日本は「良い国」か「悪い国」か

日本は「良い国」か「悪い国」か 自虐思考洗脳が使命のメディア、正論派は井の中の蛙の合唱 東京大学名誉教授・平川祐弘

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平川祐弘東京大学名誉教授

≪憐みもたれたハーンの死≫

 日本は「良い国」か「悪い国」か。明治29年、ラフカディオ・ハーンが小泉節子と結婚、わが国に帰化するや、在留西洋人はHearn went native(ハーンは土民になった)と騒いだ。19世紀の末、白人文明の優位は当然視されていた。それだから日本の女を妻とし英国籍を捨てた男は強い違和感を与えたのである。そんな陰口をきく連中とハーンは交際を絶った。それもまた悪評の種となった。

 明治37年、ハーンが東京で死ぬや「お気の毒」と西洋人は言い出した。「彼の一生は夢の連続で、それは悪夢に終わった。情熱のおもむくままに日本に帰化小泉八雲と名乗ったが、夢からさめると間違ったことをしでかしたと悟った」。B・H・チェンバレンが『日本事物誌』第6版に印刷したこの言葉が、西洋で定説となる。

 フランス大使クローデルも「薄幸なハーン」と呼んだ。タトルの叢書(そうしょ)のハーンは戦後よく売れたが、背表紙に「彼の晩年は幻滅と悲哀に満ちていた」とある。若い日にハーンを愛読したバーナード・リーチは86歳の昭和48年「かわいそうなハーン、彼は友もなく死んでしまった」と詩に書いた。


ハーンに惹(ひ)かれて日本研究に進んだベルナール・フランクも20世紀の末年、パリのラジオで日本で生を終えたハーンを憐れんだ。いずれも本気でそう思ったのだろう。

≪名作を生んだ節子との合作≫

 だが、ハーンの晩年は本当に惨(みじ)めだったのか。日本字の読めないハーンは怪談の題材を妻の口述から得た。節子が怪談を話すときはランプの芯を暗くし、夫人の前に端座して耳をすました。話が佳境に入ると顔色を変え「その話怖いです」とおののき震えた。

ハーンは素読される書物の記事には興味は示さず、すべての物語は夫人自身の主観的な感情や解釈を通じて実感的に話さねばならなかった。「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」

 それ故、多くのハーンの著作は、書物から得た材料とはいえ、妻によって主観的に翻案化され、創作化されたものを、さらにハーンが詩文化したものである。

 あるとき万葉集の歌を質問され、答えることができず夫人は泣いて無学をわびた。するとハーンは黙って節子を書架の前に導き、著作を見せ、この自分の本はいったいどうして書けたと思うか。みな妻のお前のおかげで、お前の話を聞いて書いたのである。「あなた学問あるとき、私この本書けません。あなた学問ない時、私書けました」と言った。

 こんな二人の間柄を知ると、晩年のハーンを不幸とする説は根拠がないことがわかる。だが日本に帰化した西洋人が幸せなはずはない、とする固定観念が先にあったから、不幸説が世界にまかり通ったのである。実際の晩年は、萩原朔太郎が右に述べた通り、節子とハーンの世にもまれな協力の中に過ごされたのである。

 ただ、人一倍感じやすいハーンの気持ちが激しく揺れたのも事実で、ある日は日本を憎み、翌日は日本を愛情で包み込んだ。熊本時代、西洋文学を教えたことで西洋の偉大を再確認したハーンは、西洋への回帰の情に襲われた。だがそんな彼だからこそ、西洋に深くつかった日本人が「ある保守主義者」として祖国へ回帰する心理もまた理解し得たのである。

固定観念はしみついたまま≫

 日本をいい国と思う人が内外で増えている。大陸と地続きでない。そんな僥倖(ぎょうこう)に恵まれ難民が押し寄せず、テロの脅威も少ない。反対意見を容赦せぬ近隣諸国と違い言論自由である。一党独裁もなければ一神教の排他的支配もない。日本人と結ばれた外国人男女が晩年をわが国で過ごしたいと願いだしたのは、他国に比べてまだしも老人に優しい社会で、楽しいことも存外多いからである。

 私は日本に暮らしてまあ良かったと感じる。それは客観性のある変化で、たとえば2011年、ドナルド・キーン氏が日本に帰化した。それを鼻白む米国人はいたが「nativeになった」とはもう誰もいわない。
壮年時のキーン氏は来米日本人が「東京の方が治安がいい」と自慢すると、たといそれが事実であろうと、腹を立てた。そんな愛郷心の強かったニューヨークっ子がいま日本を終(つい)の棲家(すみか)にしようとしている。敗戦直後に来日した米国人のだれがそんなことを考えたか。やはり日本はまあ良くなったのである。

 70年前の日本は自信喪失で、インテリは欧米を謳歌(おうか)し、ソ連や人民中国を讃(たた)え大活躍した。しかしベルリンの壁は崩壊し、社会主義幻想は消えた。共産国御用の学者先生は失業した。でも「日本は悪い国だ」という固定観念はしみついたままである。こんなままだと、やはり日本は駄目な国か。

若者を自虐思考の方向に洗脳するのが使命だと心得る増上慢のマスメディアは、東京裁判史観の再生産にいそしんでいる。それに我慢ならず愛国主義を唱える正論派もいるが、そちらはそちらでおおむね井の中の蛙(かわず)の合唱のようである。

東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわすけひろ)