このおしっこ「がん患者?」、線虫が臭いで判別 適中率90%、費用1人8000円

このおしっこ「がん患者?」、線虫が臭いで判別
適中率90%、費用1人8000円

ヘルスケア
2018/6/3 6:30 日本経済新聞 電子版
 生涯罹患(りかん)率50%――。2人に1人ががんを患う時代に突入した。もはやがんは人ごとではない。その一方で、早く発見できれば、治療できるケースも多い。問題はどうやって見つけるか。ポイントは簡便で安い検査でできるだけ検査対象を広げていくことだ。第5部はこれまでの常識を打ち破る「超」早期発見の現場をリポートする。
 シャーレの中の粉粒が動き出した。ゆっくりと。しかし着実に。数にして約100個。30分ほどでシャーレの片隅のがん患者の尿を落とした場所に集まった。千葉県柏市にあるHIROTSUバイオサイエンス(東京・港)の中央研究所での実験風景の一コマだ。
 粉粒に見えるのは実は生き物。体長1ミリの線虫だ。通常、植物や動物に寄生、土中にも生息するが、この線虫は普通ではない。わざわざ特別に選び出した「シー・エレガンス」という学名を持つ、いわば“エリート線虫”たちだ。生後3~4日の元気者ぞろいで、わずかな臭いも逃さず90%の確率でがんの有無を探りあてる。彼らを使った研究で過去にノーベル賞が3つ生まれている。
 がんは臭う――。医師の間では有名だ。臭いの成分の正体は解明されていないが、線虫は尿に混じったがんの成分の臭いを敏感に感じ取る。線虫の場合、臭いを感じ取るセンサーである嗅覚受容体が人の3.4倍、犬の1.5倍の約1200あり、がんを臭いで探りあてることが可能なのだ。
■1次検診で威力
 もちろん「命の問題を虫に頼るなんて」といった声はある。だがHIROTSUバイオサイエンスの社長、広津崇亮氏は本気だ。がん検診の入り口の検査である1次スクリーニング検査で威力を発揮すると見る。
 何も国立がん研究センターなど専門機関の高度な検査の向こうを張るのでない。狙うのは手軽な検査。「自分ががんになることはない」と決め込み検診を受けないできた人にも「念のため」検診を受けてもらう。超早期のがん発見の確率が高まり、がん治療の選択肢は一気に増える。治癒率は確実に高まる。
 その可能性には日立製作所も注目する。線虫を使ってがんを見つける大学研究者がいると聞き、広津社長にコンタクトをとってきた。確かに自分たちで検証してみると、線虫は有効だった。
 すでに両者は線虫を使い自動で解析する装置の開発に乗り出している。2019年末には実用化が可能。1人の検査員が1日で解析できるのは3~5人分が限度だったが、自動化が進めばこれまでの100倍の解析が可能になる。
■安く培養可能
 線虫は大腸菌が大の好物。餌代がかからない。安く培養できる線虫を自動解析装置と組み合わせることでコストも大幅に安くできる。広津社長が現段階で想定する検査費用は「1人8000円程度」で、富裕層向けのPETCT10万~15万円とその差は歴然だ。
 こうなると線虫検査はいずれ健康診断で普通に使えるかもしれない。被検者は尿をコップに出すだけ。体の負担は少ない。しかも安価でできるなら……。
 広津社長が昨年末、福岡市と名古屋市で行った線虫検査の保険組合向け説明会で「ここで先行予約をしましょうか」と言ったところ会場の手がパッとあがった。手を上げた担当者の企業の社員数を足し合わせると50万人。実用化1年目の20年に25万検体程度を目指していたが、その目標をあっさり上回ったという。
 尿はがん罹患の手掛かりを探す宝庫――。日立はHIROTSUバイオサイエンスとの共同プロジェクトとは別にもう一つ並行して尿に含まれる代謝物(老廃物)からがんの目印となる「バイオマーカー」を抽出する研究も進めている。
 これまでがんの発見にはバイオマーカー候補が多い血液が使われることが多かった。だが血液を尿に置き換えることができるのではないか。日立の基礎研究センタのチーフサイエンティスト、坂入実氏らはこう考えた。「線虫ががんを見分けられる。何か尿のなかに根拠となる物質があるはずだ」
 実際、尿に含まれるアミノ酸や脂質などの代謝物質は約4000種類。腎臓でろ過し再利用できなかった物質が溶け込んでおり、血液(約4500種類)と比べて決して引けはとらない。線虫はこの4000種類のどれかに反応している確率が高かった。
 では、どうするか。坂入氏らは代謝物を精緻に分析する作業にとりかかった。2015年のことだった。
 まず坂入氏はバイオバンクから様々な状態の人の尿検体を取り寄せた。乳がんと大腸がん患者それぞれ15人、それに健常者15人の尿検体を10ミリリットルずつだ。きめ細かく比較分析しながら「ただただ地道に分析を積み重ねていった」(坂入氏)。
 そして1年と少しが経過した時、がん患者に特有の代謝物が存在することが分かった。数にして30。乳がん患者の尿に共通して多く含まれる代謝物はこれ、大腸がんならこっちと、がん種ごとに特徴的な代謝物をそれぞれ2~5種類ほど選び出したのだった。
 代謝物の検出にはドーピング検査など尿や血液の分析に用いられる装置「液体クロマトグラフ質量分析計(LC/MS)」を使う。水分を分離したうえで尿に含まれている物質の構造や量を測定する。1検体あたり数十分で分析できるという。
 日立の分析手法は再発の有無を調べる検査でも効果は確認済み。坂入氏は「医師の評価が非常に高い」という。
 4月からは実証実験にも乗り出した。シミックホールディングス(HD)傘下で検査受託を手がけるシミックファーマサイエンスと共同で9月まで続ける計画。実用化は20年代の初めの予定だ。「会社帰りにふらっと受診するようなサービスも可能」(坂入氏)。
 会社の健康診断でコップに出した尿。それが命をつなぐ一滴になる日が近づいてきた。
(企業報道部 野村和博、秦野貫、長縄雄輝、前野雅弥)
日経産業新聞 5月30日付]