ハル・ノートは「恥ずべき最後通牒」だ! ルーズベルトを批判した米共和党議員

ハル・ノートは「恥ずべき最後通牒」だ! ルーズベルトを批判した米共和党議員


 今日は12月8日なので、日米開戦にちなんだお話を…。

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[画像はWikipedia>ノーマン・ミネタより]

 1971年、日系二世のノーマン・ヨシオ・ミネタ(峯田良雄。1931年カリフォルニア州サンノゼ生まれ。民主党員)がサンノゼ市長に当選しました。

 大都市の市長に日系人が選出されたのは初めてのことです。

 ミネタの当選を心から喜んだ一人のアメリカ人がいました。

 元下院議員で、ニューヨーク州選出の共和党議員だったハミルトン・フィッシュです(1991年没)。

 なぜ彼はミネタの当選を喜んだのでしょうか。
 それにはこんな経緯がありました。

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[画像はWikipedia>Hamilton Fish IIIより]

 フィッシュは日本人にはほとんど知られていませんが、日本と関係の深い人です。
 
 真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は日本に対して宣戦布告を求める議会演説(恥辱の日演説)を行いました。

 ルーズベルトの演説に続いて、下院議員としてそれを容認する演説を行ったのがフィッシュでした。

 フィッシュの演説を全米2500万人(当時のアメリカ人口は約1億3000万人)がラジオを通じて聴きました。

 実はフィッシュは大のルーズベルト嫌いでした。

 ヨーロッパの戦いに干渉したがるルーズベルトを警戒し、アメリカが参戦することに強く反対していました。

 フィッシュはアメリ孤立主義運動の先頭に立つ有力議員だったのです。

 当時、アメリカ世論の8割以上がヨーロッパやアジアの争いに巻き込まれることを拒否していました。

 その世論の流れを一気に変えたのが真珠湾攻撃でした。

 アメリ孤立主義運動の指導者だったフィッシュも、対日宣戦布告を容認せざるを得なくなりました。

 フィッシュは次のように演説しました。


【議長、私は悲しみと日本に対する深い憤りの念をもって、宣戦布告に対する支持を表明するものです。

 私は、過去3年の間、欧州およびアジアにおける戦争にアメリカが参加することに一貫して反対してきました。
 しかし、ワシントンにおける和平交渉継続中に、かつ、最終段階における天皇に対する大統領の個人的要請を無視して行われた、日本の海、空軍による不当、邪悪かつ厚顔無恥で、卑怯な攻撃の結果、戦争は不可避かつ必要となりました。

 米国内で論争、対立をすべき時は過ぎました。
 今や行動をとるべき時なのです。

 介入主義者および非介入主義者は、相互に告発と再告発、批判と反論を繰り返すことを止め、戦争遂行のために大統領と政府の下で一致団結しなければなりません。
 日本による残虐な攻撃に対する答えはただ一つ、いかなる血、財産および悲しみを代償としても、最終的勝利まで戦いぬくということであります。
 この日本の我々の領土に対する、挑発されない、かつ無意味な侵略行為は、戦争によって報いられなければなりません。

 私は、外国における戦争に介入することに一貫して反対してきましたが、同時に、もしも我々が外国勢力により攻撃を受けるか、または合衆国議会が米国的かつ憲法に合致した方法で宣戦を布告した場合には、大統領とその政府を最後の最後まで支持する、ということも繰り返し表明してきました。

 神々は、その滅ぼそうとする者たちをまず狂気にさせます。
 日本は、完全に乱心するに至り、挑発されない先制攻撃をしかけることによって、その陸、海軍および国家自体にとっての自殺行為を犯しました。

 私は、適当な時期に、前世界大戦と同様に、戦闘部隊の、そして望むらくは有色人種部隊の司令官として従軍することを申し出るつもりです。
 米国を防衛し、戦争に狂った日本人の悪魔たちを全滅させるためならば、私はいかなる犠牲をも払うことでしょう。

 今や戦いに臨むのでありますから、アメリカの伝統に従い、昴然と頭を上げていこうではありませんか。
 そして、この戦争は、侵略に対抗し祖国領土を守るためだけのものではなく、全世界の自由と民主主義を守るための戦いであることを、かつ我々は勝利を得るまでは戦いをやめないことを、世界に知らしめようではありませんか。

 私は、全米国市民、特に共和党員と非介入主義者に対し、個人的見解や派閥意識を捨て、合衆国軍隊の勝利を確保するために、我々の総司令官である大統領の下に団結するよう要請します。

 我らが祖国よ。
 外国と接するにあたり、祖国が常に正しくあるよう。
 しかし、正邪にかかわらず、我らが祖国よ。】



 ご覧のように日本を激しく批判しています。

 ところが、戦後、フィッシュはこの自分の演説を深く恥じることになります。

 なぜなら、ルーズベルト政権の対日交渉の詳細が次々と明らかになってきたからです。

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[画像はWikipedia>フランクリン・ルーズベルト より]

 特にフィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが「ハル・ノート」の存在を議会に隠していたことでした。

 ルーズベルトは、「アメリカが誠意を持って対日交渉を続けているさなかに、日本は卑怯にも真珠湾を攻撃した」と、議会や国民に説明していたのです。

 しかし、それは偽りでした。

 フィッシュは、自著「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう振り返っています(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)。


私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。

 1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省最後通牒が手交された。
 それはハル国務長官が渡したものである。

 ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。
 民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。



 フィッシュは共和党員であり、ルーズベルトの前任で共和党のフーバー大統領の抑制的な対日外交を知っていました。

 それだけに、ハル・ノートの内容が日本に対する最後通牒であったことをすぐ理解しました。

 フィッシュはハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っています。

 それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書でした。

 フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じました。

 戦後の研究で、日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達しました。
 
 別の自著「Tragic Deception: FDR and America's Involvement in World War II.」(1983年)(邦題「日米開戦の悲劇」岡崎久彦監訳)の中で、フィッシュはこう述べています。


私はルーズベルトを許すことができない。
 彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

 日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハル・ノートルーズベルト真珠湾攻撃を『恥ずべき行いの日』と呼んだことにちなみ、『恥ずべき最後通牒』と呼ぶのが適切と思われる。

 日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。
 天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

 天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。

 日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。
 しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。

 日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。
 ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。

 どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。
 こんな理不尽な話はあり得ない。

 米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。
 このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。

 天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。
 非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。

 在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。

 日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。
 しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。

 日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。
 これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。

 我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。
 イギリスは、それ以上に多くのものを失った。
 イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポールビルマ、インドおよびセイロンをも失った。

 日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。
 このような民族に『恥ずべき最後通牒ハル・ノート』を突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。

 私はルーズベルトを許すことができない。
 この大戦は米国に三十万人の死亡者と七十万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらした。

 日本には軍人、民間人合わせて三百万人以上の死亡者をもたらした。
 日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。

 その責任はルーズベルトが負っているのだ。



 このように、フィッシュは戦争で命を落としたアメリカ人の犠牲を悼むだけでなく、日本人に対しても哀悼の念を表しています。

 そして、前出の「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう述べています。


日本人はあの戦争を最後まで勇敢に戦った。
 我が国と日本のあいだに二度と戦いがあってはならない。
 両国は、偉大な素晴らしい国家として、自由を守り抜き、互いの独立と主権を尊重し、未来に向かって歩んでいかねばならない。

 日本が攻撃されるようなことがあれば、我が国は日本を防衛する。
 それが我が国のコミットメントである。
 そのことを世界は肝に銘じておかねばならない。】




 日系二世のノーマン・ヨシオ・ミネタが1971年にサンノゼ市長に当選した時、フィッシュがそれを喜んだ理由がよく分かりますよね。

 ちなみに、ミネタ氏はこの4年後にはワシントン議会下院議員となりました。

 その後はロッキード・マーティン社副社長を経て、クリントン政権で商務長官を、さらにジョージ・ブッシュ政権では運輸長官を務めたそうです。


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 日米開戦については、知日派で知られるアメリカのケビン・ドーク氏も、「正論」2013年9月号の対談記事でこう述べています。

国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。アメリカでは批判される見解かもしれませんが事実です。

 ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、ルーズベルトが仕掛けた。ただ、彼も日本と戦いたかったのではなく、国民の意識をナチス・ドイツとの戦いに向けようとしたのです。】



 ほかに、1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズも、1948年の著著「アメリカの鏡・日本」http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4889913505の中でこう述べています。

パールハーバーアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた『一方的攻撃』であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。】


 同じ1948年に、やはりルーズベルトを批判した勇気あるアメリカ人がもう一人います。
 チャールズ・A・ビーアドという歴史家で、「ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕」http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4894348357の中で、戦争責任を問われるべきは日本ではなくルーズベルト大統領だ。と述べています。


 なお、フィッシュ議員とルーズベルト大統領の確執については、渡辺惣樹氏が翻訳を手がけた以下の2冊に詳述されていますので、興味を持たれた方はどうぞ。

【ルーズベルトの開戦責任: 大統領が最も恐れた男の証言http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4794220626(原著:ハミルトン・フィッシュの1976年の「FDR: The Other Side of the Coin.」。2014年9月11日発行)

【アメリカはいかにして日本を追い詰めたか~「米国陸軍軍略研究所レポート」から読み解く日米開戦】http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4794220154(原著:ジェフリー・レコード氏。2013年11月21日発行)