【慰安婦像】フライブルク市長 ドイツ紙インタビュー「私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。」

慰安婦像】フライブルク市長 ドイツ紙インタビュー「私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。」


ドイツ南西部にあるフライブルク市で先月、突如持ち上がった慰安婦像騒動。きっかけは、姉妹都市である韓国の水原市が設置をもちかけたことでした。しかし、これに対して日本側の姉妹都市である松山市が「像が設置されれば交流に支障が出る」と懸念を表明。その後、フライブルク市が設置を断念したことで騒動はいちおう収束しました。
「私は悪用されたと感じました。私は、韓国と日本との間の紛争のツールになりかけたのです」。
この一連の騒動で渦中にあったフライブルク市長がドイツ紙のインタビューに対して怒りをぶちまけた記事がナデシコアクションのサイトに掲載されていました。以下、それを転載させていただきます。
 

フライブルク市長 ドイツ紙インタビュー「私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。」

 
ドイツ Badische Zeitung (バーディシュ新聞)
http://img.badische-zeitung.de/layouts/images/logo.jpg
9月 24日付け 記事
Salomon sieht Statuen-Streit als “kulturelles Missverständnis”
サロモン(フライブルグ市長)は彫像紛争を「文化的な誤解」と見ている
http://www.badische-zeitung.de/freiburg/ob-salomon-ueber-den-wirbel-den-eine-statue-ausgeloest-hat–127585600.html
ドイツで慰安婦像計画が中止に持ち込まれたフライブルク市のソロモン市長が直接インタビューに答えた記事をご紹介します。
市の正式な回答と取ることができると考えます。
以下、日本語訳と原文ドイツ語をご紹介します。
日本語訳はドイツ在住の有志の方によるものです。
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Badische Zeitung
Freiburg 24.September 2016 12.39 Uhr
サロモンは彫像紛争を「文化的な誤解」と見ている
フライブルク市の韓国姉妹都市からのブロンズ像はシグナルとなるべきであった -日本の姉妹都市との紛争の種をまく-
ディーター・サロモン市長は慰安婦に関する怒り憤懣をどう捉えているか?如何に考えるか?
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2016/10/Freiburg.jpg
一見、悪意無く見えた贈り物は外交上の混乱につながった。フライブルク姉妹都市、韓国Suwon市の市長は同じく市長仲間であるサロモンに感動的な彫像を贈与した – いわゆる慰安婦と呼ばれる人や戦争における性的暴力に対する追悼として-
この為の設置場所は既に確保されていたが日本からのプロテストは巨大なものであった。
記者 ウーヴェ・マウフはこのスキャンダルについてソロモン氏にインタビュー。
BZ (Badische Zeitung = バ-ディシュ新聞)
あなたの今までの任期中にこの様な国際的な反響を含む大混乱を経験しましたか?
S (Salomon)
まったくありません。もし誰かが3週間前にこの様な話をしたら私はまったく有り得ないと言っていた筈です。
私たちは、全く無実無罪の状態に在ったが気がついたら大いなるジレンマに陥ってしまっていた。
(オリジナルのドイツ語表現は:“くるぶしまで糞溜めに浸かっている“と品の無い言葉)
BZ
なぜアジアの2国間の戦争時の残虐行為を思い出させる記念碑をフライブルクに立たせる必要があるのか?これは模範的では無いと思うが?
S
これはどう評価するかの問題だと思います。我々がSuwon市で話し合ったことは現在の日本の政治に汚名を着せる事ではなく、同様に、私たちはドイツの痛みを伴うプロセスと歴史の暗い章を回避することを学んだ - この様なことが再び起こらぬよう-
戦争中の性暴力は日本だけで作り出されたものでは無いと私たちは考えています。考えてみて下さい旧ドイツ軍が何をしたかを、20年前に旧ユーゴスラビアで何が起こったかを。この彫像は、模範的、例示的であるべきなのです。
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BZ
振り返って見て、あなたは無知、無邪気だったと言えますか?
S
もし我々が問題を感じ取っていたなら、この事件を調べ習熟した筈です、そして直ぐに紛争の種となるとの考えに行き着いたはずです。
私は単にパートナーシップに際してSuwon市からのプレゼントと理解しておりました。しかし、それはより複雑でした。
Suwon市長は市民主導の寄付により調達された資金でこの彫像を賄ない、そしてその意義は, この彫像を世界中に設置し日本に外交的圧力を加えることにありました。私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。
私は、韓国と日本の間の紛争での一つのツールでした。これは姉妹都市提携の目的では無く、この件で敏感になっている同じ提携都市を日本に持っている以上は特にです。
BZ
Suwon市長は寄贈した彫像がこのような反応を引き起こすと知らなかったのか?
S
同僚であるSuwon市長を私は高く評価しています。以前、彼は弁護士として人権や環境に取り組み如何にキャンペーンを実行するかを熟知しているはずです。彼はこの手法をまだ完全に放棄していないと私は思います。
もし3週間前に誰かが私に説明したら、有り得ない話と私は一蹴していた筈です。
BZ
どの様にこの問題を解決するのですか?
S
問題は解決されました。今朝、私は松山市長に電話をし我々は韓国Suwon市からのプレゼントを受け取らない旨を伝えました。
松山市長からは事前に、もし我々が慰安婦像を設置すればフライブルグ市との都市提携を解消するとの表明がありました。
そして私は日本総領事ともこの事を話し感謝されました。
既に私は月曜日にSuwon市長と75分も話し – 我々は一方の提携都市と他方を反目させる事はしたくないと伝え- 彼の理解を得ました。
BZ
遠く離れたフライブルグの一体の彫像が日本の松山市以外誰も知らないはずなのに、この様な怒りの反応を引き起こすとは驚異的である。
S
この様な彫像が大渦を誘発するとは私も想像していませんでした。私は日本、アメリカ、ドイツ在住の日本人からメールを受け取りました。
それらは私に大変希望を持たせるものではありませんでした。日本社会では暗い過去の出来事の再処理がかなり進んでいることからです。
慰安婦事件はインターネット陰謀論ではありません、日本政府は韓国人女性が受けた苦しみに正式に謝罪しており補償基金設けております。
BZ
このテーマはこれまで当地では何の役割も果たしていませんが貴方の同僚であるSuwon市長は貴方と違って大きく発表する必要があるのでは。
S
彼は記者会見で発表し韓国内のすべてのメディアで取り上げられました。ソウルの日本大使館を通して情報は東京に届き、そこからベルリンに伝達され日本総領事が動きました。総領事は非常に憤慨し日独関係への損傷を気ずかっていました。
BZ
貴方はこの問題で貴方の管轄でない外交関係に組み込まれたのでは。
S
私が向き合いたくなく、望んでもいない所です。これは古典的な文化の誤解です。
BZ
貴方は彫像を被害者の追悼として捉え加害者を責める為と見ていないのですね。
S
その通りです。英語では “Statue of peace” で平和の像と言っております。
BZ
市議会で採決するつもりは無かったのですか?
S
私はそう高い所に持ち込むつもりは無かった。これは私に取り単なる客からの贈り物でした。庭園局がら市が管理している庭園を提案されたことから慰安婦像をと考えました。
 
(解説)
第二次世界大戦中日本軍は主に韓国の少女や女性に強制売春を強いました、韓国は1945年まで日本の植民地であった。
80年代から、かつての「慰安婦」は謝罪と補償を要求しはじめたことで日本政府は、苦境に立たされていました。
昨年12月に日本と韓国の間に合意があり日本は謝罪を意図し800万ユーロの資金を提供、しかし韓国の世論は契約不十分として拒否。
日本では逆に余りにも遠大と多くの人に考えられています。従って紛争は今もくすぶり続けています。
ソウルの日本大使館の前にブロンズの慰安婦少女像があり 米国、カナダ、オーストラリアにはこの慰安婦像のレプリカがあるがヨーロッパにはまだありません。