朝鮮戦争が終わる日に起こること(朝鮮半島ファイル)

朝鮮戦争が終わる日に起こること(朝鮮半島ファイル)
編集委員 峯岸博

朝鮮半島ファイル
 史上初の米朝首脳会談が開かれ、世界中の視線が集まる朝鮮半島。最後の冷戦地帯は平和に向かうのか、新たな混沌の時代に突入するのか。日米や中国、ロシアなど大国の思惑も交え、激動の最前線を報告する。
 朝鮮半島の風景が一変しかねない。Xデーは「朝鮮戦争が終わる日」だ。1950年に勃発後、数百万単位の犠牲者とおよそ1000万人の南北離散家族を生んだ朝鮮戦争は53年に「休戦」になっただけで、法的にはまだ戦争が続いている。北朝鮮は7月27日の朝鮮戦争休戦協定締結65年に終戦宣言を発表しようと米国に持ちかけた。半島の激変をまともに受けるのはほかならぬ日本だ。韓国と北朝鮮の人々が半世紀以上も待ち焦がれている日は、苦悩の始まりになる恐れがある。
 米朝が首脳会談後初めて開いた6~7日の高官協議後、北朝鮮外務省が発表した談話は“本音”だ。米国に提案した「取引」は次のような内容だった。非核化措置の一環として、大陸間弾道ミサイルICBM)の生産中断を実証するミサイルエンジン燃焼実験場を閉鎖する。朝鮮戦争で捕虜や行方不明になった米兵の遺骨返還をめぐる実務協議も開始する。その代わりに、米朝は多方面の交流を実現し、朝鮮戦争休戦協定65年に合わせて戦争終結を宣言する――。
北朝鮮が仕掛けた最短シナリオ
昼食会に向かうポンペオ米国務長官(手前右)と金英哲朝鮮労働党副委員長(同左)。右端はソン・キム駐フィリピン米大使(7日、平壌)=ロイター
昼食会に向かうポンペオ米国務長官(手前右)と金英哲朝鮮労働党副委員長(同左)。右端はソン・キム駐フィリピン米大使(7日、平壌)=ロイター
 米本土を射程に収めるICBM北朝鮮が開発に総力をつぎ込んだ対米交渉の切り札だ。2017年11月29日の試験発射で完成に近づいたといわれ、米国の脅威になった。朝鮮労働党委員長、金正恩キム・ジョンウン)は米国務長官、ポンペオとの交渉にあたった側近の副委員長、金英哲(キム・ヨンチョル)を通じて米大統領、トランプにメッセージを送った。「私と大統領閣下の例外的な手法は明らかに結実するだろう」。つい8カ月前まで名指しで「無知で粗暴な狂人」「やたらにかみつく老いぼれ」などとこき下ろした相手に「大統領閣下」と最大級の敬称を付けてトップダウンによる政治決着を呼びかけた。トランプをまだ信用しきれないからだ。
 そこまでして手に入れたいのが、朝鮮戦争終結宣言だ。北朝鮮は9月9日に建国70年を控える。第1弾として、最高人民会議常任委員会はこの日に合わせ、8月1日から有罪判決を受けた者への大赦を実施すると発表した。人権を重視する米国へのアピールが透ける。そのうえで、超大国の米国や同胞の韓国との間で「朝鮮半島の平和体制」を米朝首脳会談後の最短コースで築き上げたと宣伝し、「核完成」に続く金正恩の業績にするシナリオが浮かぶ。
 朝鮮戦争を正式に終わらせるには、53年7月に休戦協定を交わした当事者である米国、北朝鮮、中国の3者で平和協定を結ぶ必要がある。とはいえ、終戦宣言は政治的なメッセージにとどまらない意味をもつ。北朝鮮には核に並ぶ「万能の宝剣」に映る。
 北朝鮮と分断された韓国国民は総じて核問題より朝鮮半島の平和への関心が高い。北朝鮮住民への同族愛が底流にある。一方で韓国内の世論調査には韓国の核保有に肯定的な回答が全体の半数を超える結果もある。ここが世界唯一の被爆国である日本の国民と感覚がずれる点だ。この先、非核化が十分に進まない段階で終戦が宣言されたとしても、韓国ではおおむね歓迎され、半島で平和ムードが高まるのではないか。国連でも中ロ主導の対北朝鮮制裁緩和論が勢いづき、文在寅ムン・ジェイン)政権は南北共同事業の目玉である開城工業団地金剛山観光の再開に向けて独自制裁の見直しにも乗りだす可能性がある。

■米、防衛負担増の対日要求も
米軍横田基地(2010年12月撮影)=AP
米軍横田基地(2010年12月撮影)=AP
 米朝高官協議で北朝鮮がミサイルに関して提案したのは、ICBMの生産中断への措置にとどまっている。日韓向けに実戦配備された中距離や短距離ミサイルの扱いには言及していない。敵対関係の解消を意味する終戦宣言の発表に持ち込めば、関係国は平和協定の締結に向かっていくとみているようだ。
 東アジアの安全保障環境への波及は計り知れない。50年の朝鮮戦争時に韓国で編成された米軍主体の朝鮮国連軍(18カ国で構成)は日本政府が米国などの11カ国と結んだ協定によって、もし朝鮮半島で戦争が起きれば、朝鮮国連軍は弾薬、食糧、医療物資の調達や兵たん支援のため在日米軍のキャンプ座間、横須賀基地佐世保基地など7カ所の施設・区域を使用できるとなっている。朝鮮戦争終結宣言と平和協定の締結によって朝鮮国連軍は存在意義を失い、撤退する。米軍横田基地に置かれた朝鮮国連軍の後方司令部も朝鮮国連軍撤退後、90日以内に撤退すると定められている。
 「朝鮮戦争が終わる日」を手放しで喜べない事情が日本にはある。4月の南北首脳会談の「板門店宣言」に盛られた「完全な非核化を通じた核のない朝鮮半島の実現」という南北の共通目標について、北朝鮮は「非核兵器地帯化」と解釈している。これは、朝鮮半島への核の配備・使用だけでなく、核兵器の搭載可能な戦略兵器、例えば米軍の戦略爆撃機原子力空母、同潜水艦などを念頭に、朝鮮半島周辺での米軍による核の威嚇や圧力まで排除する狙いがみえる。北朝鮮が恐れる韓国への「核の傘」や米韓軍事演習まで将来にわたって縛りをかける仕組みともいえよう。
 東アジア地域での米国の核戦力は見直しを迫られる。「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」の非核三原則を掲げる日本政府に対し、トランプ米政権が防衛負担増の圧力をかけるシナリオも否定できない。
 朝鮮半島の平和ムードのもと、米韓両政府では在韓米軍約2万8000人が必要かどうかの議論もなされるだろう。韓国大統領、文在寅の外交ブレーンで大統領統一外交安保特別補佐官の文正仁(ムン・ジョンイン)は米外交誌に「平和協定が締結されれば、在韓米軍の駐留を正当化するのは難しい」と述べた。在韓米軍を嫌う北朝鮮と中国に加えて、今後、韓国まで縮小論を唱えるようなら米軍の防衛ラインが朝鮮半島から離れるかもしれない。
 金正恩との会談前に朝鮮戦争終結の早期宣言に意欲を示していたトランプも事の重大性に気づいたのだろうか。米朝高官協議で、米国は「7月27日」案を様々な条件や口実をつけてかわしたという。終戦宣言の最短シナリオを拒まれた北朝鮮は、非核化をめぐる米国の姿勢を「強盗のような態度」といら立ちを隠さなかった。
■「終戦宣言」へ南北共闘
7月27日は朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にあたる(1950年7月29日に朝鮮半島で撮影)=AP
7月27日は朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にあたる(1950年7月29日に朝鮮半島で撮影)=AP
 火種はくすぶり続ける。文在寅シンガポール紙とのインタビューで、南北首脳会談で合意した今年中の終戦宣言に重ねて意欲を示し「時期と形式などについて米朝と緊密に協議していく」と強調した。今後、南北共闘で早期の終戦宣言を米国に迫る展開も予想される。7月27日を通り過ぎれば、当面、第2次世界大戦終戦記念日朝鮮半島では解放記念日)の8月15日や北朝鮮建国70年の9月9日、9月下旬の国連総会に合わせた米朝首脳会談(未定)の際、第2回南北首脳会談から11年となる10月4日などが候補に挙がる。
 韓国は53年の休戦協定締結の際に署名に加わらなかった経緯があり、自らが主導する形での「南北米」による終戦宣言をめざす。中国は自らを排除した3者の枠組みに反対する。関係国の間でも終戦宣言をめぐる主導権争いが激しさを増している。
 中国をにらんで東アジアの安全保障を重視する米国の姿勢は今後も変わらないだろう。大量の核と弾道ミサイル、生物・化学兵器をなお抱えている朝鮮半島終戦を宣言する代償は大きく、安保、経済両面で日本が巻きこまれるリスクは高い。年内とされるXデーの備えはできているだろうか。
(敬称略)
峯岸博(みねぎし・ひろし)
 1992年日本経済新聞社入社。政治記者として主に首相官邸自民党、外務省、旧大蔵省などを担当。2004年から3年間、ソウル駐在。15年~18年3月までソウル支局長。2度の日朝首脳会談平壌で取材した。現在、編集委員論説委員。近著に「韓国の憂鬱」