宇宙を舞台にトップ営業 培った人脈で新たな「任務」

宇宙を舞台にトップ営業 培った人脈で新たな「任務」 JAXA理事・宇宙飛行士 若田光一


2018/8/30
JAXA理事・宇宙飛行士の若田光一
 宇宙航空研究開発機構JAXA)の理事で宇宙飛行士の若田光一さん(55)は「宇宙開発の流れが大きく変わってきた」と話す。国が主導してきた時代から、企業が存在感を示す時代へと移るなか、どのようにかじ取りをしていくのか。(前回の記事は「宇宙に『あうんの呼吸』ない 極限で磨いたリーダー力」)
■「地球低軌道」を経済活動の場に
 ――国際宇宙ステーションISS)を率いたリーダーシップが理事でも求められますね。
 「宇宙ステーション船長の時は、状況判断だけは間違えないようにしようと思っていました。リーダーがどう考えたのかを部下はずっと覚えていますからね。判断を誤ると、『こいつはリーダーとして適格か』となります」
 「リーダーが外部の組織にどのような対応をするのかも部下はよくみています。宇宙ステーション滞在中は、地上の管制局にもはっきりとモノを言うようにしました。チームメンバーの前ではそれが重要です」
 ――ここ数年、宇宙開発の世界に変革が起きています。まさに状況判断が問われる局面ですね。
 「有人宇宙開発の仕事をずっとしてきましたが、世界各国がここまで民間の参入を促す努力をするのは初めてです。日本も乗り遅れてはいけません」
 「今の宇宙ステーションは日本や米国の政府機関などが税金で運用しています。世界の流れを受け、JAXAでも民間主体で事業をどう展開できるかを考えています。宇宙ステーションのある(地球近くの)地球低軌道を『経済活動の場』にするのが大きな目標です」
 ――最近は企業との交流も多いそうですね。海外の宇宙飛行士から、ビジネスマンのようだと言われませんか。
 「そう言われるくらいにならないといけないですね。日本の宇宙産業は3000億円くらいの規模しかない。そこで、私たちの経験を活用してもらう機会を設けました。『宇宙イノベーションパートナーシップ(J-SPARC)』と言います。JAXAには、いろいろな専門人材がいます。宇宙と関わりのなかった企業を含め産業界から色々なアイデアを出してもらい、共に事業をつくっていきます。『共創』です」
 「先日も相談会であいさつをしました。参加者87人の半分くらいが、宇宙とは関係のない企業の方でした。たくさんの方が興味を持っていることが分かり、意を強くしました」

 「米国は有人宇宙機でさえも民間が作れます。多くの企業が市場に参加している印象です。日本でも、宇宙ステーションにある日本の実験棟『きぼう』で、超小型衛星を放出する事業を日本のベンチャー企業であるスペースBD(東京・中央)と三井物産が展開することになりました。『経済活動の場に』という目標に向かってジャイアント・リープ(大きな飛躍)とまでは言いませんが、大きな一歩だと思っています」
■技術力があってこそ日本の存在感が高まる
技術力があってこそ日本の存在感が高まると語る
 ――宇宙ビジネスのトップ営業といったところですね。JAXA理事として、ビジネスをどう広げていこうとしていますか。
 「超小型衛星の放出事業でいえば、日本の2社は米国の企業からみれば競争相手になります。ただ、競争は重要ですが、つぶし合ってはいけません。事業者が増え、互いに補い合い、世界で市場を大きくする発想が必要です」
 「私は有人宇宙開発の分野で長く仕事をしてきたおかげで、信頼関係のある仲間がたくさんいます。『世界でパートナーシップを広げていこう』と、米航空宇宙局(NASA)や米国のビジネス界にも訴えていきます」
 ――民間の事業が広がると、若田さんの役割はどんなものになるのでしょうか。
 「地球低軌道の利用が民間中心になれば、NASAJAXA欧州宇宙機関ESA)といった国の機関は月や火星のような遠いところの探査に資金と人を集中できます。国際宇宙探査は、国策として進めていかなければなりません。そこにJAXAの存在意義があります」
 「なぜ自分が宇宙ステーションの船長を担当できたのかを考えると、私も努力をしましたが、日本の技術に対する信頼が根底にあったと思います。日本は、宇宙ステーションに物資を届ける無人補給機『こうのとり』のミッションを6号機まで全て成功しています。宇宙先進国のロシアや米国でさえ、打ち上げの失敗で補給ができないときがありました」
 「日本の着実な技術貢献があって、『日本人を宇宙ステーションのリーダーにしてもいい』となったのではないでしょうか。月や火星の国際宇宙探査でも、日本が主体的な役割を果たせるようにかじ取りをしていくのが重要な任務です。私が一緒に仕事をさせてもらった世界各国の皆さんとのネットワークを最大限に活用していきます」
 ――最近は欧米以外の国々との協力も盛んになっています。
 「宇宙先進国の仲間入りをした日本が、新興国キャパシティー・ビルディング(能力構築)に貢献することは重要です。理事になった4月から、アラブ首長国連邦UAE)の宇宙機関の諮問委員を務め、アドバイスをしています」
 「UAEは宇宙新興国ですが、先日は宇宙ステーションに宇宙飛行士を送ると公表しました。100年後には火星に都市をつくる遠大な構想も掲げています。諮問委員には、NASAESAの長官経験者らも名を連ねています」
 「UAEの支援だけではありません。最近、実験棟『きぼう』からケニアコスタリカの衛星を宇宙に放ちました。両国やモンゴルなど、日本がその国にとって初めての衛星を宇宙に送る機会が増えています。九州工業大学北海道大学東北大学のほか、国連宇宙部を通じて宇宙新興国の科学技術力向上に貢献しています」

 ――若田さんの言葉は日本を代表してのものですか。それとも人類のために声を上げているのでしょうか。
 「難しい質問ですね。人類の活動領域を宇宙に広げるという私の主張は変わりません。ただ、各国の中途半端な協力関係だけでは人類が恩恵を得る成果は出てこない。技術開発などで切磋琢磨(せっさたくま)しつつ、協力できる分野では協力する。厳しい競争を通じて技術を向上させ、人類全体の豊かさにつなげていく。日本も科学技術立国として、きちんと主張していくことが重要です」
■常に難しい課題にチャレンジ
超小型衛星の放出事業を担う企業トップらと握手する若田さん(中央)。宇宙ステーションの民間利用へ大きな一歩という(5月)
 ――理事としての苦労はありますか。JAXAの元理事が関わった汚職事件もありました。
 「事件は非常に残念です。JAXAの役職員として、守るべきことをきちんと果たしていかなければなりません。部下を含めて再徹底し、日々の業務にあたるよう伝えました。組織の力はチーム力です。リーダーに対し、常に色々なアイデアや意見を言い合える環境が大切だと思っています」
 ――次の世代の育成も課題ですね。どう取り組みますか。
 「後輩が仕事をしやすいように支えます。これまでもそうやってきました。私が理想だと思うリーダーは、チーム全体の仕事を把握し、何が大事かを無言で教えてくれました。リーダーを完全にまねることはできなくても、うまく盗むっていうのが重要かなと思いますね」
 「ロシアのゲナディ・パダルカ船長からは多くを学びましたが、私は何度も怒られました。でも私が地球に帰るとき、滞在中のメンバーで泣いていたのはパダルカさんだけでした。けっこう厳しいことを言ってんだけど、こういうときは男泣きするんだなと」
 「宇宙の閉鎖環境でチームの能力を引き出すためには、集団行動能力やリーダーシップ、フォロワーシップなどが必要になります。カリキュラムには、原型となるものがあります。それでも時代によって刻一刻とかわる宇宙開発の状況を踏まえ、必要な訓練内容に進化させないといけない。後輩の育成は常に考えながらやってきています」
 ――当面の目標は何ですか。
 「宇宙ステーションの利用で、費用対効果を含めて最大の成果を上げることです。9月11日に打ち上げる『こうのとり7号機』では小型カプセルを宇宙ステーションに運び、宇宙実験のサンプルを入れて、日本の近海に下ろします。米国やロシアの宇宙船は宇宙実験のサンプルを持ち帰った実績がありますが、日本では初めての試みです。宇宙開発の自立性を高めていくのが私たちに課された任務。全力でリーダーシップをとっていきます」
 「2019年には野口聡一宇宙飛行士、20年に星出彰彦宇宙飛行士が日本人として初めて宇宙ステーションに連続滞在します。星出さんは船長になります。東京五輪パラリンピックの時に日本人宇宙飛行士の頑張る姿をアピールしたいですね」
 ――挑戦の連続ですね。
 「どんどん難しくなっちゃう。ISSプログラムマネージャーもJAXAで2年間やりました。日本の無人補給機の打ち上げ時期や日本人宇宙飛行士の滞在期間などを調整するんです。各国にも同様のマネージャーがいますが、宇宙飛行士でその業務を務めたのは世界でも私だけ。新しい課題を突きつけられ、試練が毎日続いている感じです」
 「私は定年の60歳まで現役の宇宙飛行士でいたい。宇宙飛行はあと1回あるかな。毎朝、ジムに行きます。航空機の操縦訓練も時間は少ないですがやっています」
 「理事や宇宙飛行士と肩書は変わっても、私が情熱を傾けられるのは宇宙飛行です。宇宙飛行のためにやらなければいけない仕事はたくさんあります。それぞれの人が自分の持ち場で士気を保ち、この仕事を頑張ろうと思ってもらえるように努力したい。私も情熱を失わないように仕事をしていきます」

若田光一
 1989年、九州大学大学院工学研究科修士課程修了、日本航空入社。92年、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構JAXA)の宇宙飛行士候補に選抜。96年、米スペースシャトルで初飛行。2009年と13~14年には国際宇宙ステーションISS)に長期滞在し、14年に日本人初のISS船長に就いた。18年4月からJAXA理事。