早坂隆 メディアが決して伝えない「世界からみた日本」

早坂隆 メディアが決して伝えない「世界からみた日本」

2018年11月29日 公開
早坂隆(ノンフィクション作家)

 

「日本か。素晴らしい国なんだろうな。まるで夢の国みたいだ。行ってみたいけど、僕には一生、絶対に無理だな。世界は不公平だね」

 ノンフィクション作家の早坂隆氏はかつて滞在したルーマニアで、ある子どもにそう声をかけられたという。

  約20年にわたり、50カ国以上を訪れた早坂氏の取材生活の「集大成」というべき紀行エッセイが、今夏に上梓された『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)だ。『歴史街道』誌で1年以上にわたり連載された内容に、大幅の加筆・修正を加えた本書。果たして、そこにはどんな想いが込められているのか。

 

みんな日本にポジティブだった

――執筆の動機から教えていただけますでしょうか。

早坂 これまでに世界のさまざまな場所を歩いて、この目で見てきました。たとえば、約20年前に訪れたルーマニア。1989年に独裁を行なっていたチャウシェスク体制が崩壊すると、親に捨てられたストリート・チルドレンの一部はマンホール内での生活を余儀なくされました。彼らは一体、どんな生活を送っているのか。その様子を知るべく、私はルーマニアに2年間ほど滞在して、実際にマンホール内への潜入取材を続けました。

 そのほかにもサダム・フセイン時代のイラクや、紛争下のイスラエルパレスチナといった、ひとつ間違えれば身に危険が及ぶ地域、また3年前には天皇皇后両陛下の行幸啓に同行するかたちでパラオにも訪れました。

 とにかく「現場」を大切にし続けてきたのが私の取材生活。そんなこれまでの仕事にひとつの区切りをつけたいという想いもあり、まさしく集大成のつもりで筆を執りました。

ルーマニアエイズ専門病院の子供と

――本書の特徴のひとつに、たんなる旅行記ではなく、「日本」がテーマに据えられている点が挙げられます。これはどんな意図からでしょうか。

早坂 50カ国以上を巡り、ほとんどがいわゆる「親日国」だと実感しました。「親日」「反日」という二元論はナンセンスだとも思いますが、それでも世界中の人が日本という国に純粋に興味を抱き、ポジティブなイメージをもっていた。日本のことを悪し様に語る人はほんの一握りなのです。

 むしろ2年前に「保育園落ちた日本死ね!!」という題のブログが脚光を浴びたように、日本人のほうがよっぽど、自国にネガティブな言葉を投げつけています。私自身、そんな国内の空気に違和感を覚えましたし、「じゃあ世界は日本をどう捉えているのか」を、いまこそ伝えたいと思い至りました。

――「日本礼賛本」は書店に数多く並びます。そのなかで、早坂さんは私たち日本人の目線ではなく、世界の人びとの目線で日本をご覧になられたのですね。

早坂 一時期ほどではないにせよ、いまなお日本人が「日本って凄いよね」と持ち上げる傾向は強いですよね。それもひとつのスタイルだとは思いますが、じつは海外の人のほうが日本のことを冷静かつ的確に見ているものです。そして彼らには、日本人にはない視点がある。

 たとえば、歴史。日本ではさほど有名でない出来事や偉人が、海外でよく知られているケースは少なくない。トルコのエルトゥールル号の逸話は近年では映画化されたりテレビで取り上げられたりしましたが、10年前、どれだけの日本人が知っていたでしょうか。

 またイスラエルでは、第2次世界大戦前夜に多くのユダヤ人を救った陸軍中将・樋口季一郎が尊敬を集めていますが、日本での知名度杉原千畝に遠く及びません。

――東アジアなど大東亜戦争(太平洋戦争)の戦地にも足を運ばれていますね。

早坂 特攻隊発祥の地であるフィリピンでは、いまも散華した特攻隊員に敬意が払われています。自分の手で「カミカゼミュージアム」という博物館を開く方がいるほどです。

 日本のメディアが伝える声は、作り手が求める答えに合わせてトリミングされがちです。であるならば、私は「生の声」を伝えたい。そう考えて、本書でも紙幅が許す限り現地で聞いた声を紹介しています。


――本書のタイトルに「路地裏を歩いて」という言葉が入っているとおり、とくに各国の一般の庶民の声が取り上げられています。

早坂 「名もなき人」というと語弊がありますが、市井の人々の声に耳を傾けるのが、私の取材の原点です。現地の人たちとひと言でも多く話をして、酒を酌み交わし、笑い合う……。

 私はそうして彼らの「本音」に触れようと努めました。ルーマニアのマンホールで暮らす子どもたちは、親に捨てられたり、ドラッグに関わったりしながら生きている。非常にナイーブな話なので、フラッと足を運んで話を聞いても口を開いてくれません。

 だから私は移住して、現地の言葉もイチから覚えて、来る日も来る日もマンホールに潜ったのです。するといつしか、「タカシ、また来たか」と心を開いてくれる。形式的な取材で話を聞いても、上っ面の言葉しか引き出せません。私自身、彼らから話を「聞く」のではなく、「聞かせていただく」という姿勢を大切にしました。

――世界各地を巡るなかで、最も印象的だった「本音」は何でしょうか。

早坂 一時期、日本ではネットカフェ難民という言葉が流行りましたよね。ただ、ネットカフェではインターネットができて、ソファがあり、空調がきき、ドリンクは飲み放題で、テレビを見ることができる……。これのどこが「難民」なのか。

 ある国の住民に話したところ、「一度でいいからそんな生活がしてみたい」と呟いていたのが印象的です。ルーマニアのマンホール・チルドレンのひとりは、「僕は日本に生まれたかった」と語っていた。とても重たい「叫び」です。やがて私は、日本に生まれたことは「宝くじに当たった」ほど貴重なことだったんだな、と感じるようになりました。

 もちろん日本だって、多くの問題を抱えています。でも、どの国にも多かれ少なかれ問題はあり、わが国は相対的にみれば少ない方でしょう。

 世界を巡れば、未だに貧困や独裁が蔓延っている「現実」が分かります。世界のスタンダードでいえば、国民が餓死しないだけでも合格なのです。それなのに、日本では宝くじの「当たり券」を持っているのに換金せずに無駄にする人が多い。

 日常に追われ、余裕がなくなれば日本の悪い部分ばかりが目につきがちですが、それでも私たちは十二分に恵まれており、数えきれないほどのチャンスが広がっている環境にいるのです。


ユーゴスラビアのロマの集落を訪ねて

 

書を持って町に出よう

――衣・食・住をはじめとする世界の文化を知ることができるのも、本書の醍醐味です。

早坂 食でいえば、ハンガリーで「あれ、これモンゴルでも食べたな」と思って調べたら同根だった、という経験がありました。また、ルーマニアの肉団子と似た料理がセルビアにもあったなど、多くの国を巡ったから出会える「気付き」がありました。

 さらに面白いのは、世界各地の文化に触れていると、やがて日本との不思議な繋がりが見えてくる、ということ。詳細は本書を手にとっていただきたいのですが、チェスと将棋は、由来となる遊びは同じで、ヨーロッパとアジアにそれぞれ伝わる過程で、その土地の文化・風習にあわせてルールも変わっていきました。

 日本人は、日本は世界の端っこで鎖国もしていたから世界史とは関わりが薄いと認識しがちです。しかしじつは、意外な繋がりがたくさんあるのです。

――早坂さんといえば、累計100万部を超える「ジョーク集」シリーズでも有名です。海外のルポと「ジョーク集」はややジャンルが異なるようにも思いますが。

早坂 たしかに、よく「幅広く書き分けられていますね」と言われるのですが、自分としてはノンフィクションとジョークが異なるジャンルという感覚はありません。

 ジョークは権力者ではなく庶民の想いがひとつの形になったもの。そう考えると、名もなき人の声に向き合う自分の取材スタイルの延長線上にあります。だから私にとっては海外ルポもジョークも同じ世界観なんです。

 中東のパレスチナに滞在していたとき、日本の新聞記者やジャーナリスト志望の若い人間とよく乗り合いバスで紛争地に向かいましたが、私はひとりジョークを集めていた。当時は「何をやっているんだ」と言われたものですが(苦笑)、皆で同じ写真を撮っても仕方がない。

 ジョークで笑い合っていた人が、次の日には命を落としているかもしれない。それが紛争地の現実です。新聞やテレビでは悲惨な面ばかりが報道されますが、普通に暮らす人が戦禍に巻き込まれている部分まで目を向けてこそ、「紛争を伝える」ということに繋がるのではないでしょうか。

 「硬軟」「清濁」などさまざまな言葉がありますが、何事も両面あるのがこの世の中。私はその両方を伝えたいと思っていますし、その意味では「ジョーク集」の背景を知ることができるのが本書なのかもしれません。

――最後に、本書をどんな方に読んでほしいですか。

早坂 とくに若い人ですね。彼らには、もっと旅に出てほしい。いまはネットで情報はいくらでも手に入ると思われがちですが、それでも現地に行かないと分からないことは山ほどある。古臭い言い方かもしれませんが、汗をかいて、現地の匂いを嗅ぐことが大切なのです。そのなかで恋愛してもいいし、仕事を見つけてもいい。「心を動かされる」経験はネットで写真を見るだけではできないのです。

 そんな旅のお供に本書を選んでいただければ、作家冥利に尽きます。「書を捨てよ、町へ出よう」とは寺山修司の言葉ですが、私は書を持って町に出ればいいと思う。むしろそれこそが、頭も体も鍛えられる一番の方法ではないでしょうか。