僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください...
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アニメ作品があふれる現在の感覚で当時の爆発的ブームを想像するのは難しい。何しろテレビでやっている連続アニメがそれしかなかったのだ。
「心やさし ラララ 科学の子」―。日本を代表する詩人、谷川俊太郎(81)作詞の主題歌にのって繰り返し放送されたアトムは、子どもの人気者から、国民的アイドルになった。
だが、これによって本人の予期しないことが起きる。長女の手塚るみ子(48)が言う。
「放送以降、アニメのイメージでこの作品が語られることが多くなり、それは父にとって、とても不本意なことだったんです」
正義のスーパーロボット、科学万能、明るい未来社会...。今も多くの人がこの作品に抱くイメージは、こんなところだろう。しかし、手塚が自ら握るペンで描いた漫画原作を読めば、物語の世界観はそのような単純なものではない。
代表作といわれる「アトム」に対して、手塚は89年に亡くなるまで、複雑な思いを抱いていたという。手塚プロ社長の松谷孝征(68)は「あれは僕のアトムじゃない」と突き放す手塚の冷たい声を聞いている。
「アニメは限られた時間枠に物語を収める必要がある。協賛企業やテレビ局の意向も入らざるを得ない。作者の意図と離れていってしまうことがあるんです」
× ×
アニメ放送から50周年を迎えた「鉄腕アトム」。漫画家手塚治虫さんは、原発PRにまで利用されたヒーローに、ある種の悲しみを感じていた。東京電力福島第1原発事故から2年を機に、手塚さんの思いに迫る。http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/images/title20130708.jpg
漫画社社長を務めた樋口信(74)によると、冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入された。当時の報道では、東京電力福島原発のPR館でも無料配布されたという。翌年には、続編「よみがえるジャングルの歌声」も作られた。
「手塚さんがこんなことしていたら漫画界の恥だと思い、真意をただそうと押し掛けたんです」。編集者の才谷遼(60)は続編を目にして驚き、パーティー会場にいた手塚を訪ね、取材を敢行した。88年6月のことだ。
多忙でいつもはすぐ消えてしまう手塚が「大切な問題だから」と時間をつくってくれた。
取材に対し、手塚は「描いた覚えないの。許可した覚えもない」と冊子への関与を否定した。さらに「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」と写真撮影用に「原発反対のポーズ」までとってくれた。
マネジャーだった手塚プロダクション社長の松谷孝征(68)によると、手塚のもとには生前、電力各社から「PRに使わせてほしい」という依頼が何度もきていたが、そのたびに断っていた。
樋口は「手塚プロの許諾は受けているはず」と無断使用を否定するが、松谷は「もしそうならチェックのための原稿が上がってくるはずなのに、私はそれを一度も見たことがない」としている。(大津薫、文中敬称略)http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/images/title20130709.jpg
手塚治虫の長女るみ子(48)は不安に駆られ、何度も声を上げそうになったが、そのたびにファンが反論して"疑惑"を打ち消してくれた。
おかげで今はそんな批判も、冷静に受け止められるようになった。「あらためて原作を読み、真意をくみ取るきっかけにしてほしい」
有名なアトム誕生のエピソードからして「父の思いがよく出ている」とるみ子は言う。
わが子を失った天馬博士が悲しみのあまり、息子そっくりのロボット、アトムをつくる。博士は最初は喜んでかわいがるが、成長しないアトムにいらだち、ついに追い出してしまう...。
「幸福のためにあるはずの科学技術が、人のエゴや欲でゆがめられてしまう。アトムはいつもそのはざまで悩んでいるんです」
手塚は1985年夏、東京・西新宿で開催した「手塚治虫漫画40年展」で1枚の風刺漫画を展示した。
米国が行った核実験で被ばくした「第五福竜丸」が海に浮かんでいる。
「なのはな」「プルート夫人」など、福島の事故後、原発をテーマにした作品を次々に発表した漫画家の萩尾望都(63)は、「鉄腕アトム」が原発と関連づけて語られることにやるせなさを感じ、こんな「アトム最終話」のあらすじを考えた。
「その物語を、いつか私に描かせてほしい。(福島の現状を見て)手塚先生は、きっと許してくださると思うんです」(大津薫、文中敬称略)