さらば「学びや」 分身ロボで、どこでも受講 ポスト平成の未来学 第7部 切り開く教育

さらば「学びや」 分身ロボで、どこでも受講
ポスト平成の未来学 第7部 切り開く教育

 机に置かれた体長20センチのロボットが挙手して発言する。先生の質問が難しいと、頭を抱えるしぐさで応じる。作り話ではない。すでに一部の小学校などでロボット「OriHime」が授業に“出席”している。遠隔操作する「分身ロボット」で、生徒は自宅や病室からスマートフォンスマホ)などで操る。
教室に行けない自分の代わりに分身ロボットが授業に出席(都内の特別支援学校)=寺沢将幸撮影
教室に行けない自分の代わりに分身ロボットが授業に出席(都内の特別支援学校)=寺沢将幸撮影
 タブレット端末でログインすると、瞬時に僕(38)の分身になった。額にあるカメラを通じて黒板を見て、先生が歩けば首を回して追いかける。両手もくるくると自在に動く。端末の画面を通じ、いつしか気分は教室の中。
 「OriHimeという『どこでもドア』で通学できる」。開発に携わった結城明姫さん(27)は病気のため通学できなくなった時期があり、この経験が開発につながった。今後は「給食のにおいや友人が触れたときの感触など五感も伝えられるようにしたい」と進化を目指す。
 現在、OriHimeの導入は特別支援学校やフリースクールなどに限られるが、学ぶ側が教員と同じ場にいなければならないという制約から解放されるメリットは計り知れない。
 実際、大学の世界ではMOOC(大規模公開オンライン講座)がパラダイムシフトを起こしている。
 「ビッグバンが起こる前の宇宙は原子よりも小さかった」。世界的に著名な物理学者である東京大の村山斉特任教授(54)の配信講座には10万人の受講生が耳を傾ける。スマホで受講し、修了証も手にできる。MOOCは米スタンフォード大やハーバード大など800以上の大学がこぞって提供し、世界で約8千万人が利用する。
 サプライチェーンマネジメントを深く学びたいと考えた行本顕さん(43)は米マサチューセッツ工科大の講座を千葉県の自宅で受けた。動画は1本5分という洗練された内容で週20本を聴講。コンパクトに学べるMOOCに「将来の可能性を大きく感じる」。法政大や立命館大の講座で宇宙工学などを学んだ東京都内の男性(51)は、掲示板に意見を書き込めば異論が返ってきて、教授も加わる議論が白熱することに驚いた。
 教える側の意識も変化した。東京大でMOOCを推進する藤本徹特任講師(44)は「教授たちは最初、煩わしさを感じていた」というが、想像を超える規模の受講生から届く感想や反応は教室で得る手応えとは比較にならないほど大きく、いつの間にか熱を上げるようになったという。
 デジタルネーティブの最先端教育を実現するために2016年にKADOKAWAが母体となって開校した通信制高校のN高では、生中継される授業を生徒はスマホなどで受け、リアルタイムで意見や質問、つぶやきを書き込む。このライブ感がデジタル世代には響く。「ネット遠足」では自身のキャラクターを操作して、ゲーム「ドラゴンクエスト」の世界に入り込んで宝探しやかくれんぼに興ずる。疑似ではあるが、キャンパスライフも存在する。
 脱「学びや」の先にはどんな光景が広がるのか。OriHimeの結城さんは「自分の姿をホログラムで浮かび上がらせて出席するようになるかもしれませんね」と描いてみせる。
 物理的な移動がなければ学区制がなくなり、学ぶ側は自由に学校が選べる。自分に合った居場所を見つけやすくなり、「スクールカースト」やいじめの回避も可能だ。意欲があればハイレベルな授業に参加するのも自由で、経済格差が直結する受験競争の様相だって変わる。学校という器に制限がなくなることで入学者の選考は不要だ。
 学校側は魅力ある授業の提供に注力でき、実現できた学校には生徒が集まる。優秀な生徒がいれば高度な研究を狙う教員がやって来る。オンラインは教育ツールの一つにすぎないが、こうした学ぶ側と教える側がウィンウィンの関係を築き、好循環にシフトさせる可能性を秘めている。
 もちろん赤ペンで先生から直接指導を受けたり、机を並べる友人と友情を育んだりするアナログの良さはある。ただ法政大などのMOOCを受講した男性が「現在あるようなキャンパスはいりませんね」と断言したことが僕には印象に残っている。知の探求がデジタル世界に向かうならば、新たな学びやが生まれても不思議ではない。

裾野広がるオンライン教育

 インターネットを通じた学びの空間は拡大が続く。取り入れたのは対面学習が主流だった学習塾や英会話教室など民間企業だ。
 ナガセが全国1100カ所で運営する東進ハイスクールの教室にはパソコンがある個別ブースが並び、生徒は録画された授業映像を1人で視聴する。同社が授業の「衛星中継」を始めたのは1991年。塾が少ない地域でも人気講師の授業を受けられるほか、生徒の都合に合わせていつでも受講できる点が好まれた。視聴後に行う小テストや職員の面談を通じ、成績や学習計画のきめ細かな指導もできる。市村秀二広報部長は「個別に学べるオンラインの方が集団指導より効率的で成績も伸ばせる」と胸を張る。
 生徒が一方的に見るだけでなく、先生と相互にやりとりする双方向の学習でもネットが裾野を広げている。
 「How are you?」。佐賀県上峰町の小学校。教室のパソコン画面上で笑顔で話す女性講師は、約3000キロ離れたフィリピンで暮らす。同町は3年前から高学年で1対1のオンライン英会話の授業を続けてきた。
 予算の都合で外国語指導助手(ALT)を確保できない自治体でも、人件費が安く英語が公用語のフィリピン人に頼れば、英会話の機会を増やせる。レアジョブが提供するこのサービスは全国約160校で利用されている。同社は2007年、個人向けの英会話でサービスを開始。ネット環境さえあれば自宅でも英会話を学べ、さらに「1日25分で200円弱」という低料金が受け、利用者はのべ60万人に。広報担当者は「通学する従来のタイプの英会話より、手軽で安いので始めやすい」と強調する。
 受験業界で「価格破壊」を起こしたのが、リクルートマーケティングパートナーズの授業配信サービス「スタディサプリ」だ。月1000円あまりで、4万本の授業映像が見られる。17年度の利用者は65万人と2年で3倍に。経済的に塾に通えない生徒の受験勉強を後押し。蓄積された視聴データを基に、授業の質も上がっており、学校が導入する例も増えている。
 同社の山口文洋社長は「いい教育は、対面式に限らず、オンラインでいつでも、どこでも安く受けられる。今後は地域や国境を越えて人々が学び合う教育が広がる」と先を見据える。
 米調査会社のフロスト&サリバンによると、教育にIT(情報技術)を持ち込むEdTech(エドテック)の市場は22年に約400億ドルと、5年間で2.3倍に拡大する。ただ国内では公教育のネット環境整備で遅れが目立つ。文部科学省によると、公立小中高のコンピューター配備率は全国平均で子供1人あたり0.17台、無線LANの普及率は29%にとどまる。同省によると、自治体や国の財政難に加え、対面教育にこだわる教員ら現場の理解を得ることも、普及に向けた課題だ。
(筒井恒、伴正春)