安すぎて開発できず アルツハイマー病治療薬の苦悩 科学記者の目 編集委員 滝順一

安すぎて開発できず アルツハイマー病治療薬の苦悩
科学記者の目 編集委員 滝順一

コラム(テクノロジー)
(1/2ページ) 2018/2/4 6:30 日本経済新聞 電子版
アルツハイマー病患者の脳では2種類のたんぱく質が異常に蓄積していることがわかっている。その1つがアミロイド・ベータで脳に沈着して老人斑を作り、もう1つのタウは神経細胞内に凝集して神経細胞を殺してしまう。アミロイド・ベータを標的にした治療薬の実用化が世界的に苦戦するなか、タウを狙った薬の開発に注目が集まるが、その先駆者たちは「薬の値段」の壁にぶつかっている。
■マウスで記憶障害の改善効果を確認
新しい診断薬を使うと、臨床症状に適合した場所にタウの凝集がはっきり見える(提供は量子科学技術研究開発機構・放射線医学総合研究所)
新しい診断薬を使うと、臨床症状に適合した場所にタウの凝集がはっきり見える(提供は量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所
「タウたんぱく質の病変を可視化できる陽電子放射断層撮影(PET)用診断薬を世界に先駆けて実現する」と、量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所脳機能イメージング研究部の樋口真人チームリーダーは話す。
タウは細胞内の物質輸送に関係するたんぱく質で、どんな細胞にも存在するが、アルツハイマー病をはじめいくつかの脳神経系の病気ではタウが過剰にリン酸化し細胞内に蓄積することがわかっている。糸くずがからみあったようなかたまり(神経原線維変化)となり細胞死を招く。
樋口リーダーらは2013年にタウに結合する標識薬剤「PBB3」を開発し、アルツハイマー病の患者の脳のどこに異常なタウがたまっているかをPET画像でとらえることに世界で初めて成功した。「発症の初期では脳の奥深いところにある海馬付近で集積があり症状が進むにつれ広い領域に拡大することが確かめられた」。これは臨床で知られてきたタウ病変の広がり方と一致する。
その後、より明瞭にタウの蓄積を可視化できる「PM-PBB3」と名付けた第2世代の薬を開発、台湾発のバイオベンチャーであるアプリノイア社と組んで台湾と日本国内で臨床試験を始めようとしている。国内では今年7月ごろの開始を目指し医薬品医薬機器総合機構(PMDA)と相談しているという。
既存の抗生物質のなかにアルツハイマー病の進行を抑制する作用を見いだした富山貴美大阪市立大学大学院准教授
既存の抗生物質のなかにアルツハイマー病の進行を抑制する作用を見いだした富山貴美大阪市立大学大学院准教授
タウの蓄積が可視化されることによりアルツハイマー病の診断や治療において「タウの方がアミロイド・ベータに比べて標的として望ましいことがはっきりしてきた」と大阪市立大学の富山貴美准教授は言う。タウの蓄積場所と臨床症状が一致するからだ。例えば、記憶障害の患者では記憶に関連した海馬や側頭葉にタウの蓄積がみられ、言語障害では側頭葉、頭頂葉にみられる。
富山准教授はタウが過剰にリン酸化されて「タウオリゴマー(重合体)」をつくることが病変の端緒だとみて、タウのリン酸化を抑える抗体を帝人ファーマと共同開発した。「Ta1505」と名付けた抗体をタウ病変を発症するマウスに投与すると、神経原線維変化を抑制し記憶障害を改善する効果があることを確かめた。
帝人は17年にこの抗体技術の開発・製造・販売権を製薬大手の米メルクに供与した。メルクが人間での臨床試験を実施し実用化に持ち込めるかが注目される。

■治療から予防へ 安価な既存薬の転用を目指すも…
その後、富山准教授は安全性がすでに確認されている既存の医薬品や食品に含まれる成分からタウ病変に効く候補物質を探す方向に転じ、これまでにリファンピシンという抗生物質がマウスでの実験で認知機能の改善効果があることを見つけた。
アルツハイマー病は発症してからの治療より発症前の予防に研究の焦点が移っている。(開発費などが巨額なため)高価な抗体医薬は多くの人が利用する予防薬としては使えない」からだ。
リファンピシンは結核などに効く薬で値段も安くジェネリック医薬品として提供されている。富山准教授の狙いを満たす候補だ。肝障害の副作用があることがわかっているが、長期間の投与のためには経口投与を避け、経鼻投与で脳に到達するようにし肝臓に負担をかけないようにすればよいと考えられる。
既存薬をこれまでの用途とは異なる病気の治療に転用することを「ドラッグ・リポジショニング(既存薬再開発)」と呼ぶ。リファンピシンをアルツハイマー予防薬にリポジショニングするためにはアルツハイマー病を対象にした効果などをヒトで調べる臨床試験が必要だ。しかし今のところ試験に乗り出そうという製薬会社はないという。リファンピシンは特許切れでだれでも製造できるため、コストとリスクを払って製薬会社が再開発しても元が取れない恐れがあるためだ。
タウたんぱくの凝集を妨げる新薬候補を見つけた高島明彦学習院大学教授
タウたんぱくの凝集を妨げる新薬候補を見つけた高島明彦学習院大学教授
学習院大学の高島明彦教授はリン酸化したタウが凝集するプロセスを邪魔することにより神経原線維変化を抑制し神経細胞の死滅を妨げる薬を狙っている。
約6600もの化合物を試した結果、「イソプロテレノール」という物質がタウの凝集阻害に効果があることをマウスの実験で突き止めた。イソプロテレノールもぜんそくなどの治療に広く使われている既存薬だ。心拍をあげる副作用が知られているため人間での長期の使用には投与法を工夫しなければならないが、病気の進行を食い止める効果が期待できる。
臨床試験で試してみたいと思うのだが、取り組んでくれる製薬会社はない」と高島教授は言う。ここでもリファンピシンと同様に、安価な既存薬であるがゆえに製薬会社の新規用途への開発意欲が失われている。薬が高コストすぎて開発できないのではなく、安すぎてつくれないというのは皮肉な話だ。
製薬会社による臨床試験が難しいなら、国の資金を投じた医師主導の試験で効果や安全性を確認する手もあるはずだが、どちらの候補物質にも十分な資金が投じられている状況とはいえない。
■タウへの注目遅れた日本 研究資金が不足
アルツハイマー病治療薬の研究はこれまで主にアミロイド・ベータを標的に進められてきた。世界的にそうだったが、アミロイドの沈着があっても神経細胞が死なないケースもあることがわかり、海外ではタウを標的にした研究に切り替わる傾向が10年以上前からみえていた。またアミロイド・ベータの沈着が進んで病気の症状が出てからでは治療は間に合わないことがわかりアルツハイマー病は治療から発症前の予防に重点が置かれるようになった。
日本国内ではタウへの注目が遅れた結果、アミロイド・ベータに比べタウには研究資金がまわらない状況が続いているようだ。研究の方向性を見直す時期にあるのかもしれない。