消えた目玉「タイ高速鉄道」 日本の一帯一路協力
消えた目玉「タイ高速鉄道」 日本の一帯一路協力
アジア・エディター 高橋徹
応札した企業に日本勢の名前はなかった。
11月12日。タイのスワンナプーム、ドンムアン、ウタパオの3つの国際空港を結ぶ高速鉄道計画の事業主体を選ぶ入札が行われた。手を挙げたのは大手財閥チャロン・ポカパン(CP)グループ、高架鉄道運営のBTSグループ・ホールディングスがそれぞれ主導する企業連合。落札者は近く決まる。
幻に終わったタイ高速鉄道での日中協力。伏線はその半月前にあった。
10月26日、北京での首脳会談に合わせて開いた「日中第三国市場協力フォーラム」。約500人の経済人が安倍晋三首相に同行し、日本でも中国でもない「第三国」でのインフラ整備へ、中国側と52件の協力覚書を結んだ。タイの3空港間鉄道は当初、その目玉案件と注目されていた。ところが蓋を開けると、リストから抜け落ちていた。
バンコクから東へ向かう3空港間鉄道は、全長220キロメートルを1時間でつなぐ。1980年代に開発した臨海工業地帯を高度産業の集積地に変える「東部経済回廊(EEC)計画」の柱だ。短時間での往来を可能にし、海外から投資や高度人材を引き付ける狙いがある。
タイではバンコクを起点にラオス国境へ延びる東北線、古都チェンマイとつなぐ北部線に続き、3本目の高速鉄道計画となる。東北線は中国、北部線は日本が協力している。3本目はどちらか。東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主を自任するタイへの影響力を競ってきた日中は、互いに譲れない状況に陥った。
事態が一気に動いたのは、今年5月だ。
「3空港間鉄道は日本がイニシアチブをとり、日中協力で推進したい」。5月3日、国際協力銀行の前田匡史副総裁(当時、6月に総裁へ昇格)がタイのプラユット暫定首相を表敬訪問し、安倍政権の意向を伝えた。内閣官房参与の立場での発言とみられた。日中のバランスに腐心するタイには渡りに船の申し出だった。
流れは加速する。5月9日、来日した李克強(リー・クォーチャン)首相と安倍首相との首脳会談で、日中は第三国協力を推進する官民委員会の設置に合意した。タイの3空港間鉄道はモデルケースに位置付けられた。5月31日には中国からの視察団の訪タイに合わせ、バンコクで日中協力をテーマとするセミナーを開催。在タイ日本企業への告知はわずか6日前という急ごしらえだった。
12年の尖閣諸島の国有化で冷え切った中国との関係を修復したい日本と、対米摩擦下で日本に接近したい中国。米国を刺激しないため、広域経済圏構想「一帯一路」を「第三国」と言い換え、経済から関係改善を進める思惑で一致していた。
その第1弾としてタイに目をつけた理由を、経済産業省の幹部が解説する。「中国との間で南シナ海問題を抱えるベトナム、日本の受注が確実視されていた高速鉄道を中国に渡したインドネシア、一帯一路を警戒するインドは、なかなか日中協力の場とはいかない。その点、タイは手ごろだった」
それ以上に魅力的なのは、おあつらえ向きな「ひな型」の存在だった。
日本政府が念頭に置いていたのは、CPと伊藤忠、中国国有の中国中信集団(CITIC)の3社提携の枠組み。14年に相互出資した伊藤忠とCPは翌15年、共同でCITIC傘下企業に資本参加した。この出来合いの枠組みを活用すれば、3カ国の企業連合をゼロからつくる手間が省ける。
中国と一緒にやるが、主導権は我々が握る――。日本政府が豪語した構想はしかし、すぐに行き詰まる。肝心の伊藤忠の腰が引けていたからだ。
3空港間鉄道は官民パートナーシップ(PPP)方式をとっており、総事業費2200億バーツ(約7500億円)の大半は民間負担になる。一方で需要見通しは厳しく「大赤字は免れない」(関係者)。建設費を圧縮するため、日本は準高速鉄道への変更を打診したが、タイ政府は「3空港を1時間で結ぶ」という条件にこだわった。
それでもCPの場合は、沿線に持つエビ養殖田などの土地の評価額上昇や主要駅周辺の再開発事業で、鉄道の赤字を穴埋めする算段が描ける。
国家の威信を背負う中国国有企業も、リスク許容度が日本企業と異なる。最終的に企業連合には中国鉄建が入ったが、首尾よく落札すれば、CITICを含む複数企業が後から加わる構えだ。
結局、伊藤忠は計画から降りた。コーディネート役の商社が抜け、車両受注を期待する日立の参加も立ち消えになった。大山鳴動の後に残ったのは、東南アジアでのインフラ事業をまたも中国に奪われそうな現実だ。
日本政府が第三国協力に熱心なのは、中国と対決ではなく協調することで、アジアで日本が築き上げてきた経済権益を守ろうとする意図が透ける。だが経済合理性でしか動けない企業は、政治的な思惑で吹く笛に、簡単には踊ってくれない。
10月の首脳会談時に合意した52案件も、生煮えでかき集めた印象が拭えない。企業からは「中国と協力すべき事業は、言われなくてもやってきた」と不満の声が漏れる。政府が先走り、民間がついていけない中国とのインフラ協力は、掛け声倒れの予感が漂う。
=随時掲載
高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を経て2010年から5年間、バンコク支局長。18年4月アジア・エディター。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。