クリントン氏の信頼低下、メール問題より深刻

[FT]クリントン氏の信頼低下、メール問題より深刻

2016/11/1 6:30
 違う、米連邦捜査局FBI)はドナルド・トランプ氏のために働いているわけではない――もっとも、ヒラリー・クリントン氏がそう疑ったとしても許されるべきだが。現実は、それ以上に厄介だ。
 FBIのジェームズ・コミー長官は、不安からパニックに駆られて声明を出した。その不安とは、捜査を差し控えたら、同長官はトランプ氏のためではなく、クリントン氏のために働いていると共和党から批判されただろうというものだ。恐ろしい番人たるコミー氏は、やりすぎた。公務員は、大統領選挙に影響を与えかねない行動を決して取るべきではない。
コミーFBI長官。同長官が議会にあてた書簡で「捜査に関連するとみられるメールの存在が判明した」と指摘=AP
 コミー氏の過失は、トランプ氏がすでに「不正操作されたシステム」の一員としてコミー氏のことをやり玉に挙げた結果だった。これほど感情的に割れた国では、中立性は共謀として扱われる。10月28日、コミー氏はけしかけられてミスを犯してしまった。
 独裁政治は恐怖心を糧に運営され、民主主義は信頼によって結び付けられている。コミー氏は、クリントン氏のメール問題の捜査を拡大するという情報開示を無謀なタイミングで行ったが、それはまさに政府高官が揺れたときに生じるものだ。トランプ氏は、来週の大統領選挙で勝てばクリントン氏を収監すると誓っている。トランプ氏の支持者らは集会という集会で、「(クリントン氏を)投獄しろ」と口々に叫んでいる。
 もしクリントン氏が勝てば、トランプ氏はコミー氏のように威嚇する相手をさらに大勢見つけるだろう。民主主義国では、一方の側が先制的な反逆罪の告発を振りかざすとき――大統領選挙の不正操作ほど重大な反逆行為はない――法が立脚する基盤は小さくなる。周囲で嵐が吹き荒れているとき、公正な司法を守ったり、中立なプロセスを執行したりすることは難しくなる。トランプ氏の選挙運動は暴風を引き起こしている。コミー氏はその嵐で着ていたシャツまで失ったところだ。
■最大の代償は勝利の後に
 クリントン氏は10月のサプライズを乗り切ることができるだろうか。これがもし、同氏が来週勝つかという意味の問いであれば、答えはまだ、恐らくイエスだ。コミー氏が放った手りゅう弾の影響を世論調査が測るのは時期尚早だが、10月28日時点のクリントン氏のリードは、2~3ポイントの支持率低下のダメージをしのげるほど大きかった。
 クリントン氏が国を統治できるかという問いだとすれば、違う光景が見えてくる。クリントン氏に不利な方向へ1%票が振れただけでも、上院の議席争いを左右しかねない。上院で民主党過半数を押さえなければ、クリントン氏が法案を可決させる可能性が低下する。コミー氏のハロウィーンのプレゼントの前でさえ、共和党が下院の支配を維持する公算が大きかった。
 最大の代償が表面化するのは、恐らくクリントン氏の勝利の直後だろう。勝利が僅差であるほど、トランプ氏が怒りを巻き起こすのが容易になる。不正によって盗まれた選挙に対する人々の怒りだ。また共和党議員に対する、より大きな支配力をトランプ氏が持つことにもなるだろう。

 議員は選挙区からのフィードバックに反応する。建国の父トーマス・ジェファーソンの設計によって、下院は選挙で選ばれた人と選ぶ人の関係が最も敏感な場となっている。もしトランプ氏の支持基盤が怒れば、共和党議員はその合図に従うだろう。大半の共和党支持者はすでに、クリントン氏は不正直で腐敗していると考えている。そこから、クリントン家は「犯罪組織」だとするトランプ氏の主張を承認するのは、大きな飛躍ではない。
 このような扇動的な言葉遣いから抜け出すのは困難だ。攻撃の標的がクリントン氏以外だったら、もっと容易だったろう。再びホワイトハウス入りする前の段階で、クリントン氏は米国史上、最も多くの捜査を受けている政治家になっている。夫のビル・クリントン氏でさえ、これほど多くの捜査と召喚の対象ではなかった。
 もし来週勝てば、ヒラリー・クリントン氏はさらに多くの捜査と召喚に直面する。共和党は、告発サイト「ウィキリークス」の助けを得て、新たな調査を開始するのに十分な武器を持っていると考えている。野心を持つ議員にとって、クリントン氏に圧力をかけることは、国民的ヒーローの地位を獲得する絶対確実なルートだ。
■「クリントン財団」はスキャンダルの宝庫
 そうした議員を図らずも味方するのが、クリントン氏自身だ。当選した場合、慈善団体「クリントン財団」と家族の関係を断ち切ると同氏がまだ約束していないのには驚く。現時点では、娘のチェルシークリントン氏が日々の財団運営を引き継ぐ計画になっている。これでは不十分だ。疑いを差し挟む余地があってはならないのだ。
 クリントン財団はこの疑いを晴らすことができない。財団は多くの政府や企業、資産家から巨額の寄付を受けており、中にはうさん臭い組織や個人が含まれている。立派な大義のために小切手が書かれたという事実は助けにならない。クリントン氏の敵にしてみると、財団はニュースとスキャンダルの宝庫だ。カタールやモロッコなどの政府が、国連や例えば慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」ではなく、ビル・クリントン氏を介してお金を回したのは、理由があってのことだ。そうすることで彼らはビル・クリントン氏と接触する機会、場合によっては同氏に対する影響力を得られたと、敵はみている。クリントン夫妻は、財団に寄付した組織の一部から多額の講演料を得ている。
 非常に緊迫した環境下で、ヒラリー・クリントン氏は米ギャラップが世論調査を開始して初めて、米国民から信頼されていない大統領として職務に就くことになる。クリントン氏は自身の苦悩の犠牲者であると同時に、当の苦悩を生んだ共同責任者でもある。かつてクリントン財団に寄付したことがある人や組織と少しでも関係がある決断を下すたびに、利益相反と認識される事態が生じる。クリントン夫妻のどちらかに私的な場での講演料を払ったことのある組織には、これはさらに当てはまる。
 利益相反の可能性は単に、共和党の噂の材料になるだけではない。もしクリントン氏に任命された規制当局者が一部の告発を退けたり、ゴールドマン・サックスに対する告発を退けたりしたら、民主党の左派はそれを信じるだろうか。もしクリントン氏がペルシャ湾岸国家への多額の武器売却を承認したら、それを額面通りに受け止めることができるだろうか。
 クリントン氏が財団を休止すると約束するのは、今からでも遅くない。財団をそのまま放置すればするほど、難しくなる。そこにかかっているのは夫のプライドや娘の将来だけではない。米国を統治するヒラリー・クリントン氏の能力の問題なのだ。

By Edward Luce
(2016年10月31日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

(c) The Financial Times Limited 2016. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.