り発車状態」と夢物語の高速増殖炉

 戦後、日本の原発導入を推進したのは、中曽根康弘(元首相)、正力松太郎読売新聞社長、A級戦犯)、河野一郎(農林大臣、経済企画庁長官)らである。彼らは、日本が第二次大戦に敗北したのは資源の乏しさが原因で、これを克服するために、高速増殖炉によって無限のエネルギーを産み出すことが是非とも必要だと考えた。そして昭和32年日本原子力発電株式会社(略称・日本原電)が設立され、昭和41年に日本最初の商業用原子炉・東海原子力発電所1号機が営業運転を開始した。

 しかし、導入を急ぐあまり、使用済み燃料をどうやって処理するかの問題は後回しにされ、その状態が今も続いている。高速増殖炉の開発のほうは昭和41年に始まり、これまで1兆円を優に超える税金が投じられたが、半世紀経った今も実現の目処は立っていない。民間企業なら、とうの昔に事業は打ち切られ、責任者のクビが飛んでいるはずだ。

発電コストのごまかし

 経済産業省や政府の審議会が発表する燃料別の発電コストでは原子力発電が常に一番安いことになっている。3・11以前に使われていたのは、政府の総合資源エネルギー調査会の数字で、1キロワット時当たりの発電コストが、原子力5円30銭、水力13円60銭、石油火力10円20銭、石炭火力6円50銭、LNG火力6円40銭というものだ。しかし、この数字には、地元自治体にばら撒かれる電源三法交付金や、垂れ流しの高速増殖炉開発費用、廃炉費用、事故処理費用などが含まれていない。

 立命館大学の大島堅一教授や慶応義塾大学の金子勝教授からこの点を厳しく指摘され、経済産業省は3・11事故以降、こうした費用も含めて発電コストを発表するようになった。今年4月の数字では、2030年時点で原子力10円10銭以上、水力11円、石油火力28円90銭~41円60銭、石炭火力12円90銭、ガス火力13円40銭とされた。

 しかし、原発事故が起きる頻度を前回試算(2011年12月)の40年に1度から80年に1度に変え、賠償費用を小さくしたりしている。また原発稼働率を70%にしているが、実際の原発稼働率は3・11以前で60~65%(それも定期点検の期間を競うように短くし)、3・11以降は3~25%にすぎない。


イギリスの原発経産省の試算の比較

 私が住むイギリスでは、約20年ぶりに原発の建設計画が進められている。国の南西部、ブリストル海峡に面したヒンクリー・ポイント原発に加圧水型原発2基(326万キロワット)を増設するプロジェクトだ。フランス電力(EDF)が中心となり、中国企業2社が30~40%の出資をし、生産された電力はイギリス政府が35年間にわたって1キロワット時あたり11ユーロセント(約15円)で買取り保証する(価格はインフレ率にスライド)。

 仮に10%の利益が織り込まれているとしても、発電コストは13円50銭程度で、地震がなく建設コストも少ないはずのイギリスの原発のほうが日本の原発より発電コストが高いことになり、先の経済産業省の数字を疑いたくなる。ちなみに孫正義氏の自然エネルギー財団は、原発の発電コストを(低い場合でも)14円30銭と見積もっている。

 イギリスが原発をやるのは、EUが強く推進している地球温暖化対策(EU域内ではEU-ETSという独自の排出量取引制度を実施中)、北海ガス田の枯渇、景観を損なう風力発電への保守層からの反対、地震津波がほとんどない、規制・監督団体が原子力業界から独立している、核保有国で日本のようなプルトニウム保有制限がない、等の理由による。

東電の歴史はコストカットの歴史

 『ザ・原発所長』執筆にあたっては、吉田所長を含む東電の経営幹部たちが、なぜ適切な津波対策を取れなかったかにも焦点を当てた。原因は一言で言えば、コストカット至上主義である。東電の歴史自体が、コストカットの歴史なのだ。

 5重、6重の下請け構造の中で、電力会社が原発作業員に支払う賃金が10分の1になってしまうほど、日本の原発(ひいては電気事業全般)は利権の温床で、それゆえ電力料金が高く、長年にわたって産業界から値下げ要請に晒されてきた。昭和58年に刊行された東電の30年史を見ても、「コストダウン対策」「経営効率化」といった言葉が溢れている。1993年から6年間社長を務めた荒木浩氏は、就任と同時に「兜町のほうを見て仕事をする」「東京電力を普通の民間企業にする」とコスト削減の大号令を発し、3・11事故当時の社長だった清水正孝氏は、1990年代の電力一部自由化の時代に前任社長の勝俣恒久氏の命を受け、資材調達改革を断行してトップの座を射止めた。東電は、入社と同時にコストカットの文字が頭に刷り込まれる特異な企業風土だった。

 そうした社風は、津波対策を怠らせただけでなく、原発の定期点検期間の強引な短縮にも走らせた。原発は13ヶ月に1度、定期点検を行わなくてはならないが、稼働率アップのため、日立や東芝などのメーカーの尻も叩き、点検期間の短縮に血道を上げていた。平成の初め頃まで90日間かけていたのが、平成11年頃には40日前後が当たり前になり、同年秋には福島第二原発3号機が36日間という新記録を打ち立てた。被曝線量の限度を守っていると期限内に点検作業が終わらないので、線量計を外して作業するのが日常茶飯事になっている。

世界一厳しい規制基準?

 日本の原発の規制基準は世界一厳しいというのが政府の謳い文句だが、これは「世界一杜撰」の間違いではないかと思う。何が一番ひどいかというと、素人の役人が安全審査や検査をやっていることだ。かつて電力会社で安全審査を担当した人によると、当時の監督官庁である資源エネルギー庁では、昨日まで紙の業界や酒類業界を担当していた役人が安全審査の担当になり、原発のイロハを電力会社から教わって、何とか書類を見ることはできるようになるが、指摘してくるのは「下記の通りと書いてあれば、その下に必ず『記』と書かなくてはならない」とか、配管等と書くと「等とは何だ? 等のリストを作れ」というようなことばかりだったという。

 現場の検査でも、書類の辻褄合わせが第一で、実質的な検査は二の次。原子力安全委員長が、原発誘致を目論む自治体に招かれ、原発は安全であるという講演をするというような利益相反も横行してきた。原子力安全委員会が長時間にわたる原発の全電源喪失を想定しておらず、非常用冷却装置は8時間保てばよいとしていたために3・11事故の拡大を招いた。事故後、原子力安全・保安院は解体され原子力規制委員会ができたが、環境省の外局で、政権の息がかかった組織であることに変わりはない。


 欧米の原子力規制はもっとまともである。たとえばアメリカの監督機関NRC(米原子力規制委員会 )は、すべての原発に検査官を2人から4人常駐させ、運転日誌や作業記録を自由に閲覧し、電力会社の会議も自由に傍聴し、原発内のどこでも自由に出入りし、いつでも検査をできる権限を持ち、実質をしっかり監督している。また検査官になるには、制御盤のシミュレーターで7週間の訓練を受け、それから実際に現場で一年間働いて、その上で試験に合格して初めて検査官になれる。

人材の宝庫の東電でさえ

 福島第一原発所長だった故・吉田昌郎氏は昭和30年生まれで、大阪のミナミに近い金甌小学校から大阪教育大学附属天王寺中学・高校を経て、東工大で機械物理と原子核工学を専攻した。ちょうど日本の高度成長と科学技術開発の黎明期で、鉄腕アトム大阪万博アポロ11号月面着陸、講談社ブルーバックス創刊、原子力発電開始などが時代を彩った。大学の原子力学科には優秀な学生が集まり、そうした人材が向かった企業の一つが東京電力だった。3・11の事故当時は、福島第一の吉田氏、第二の増田尚宏氏、柏崎刈羽の横村忠幸氏と、3つの原発の所長は現場を知り尽くした「凄腕」が揃い、東大工学部で原子力工学を専攻した武藤栄副社長も(津波対策を怠った非難は別として)まるで現場の課長のように献身的に事故対応に当った。事故当時、休暇を取っていた当直長や社員の多くが現場に駆け付け、事故の夜には柏崎刈羽原発の20数人の放射線管理チームがマイクロバスで福島第一に向うなど、モラルは高かった。

 ところがこれほどの人材を揃えていても、津波対策、シビアアクシデント対策、事前の訓練などが出来ていなかったため、大惨事を招いた。原因は、突き詰めて言えば、規制の問題と企業風土の問題である。
 現在、原発の再稼働が議論されているが、原発というきわめて危険な施設を、嘘をついたりごまかしたりする役人や、コストカット至上主義の電力会社に委ねることは、到底受け入れられるものではない。