ソンミ村虐殺から半世紀 ベトナム対米配慮の中…生存者が語る「あの日」

ソンミ村虐殺から半世紀 ベトナム対米配慮の中…生存者が語る「あの日」

自分を救出した米軍人の遺影を持つ、ソンミ村虐殺事件の生存者ド・バさん
自分を救出した米軍人の遺影を持つ、ソンミ村虐殺事件の生存者ド・バさん
 
1955年から20年続いたベトナム戦争では、多くの市民が犠牲となった。中でも、68年に米陸軍部隊が無抵抗の住民504人を殺害した「ソンミ村虐殺事件」は、米国や日本で反戦運動が盛り上がるきっかけとなった。事件発生から50年目の今年3月16日、中部クアンガイ省ティンケ(旧ソンミ)村の虐殺現場跡に整備された記念公園では、ベトナム政府要人や元米兵ら約千人が、追悼式典を開いた。ただ、生存者たちの声はあまり伝えられなかった。背景には、南北内戦の歴史を封印し、米国との関係強化を狙う、ベトナム政府の思惑が指摘される。
 記念公園にほど近い自宅で、事件を生き残った女性、チュロン・ティ・レイさん(87)は、当日のことを淡々と話した。
 早朝、「VC、VC」と叫ぶ米兵に追い立てられ、地区の住民全員が農業用水路沿いに並ばされた。VCとは、当時の北ベトナムが支援し米軍が手を焼いた、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)を指す。
 地区には女性や子供しかいなかったが「動く物は牛にもVCと叫んでいた」。銃で掃射され、当時6歳だった息子を抱えたまま、水が抜かれていた水路に落ちた。覆いかぶさってきた人が弾よけとなった。じっとしていた。事件を知り駆けつけてきた親類が、遺体の山の中から見つけてくれた。母、娘、もう1人の息子の3人を含む地区の102人が死亡。助かったのは、自分と抱いていた息子の2人だけだった。

 今年3月16日の追悼式典にあわせ、ベトナム政府は、記念公園の拡充計画を発表した。海外から多くの人が訪れる“観光地”となっており、国際的な支持も期待できる。
 一方、共産党一党支配のベトナムでは、厳しい言論統制が続く。ある地元記者は、ベトナム政府は式典当日、政府方針に沿った発言を行う者だけを取材に応じさせ、レイさんら生々しい証言をする生存者は、メディアから遠ざけられたと指摘する。
 統制理由のひとつは、いたずらに市民の反米感情を招かないための配慮だ。ベトナムは米国と95年に国交を正常化し、近年は最大の輸出相手国となった。今年3月5日には、追悼公園から約150キロ離れたダナン港に、ベトナム戦争終結以来初めて米空母が寄港し、南シナ海の領有権で衝突する中国を牽制した。政府としては、経済と安保で関係強化を目指す中、「米軍の虐殺の犠牲者にも、未来志向の両国関係だけを強調してもらう必要がある」(地元記者)というわけだ。
 同じく記念公園近くに住むド・バさん(59)も、10人ほどという「ソンミ事件」の生存者だ。居間の祭壇には、祖父と父に並び、「命の恩人」である2人の元米軍人、ヒュー・トンプソン氏とローレンス・コルバーン氏の遺影も祭られていた。そのいきさつを静かに語った。
 事件当日の午前5時半ごろ米兵が来て、用水路脇に並ばされた。同6時ごろ掃射が始まり、1時間ほど続いた。弾が腹部を貫通した。遺体の山の中で息を潜めていた。30分ほどすると、ヘリコプターが降り立ち、乗ってきた米兵に抱きかかえられた。死んだふりをした。だが、自分をなでる手に優しさを感じ半眼を開けた。ヘリで病院に運ばれた。この地区では、母と兄妹3人を含む約170人が死亡、生き残ったのは自分だけだった。

 バさんは98年、追悼公園を訪ねてきたトンプソン氏とコルバーン氏に再会し「抱き合って涙を流した」。彼らは2回目の来訪でバさんを探し当てた。すぐに「あのときの彼らだ」と分かった。両氏はその後も2回やってきて再会を重ねたが、すでに他界した。両氏の未亡人は健在と聞いており「米国に会いに行きたい」という。
 ただ、バさんは、米軍の虐殺を許したわけではない。ベトナム政府が「煙たがる」存在だ。
 ソンミ事件は発生翌年に米誌報道で表面化し、米軍法会議は70年、関与した14人を起訴。指揮官だったカリー中尉だけが有罪判決を受け、74年に仮釈放された。バさんは、この米側の対応を「不公正」とし、中尉らが「VCについて経験も知識もなかった」と批判する。
 事件当日、バさんと一緒に暮らしていた祖父は農作業に出ていて助かったが、終戦後の75年に地雷を踏み死亡。父親はベトコンで、69年に南ベトナム政府に捕まり収監され、終戦後に釈放されたが、暴行の後遺症で2カ月後に死亡した。戦争で全ての家族を失ったバさんは今、妻が南部ホーチミンで働き、11歳の1人息子と農業で生計を立てながら暮らしている。ベトナム政府からも米国からも、補償は受けたことはない。
 ベトナム政府が米国に補償を求めない理由には、内戦に絡む全ての歴史を封印したいとの思惑もある。当時の虐殺加害者は、米国に限らない。補償問題が、旧南北ベトナムによる戦争被害者の救済要求などに発展すれば、国内の対立を呼び覚まし、党の支配体制をも揺るがしかねない。
 事件から半世紀。米軍部隊では現在、規律維持のために上官が、「ソンミ事件を繰り返すな」と訓示することもあるという。一方のベトナム側は、虐殺事件を率直に「歴史の教訓」としきれない、複雑な事情を今も抱えている。(ティンケ村 吉村英輝、写真も)