南京日記1937年12月3日

南京日記1937年12月3日

   ローゼン博士が、トラウトマン博士から私への伝言を携えてやって来た。トラウトマン氏は昨夜、漢口から乗ってきた税関巡洋艦で戻ったのだった。大使はやはり、大元帥の元に平和調停の提案を示す為に来たのだと、ローゼン博士はしばらく躊躇した後明かしてくれた。その詳細については、当然のことながらローゼンの口から聞き出すことは出来なかったし、私もしつこく質問する気はない。平和への方向に向かって何らかの動きがあったのが判れば充分だ。願わくば良い結果となりますように!ローゼン博士は更に、本来大使宛ての次のような電報を見せてくれた。

Diplogerma(訳語不明) 南京
漢口発 12/2 ー 南京宛て 37/12/3

東京より電報 37/11/30:日本政府はその可能性において、支那の町、政府、生命、財産、外国人及び平和的な支那人民を尊重する所存である。日本政府は、支那政府が首都においてその権力を行使し、残虐なる戦闘を避けることを希望する。特別安全地区若しくはその要塞域は、軍事的理由から容認されない。日本政府はこれについては公式な見解を公表する。 ザウケン

   ローゼン博士は、当地の他の大使館がこのような内容の電報を受理していない事を確認した。と言うことは、この報告の利用は、差出人を不明にしておく限り、委員会に委ねられるというわけだ。ローゼンは、委員会がマダム蒋介石接触する事を勧めた。

  町の防衛責任者タン将軍が我々に全ての軍人軍属、軍役所を難民区域から撤退させることを約束したにもかかわらず、当の区域内三ヶ所に塹壕か高射砲台の土台が新たに造られていることを我々は確認していた。私はタン将軍の使者に、この作業を即中止させなければ、私は委員長を辞任し、国際委員会を解散する、と伝えた。返答は文書にて、我々の要求は全て約束する、しかしその実現には暫く猶予が必要であることを強調していた。