南京日記1937年11月29日

南京日記1937年11月29日

シュペアリンクが電話してきた。警察長官の王固盤が辞職し、別の者がその職についたらしい。これに関してスミス博士の情報では、新しい長官は退去せず警察隊と共に残留すると言う。やっと良いニュースだ。16時に委員会会議。日本が中立地帯を了承せずとも、どうにか前進しなくてはならない。
ローゼン博士の電話では、東京からの報告によると、中立地帯設置の提案を飲むかどうか未だ検討中だとか…

ひょっとしたら、既にドイツ政府は我々の理に叶うよう介入したかも知れず、ならばタン将軍の(南京は絶対に死守されなくてはならぬ)ごとき発言内容は、害になると言わざるを得ない。彼は一将軍に過ぎず、発言も当然好戦的になる。然し、目下この状況にあっては、町を効果的に防衛する意味において、時宜にかなった発言とは言えない。我々は長江の三角州の中で、ネズミの罠に嵌っているようなものである。
片付けの最中に、偶然にも総統の写真に行き当たった。そこには、帝国ユーゲント隊長バルドゥル・シーラッハの詩が記されてあった。

彼の偉大さは
我々の総統、
多くの者の英雄であるのみならず
彼自身にある:誠実、堅固、質素、
彼の中にある資質は
我々の世界の根源である。
そして彼の魂は星空に触れるほど、
だが君や私のような人間のままなのだ。

詩は、私にまた勇気を与えた。ヒットラーの援助への希望は捨てまい。「単純な、純然な人間 ー 君や私のような」この一節は、自国民の受難に深い同情を呼び起こすのみならず、支那の受難においてさえ同様であろう。我々ドイツ人、外国人の中で、我々が提案した中立区域設置の為に、ヒットラーが日本政府に与える言葉、彼からのみ与えられる言葉が最高の影響を与えることを疑う者はいぬであろう。そして、彼は必ずや、述べる可き言葉を述べるであろう!

18時、英国文化クラブにて、いつもの会合。市長が国際委員会設置を公的に宣言。私は立って、我々が各国大使館の人道的な後援を受けていること、米国大使館の仲介で上海日本大使館に2通の電報を送ったこと、そして私自ら総統とクリーベルに電報を送った事を報告した。ヒットラーからの直接の返信はないだろう。このような高度な外交を必要とする事柄は、別の方法でなされるべきである。私は、総統が決してこの状況を見捨てぬ事を確信している事を語った。会議参加者には、あと数日辛抱することを要請した。

日本政府が許可を与える希望は、私はまだ捨ててはいない。
大元帥は国際会議に10万ドルを出資した。私は、クレーガーを経理責任者に推薦した。彼は承認され、躊躇なく受諾した。クレーガーには、私の新居に(Ninhai Lou 5) 住むことを提案し、彼はそれを受け入れた。
私のトラックはドイツ国旗を掲げていたにもかかわらず、内務省警備の兵士に接収されてしまった。私はタン将軍代理のルン大佐に電話をかけ、夜11時にトラックは戻ってきた。