安全管理に関する技術委員会が、メルトダウンの公表に関して東京電力が設置した第三者検証委員会に要請しました。

 本日、新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会が、下記のとおり要請しました。

               記

1 要請内容
 メルトダウンの公表に関し今後明らかにすべき事項(別紙のとおり)

2 要 請 先
 東京電力が設置した「福島第一原子力発電所事故に係る通報・報告に関する第三者検証委員会」
本件についてのお問い合わせ先
 原子力安全対策課長 須貝
(直通)025-282-1690 (内線) 6450

【別紙】

                       平成28年4月11日
福島第一原子力発電所事故に係る
通報・報告に関する第三者検証委員会
   委員長  田中 康久  様

         新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会
                         座長 中島 健

      メルトダウンの公表に関し今後明らかにすべき事項

 「新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」(以下「技術委員会」)では、福島第一原子力発電所事故で、東京電力メルトダウンを公表したのが事故発生の2か月後であったことを大きな問題と考えており、これまでこの問題について議論してきました。
 ところが、この2月に、突然東京電力炉心溶融の定義を記載したマニュアルが存在したことを公表しました。
 また、3月にはメルトダウンの隠ぺい指示があった映像がテレビで流されました。
 先月開催した平成27年度第4回技術委員会では、このことについて、委員から東京電力に対して批判、疑問が相次いだところです。
 ついては、メルトダウンの公表について東京電力がこれまで事実に反する説明を行っていたことに関し、以下の事項を明らかにしてください。

Ⅰ 官邸からの指示について
1 ニュース報道(平成28年3月10日)にあった平成23年3月14日夜の記者会見
「官邸からこれとこの言葉(炉心溶融メルトダウン)は絶対に使うなと」と広報担当者が武藤副社長に耳打ち。
①誰がどういう経緯で武藤副社長に耳打ちをしたのか。「使うな」と言った者から耳打ちした者までの伝達のプロセスと介在する者を挙げて説明すること。
②耳打ちし禁止した言葉が「メルトダウン」、「炉心溶融」というのは確かか。広報担当者や武藤副社長、伝えたメモの作成者など関わった者に確認すること。
③耳打ちしている社員は、誰から指示を受けたのか。
④官邸の誰から指示があったのか。指示があったことは、社内のどの範囲まで共有されていたのか。
⑤政治的な圧力が保安院や電力会社、学会関係にあったと噂されているが、東京電力には「メルトダウン」や「炉心溶融」の言葉の使用に関し、国の誰からどのような指示があったのか。
⑥本委員会における課題別ディスカッションでの回答に「メルトダウンの公表について清水社長や小森常務が官邸や経済産業省原子力安全・保安院官房長官、大臣等から指示を受けたという事実は確認できなかった。社内指示があるという事実は確認できなかった。」とあるが、清水社長や小森常務は現在も同じ認識でいるのか。

2 技術委員会でのこれまでの説明
「国からの指示はなかった。」と説明
①技術委員会で「国からの指示はなかった。」と説明することについて、どの範囲に確認したのか。また、役員のどこまで了解を得ていたのか。
②武藤副社長及び耳打ちしている社員に対して、これまでにメルトダウンの公表に関するヒアリング調査を行っていたのか。「国からの指示はなかった」と説明することについて、確認したのか。
③技術委員会で「国からの指示はなかった。」と説明していることを、社内のどの範囲で共有されているのか。
④技術委員会の「国からの指示はなかったのか」という質問に対する調査について、調査内容、範囲を誰が判断し行っていたのか。

メルトダウンの定義について
原子力災害対策マニュアル
(1) 事故当時に原災法に基づく対応は適切に行われていたのか。
原災法に基づいて通報などの対応を行っていれば、原子力災害対策マニュアルは当然参照すべきものであり、定義に気がつかないことはありえない。
15条事象が通報されていないことは原災法に違反しているのではないか。
①通報を担当していた班は原子力災害対策マニュアルに基づき対応したのか。
②通報を担当していた班の事故当時の活動状況はどのようになっていたのか。
③通報文は誰がどのような手順で作成し、どのように通報していたのか。通報の体制はどのようになっていたのか。
④15条の通報様式には「炉心溶融」の項目が明記されていた。通報を担当していた班は、なぜ「炉心溶融」に該当するかどうかの判断しなかったのか。
⑤当時の発電所対策本部に炉心溶融の定義を認識していた本部員はどの程度いたのか。それは誰か。アクシデントマネジメントの手引きに基づき対応していた技術班は認識していなかったのか。
原子力災害対策特別措置法では、政令で定められた事象が発生した場合の通報義務を定めている。15条事象が確認されたらその都度通報すべきではないか。通報しなかった事象はなにか。また、なぜしなかったのか。
(法律上、1事業所で15条通報は1回すれば良いとはされてはいない。)
⑦1号機と2号機の15条通報について、「非常用炉心冷却装置注水不能」よりも先に「直流電源喪失」が該当しているのではないか。容易に判断できたはずだが、なぜ通報しなかったのか。
⑧1号機の15条通報について、他の15条事象が継続しているにもかかわらず、原子炉の水位が確認されたことから15条事象の解除を通報しているが、なぜ解除したのか。
⑨3号機のCAMSのデータはなぜ14日4時まで確認しなかったのか。
⑩事故当時のプレス発表等で、東京電力は「炉心溶融」という言葉を使ったことがあるか。また、「メルトダウン」という言葉を使ったことがあるか。
⑪事故時のプレス発表は、通常時に自社の良さをアピールする広報担当部署ではなく、他の部署が行うべきではなかったか

(2) 本店などで事故の状況把握は適切に行われていたのか。
当時、本店や柏崎刈羽で事故状況の把握を行っており、定義に気がつかないことはありえない。また、テレビ会議においても「メルト」と発言をしている。
①3月11日の19時3分に開催された原子力災害対策本部の初会合で東京電力からメルトダウンの可能性について報告をしているが何を根拠に誰が報告したのか。
②3月11日に技術班が18時にTAF到達と推定した情報は当時社内のどの範囲で共有されたのか。
③武藤副社長をはじめ本店では、早い段階で炉心溶融メルトダウンの可能性の認識があったと考えられる。武藤副社長等の発言、認識を時系列で整列する必要がある。
平成27年8月の技術委員会で回答を求めた「メルトダウンの可能性を認識した時期」の質問に対し、発電所現地対策本部の社員及び本店の小森常務は「4月後半以降」と回答しているが、現在もその認識に変わりはないか。
東京電力事故調査中間報告書では、「(平成23年)4月10日、当社より経産大臣に1号機~3号機が炉心溶融しているが、その程度については、評価できないと説明」とあるが、このことは、東京電力内部のどの範囲で共有されていたのか。
⑥当時、本店や柏崎刈羽原子力発電所では事故対応への助言等のため原子力災害対策マニュアルやアクシデントマネジメントの手引きなどを参照しなかったのか。
⑦本店や柏崎刈羽原子力発電所において、どの範囲の部署が、CAMSデータで炉心溶融を判断することを認識していたのか。
平成23年3月18日に柏崎刈羽原子力発電所の所員が新潟県知事に「メルトダウンしていない」と説明しているが、メルトダウンを認識していなかったか。それとも、誰かから指示があったのか。

(3) 原子力災害対策マニュアルはどのように作成されたのか。
原子力災害対策マニュアルは原災法を踏まえて作成されたものであり、その作成や改定には多くの人が関わり、多くの人が定義を認識していたはず。
原子力災害対策マニュアルとアクシデントマネジメントの手引きをなぜ作成し(経緯)、どこの誰が担当し、どのような手続きで決めたのか。内容が重なる炉心損傷割合の部分についてはどのように調整したのか。
原子力災害対策マニュアルやアクシデントマネジメントの手引きはBWRを所有する会社で内容を調整していたのではないか。その内容について原子力安全・保安院はどの程度確認していたのか。
原子力災害対策マニュアルを使用するような訓練はどの程度行っていたのか。
④当時、柏崎刈羽原子力発電所1~5、7号機のアクシデントマネジメントの手引きには炉心溶融の定義があったが、なぜ6号機だけはなかったのか。
⑤当時、福島第一原子力発電所ではなぜアクシデントマネジメントの手引きに炉心溶融の定義がなかったのか。

(4) 原子力災害対策マニュアル等の改定作業時になぜ確認されなかったのか。
平成25年に15条事象が改定されたが、該当事象の「炉心溶融」が「炉心損傷」に変更された。それに伴う原子力災害対策マニュアル改定作業時に「炉心溶融」の定義があることに気がつかないことはあり得ないのではないか。
①平成25年に15条事象が改定(炉心溶融→炉心損傷)された際の原子力災害対策マニュアルの改定に関わった部署はどの範囲か。
②改定作業の手順を具体的に示すことが必要(組織・スケジュール等)。
原子力災害対策マニュアルの改定が事故の直近では事故の11か月前の平成22年4月に行われているが、この改定に関わった部署はどこか。

(5) 通報事象の定義について国や他事業者等は知っていたのか。
現在、通報事象の定義について電事連で調整しており、当時も調整していたと考えられる。他電力会社や原子力安全・保安院は定義について知っていたはず。
①事故当時の通報事象の定義について他電力会社と調整を行ったか。
原子力災害対策マニュアルやアクシデントマネジメントガイドは原子力安全・保安院に説明していたか。
③CAMSデータから炉心損傷割合を推定し、炉心損傷割合からで炉心溶融と判断することは他社BWRも同様だったのか。(当時の「原子力発電所の緊急時対策指針(JEAG4102-2010)」では「炉心溶融」の判断についてアクシデントマネジメントの手引きにある炉心損傷の基準から判断する旨記載されている。)
JEAG日本電気協会電気技術指針
④事故後、他電力等関連業界から定義がある旨の情報提供はなかったのか。

メルトダウンの定義を決めた経緯等について
メルトダウンの定義は、技術的な検討のうえ定められたものであり、決定するまでの過程で多数の人が関わっているはず。
①炉心損傷5%を炉心溶融の定義とした技術的な根拠は何か。
②定義についてどの組織で検討を行い、どのような手続きで決めたのか。

3 今回の公表に至る過程等の状況について
原子力災害対策マニュアルの担当部署や事故時通報を担当していた班が事故調査などに関わっていれば、定義について気がつかないことはあり得ない。
5年間隠蔽していた可能性が高いのに、なぜ十分な調査もしていない段階で「5年間気がつかなかった」と公表したのか。
東京電力の事故調査や技術委員会の回答作成時に原子力災害対策マニュアルの担当部署や事故時通報を担当していた班はどのように関わったのか。
原子力災害対策マニュアルに炉心溶融の定義を定めていることを、いつ誰が誰に報告したのか。報告者はいつからわかっていたのか。報告者はどの組織に所属しているのか。その所属組織と事故時に原子力災害対策マニュアルに従って対応する組織との業務上の関係も示すこと。
③なぜ、5年も経って発見されたのか。定義を認識していた人たちが、この5年間なぜ言い出せなかったのか。誰が情報を止めていたのか。
④隠蔽ではなく「5年間気がつかなかった」と公表することにしたのは誰が決めたのか。
⑤事故対応と原子力災害対策マニュアルに関わった全ての人に改めてヒアリングを行うべきではないか。
メルトダウンの公表に関し、政府や国会の事故調に対してはどの組織で誰がどのように対応していたのか。聞かれたことについて調査が必要な場合、調査の有無や調査内容、範囲を誰が判断し行っていたのか。
⑦業務の引継などの際の技術的事項の引継はどのように行われているのか。

4 技術委員会でのこれまでの説明について
技術委員会での質問に対し、これまで東京電力社内で一体どのような調査を実施し、回答を行っていたのか。事実に反する説明を行う判断をしたのは誰か。
①技術委員会で「炉心溶融の言葉の定義がなかった。」と説明することについて、どこの部署に確認したのか。原子力災害対策マニュアル(以下、マニュアル)の担当部署には確認したのか。
②「定義がない」と説明することについて、役員のどこまで了解を得ていたのか。
③質問形式でディスカッションを行うことになってから、改めて調査し直したとの説明があったが、それまでの調査と改めての調査の違いはなにか。
④社内でこれまでの技術委員会の議論についてどの範囲でどのように共有していたのか。
メルトダウンの公表に関し、真実を問われていることについて、社内ではどのような周知を行ってきたのか。
⑥技術委員会の質問に対して調査が必要な場合、調査の有無や調査内容、範囲をこれまで誰が判断し行っていたのか。

5 事故時運転操作手順書等に基づく対応について
事故時運転操作手順書等を使用できたにもかかわらず、手順書等に基づく対応をせず、場当たり的な対応に終始し事故を悪化させたのではないか。
①当直は事故時運転操作手順書(事象ベース(AOP)、徴候ベース(EOP)、シビアアクシデント(SOP))に基づいた対応をどの程度行ったのか。
②特に徴候ベースの手順書(EOP)については、今回の事故対応においても使用できたはずであり、どの程度それに基づいた対応を行ったのか。
③事故時運転操作手順書に基づき対応しなかったとすれば、それは原子炉等規制法に違反することになるのではないか。
⑤事故時運転操作手順書を使用していないとしたら、誰がどのような根拠でそのような判断をし、指示をしたのか。また、当直は何を根拠に事故対応を行っていたのか。
⑥事故時運転操作手順書について、AOPからEOP、EOPからSOPへと移行基準があるが、それに基づいて判断し移行したのか。移行したとしたら当直長の判断か、他の誰かの判断か。
⑦手順書やマニュアルを整備していてもそれに基づいてやっていないことが明らかになっているが、なぜやらなかったのか。
⑧手順書やマニュアルを使用した訓練はどのように行われていたのか。
⑨AOPについてはシミュレータで訓練はできる。一方、EOPやSOPについてはそのような訓練はできず、見て確認する程度と聞いているが実際どのように訓練していたのか。
⑩原子炉の水位が見えなくなった場合、徴候ベースの手順書に基づき、圧力容器を減圧して注水することに全力を注ぐべきではないか。なぜ、格納容器ベントの対応を優先していたのか。
⑪SR弁を開け減圧することを早期に考えていれば、SR弁を開けるためのバッテリー集めがもっと早期に行われ、事故の影響緩和ができたはず。そうしなかったのはなぜか。

Ⅲ 安全文化
東京電力は事故後の真摯な反省に基づいて体質改善に取り組んでいるとしているが、今回のようなことがあると安全文化が浸透しているとは思えない。
①規則マニュアル等の社内規定は社内でどのように認識させているのか。
②「炉心溶融」は法令で15条事象として定められていたが、なぜ「炉心溶融」に基づく15条通報が行われなかったのか。これは法令違反に当たるのではないか。
③安全文化浸透に向けた社員一人一人の意識改革のためにどのような取組を行い、その浸透についてどのように確認していたのか。
姉川常務が法令違反の有無を確認する中で定義があることが確認されたと説明したが、東京電力では法令違反していたかどうかだけを問題にしているのか。