「妊婦加算」は、なぜ凍結に

「妊婦加算」は、なぜ凍結に

国の政策が、1年も経たずに凍結。
そんな異例の事態に発展したきっかけは、ツイッターのつぶやきだった。

ーー妊婦が医療機関を受診した際に上乗せされる「妊婦加算」、なぜ瞬く間に凍結に追い込まれたのか。その背景を追った。
(政治部 厚生労働省担当・安田早織、進次郎番・根本幸太郎)

きっかけは「つぶやき」

「皮膚科に行ったら、妊婦加算がついた。なんで余分にとられるのか」
コンタクトレンズの処方箋にも妊婦加算があった」
去年9月以降、ツイッターに寄せられた投稿。すぐに、反応がリツイートされた。
中には「妊婦が丁寧な診療を受けたことに対する加算だ」として理解を示すものもあったが、「制度を知らなかった」とか「納得がいかない」というものが目立った。

これに気づいたNHKをはじめとしたメディアによって「妊婦加算」をめぐる報道が相次ぎ、その存在が広く知られるところとなった。

どんな制度か

そもそも「妊婦加算」とは、どんな制度なのか。
妊婦が、歯科を除く医療機関を受診した際に、窓口で支払う医療費の自己負担分に、数百円上乗せされるもので、去年4月に導入されたばかりだった。
妊婦の診療は、医師にとって、胎児への影響を考慮した薬剤の選択など、通常よりも配慮が求められるため、避けたがる傾向にあるという。そこで報酬を上積みすることで、医療機関に妊婦の受け入れを促そうという狙いだった。

「かぜでも産婦人科へ」は困る

実は、導入を求めてきたのは産婦人科医が主体だった。日本産婦人科医会の宮崎亮一郎常務理事と前村俊満幹事によれば、そこには産婦人科のみに負担がのしかかる切迫した事情があるという。
「働く女性の増加などで、妊娠・出産の高年齢化が進み、合併症や早産、胎児の低体重などの問題が増えていて、リスクを伴う診療が増えている。そうした中、『内科を受診したら産婦人科に行けと言われた』などと、かぜをひいた妊婦が産婦人科を訪れてくる。妊婦でも、受け入れてもらえるようにしたかった」

議論なく導入された?

では、なぜこうした狙いが理解されなかったのか。

「妊婦加算」は、「初診」「投薬」など、医療行為ごとに、国が決める「診療報酬」の1つだ。その一部を、私たちは自己負担し、窓口で支払っている。医療機関には、この「診療報酬」に基づき、報酬が支払われる仕組みだ。

「診療報酬」を決めるのは、中医協中央社会保険医療協議会
厚生労働大臣の諮問機関で、健康保険組合や医師会、薬剤師会などで構成され、2年に1度、診療報酬を改定する。「妊婦加算」の導入が協議されたのは、2017年の10月だった。

ただ「診療報酬」は、数千項目におよび膨大だ。すべてを中医協で議論するには限界があり、当時の協議では、地域のかかりつけ医の利用促進や、オンラインによる診療の制度などが、重点的に議論された。

一方で、「妊婦加算」には、関心が集まらなかったようだ。

厚生労働省も「新しい制度が数多く生まれ、把握しきれない。『妊婦加算』は、ほとんど議論にならなかった」と認めている。

さらに周知も遅れた。厚生労働省が、制度に関するリーフレットを作成したのは、ツイッターで騒ぎになったあとの去年11月。
本来、加算できない診療にも加算していた例も報告されており、患者側だけでなく、医療機関側にも、周知と理解が不十分だったと言える。

導入時に、周知も含め十分に議論されなかったことが、背景にありそうだ。

狭まる包囲網

ツイッターの投稿以降、ニュースでも取り上げられるようになり、批判が高まったのは、厚生労働省にとっても想定外だったが、ただちに見直そうという雰囲気は感じられなかった。

しかし、厚生労働省に見直しを迫る力が加わった。
口火を切ったのは、自民党の厚生労働部会の部会長を務める小泉進次郎氏。
「社会全体で、子育てを支援するという大方針がある中、一刻も早く正さなければならない。厚生労働省にさらなる対応を促したい」

さらに公明党などからも、見直しを求める意見が相次いだ。
徐々に厚生労働省への包囲網が築かれていった。

少子化対策に逆行している」

そして、去年12月13日。
午前8時から、自民党本部で開かれた厚生労働部会は、熱気に包まれていた。
厚生労働行政に精通した「厚労族」の議員以外も、大勢が出席し、この問題への関心の高さを伺わせた。

「妊婦の自己負担に上乗せするなど、少子化対策に逆行する」
「『妊婦加算』という名称もよくない」

厚生労働省は、加算できる診療を絞り込むことで対応すると説明したが、議論は2時間近くも続いた。
そして部会として、今の仕組みをできるだけ早く見直すよう厚生労働省に求めた。
厚生労働省は追い込まれた。

わずか12時間で異例の決着

厚生労働省でも、着地点を模索する動きが出ていた。

念頭にあったのは、2008年に行われた、ある診療報酬の「凍結」だ。

その診療報酬とは、回復が難しい高齢者の病状が急変した際、延命治療を行うかなどを医師が本人と事前に相談した場合に支払われるというものだった。

厚生労働省の担当局長は、診療報酬をただちに見直すことは現実的ではないとして、「当面凍結するしか方法はない」と意を決した。

そして、自民党の部会の終了後、党の対応について一任を受けた小泉氏に、こうした考えを伝えた。
そこから厚生労働省は次々と対応に追われた。

幹部らが自民党の重鎮議員への説明に奔走。さらに担当の部局が総出で、制度の存続を求める医師会にも理解を求めるため、医師会幹部に電話するなどして説得にあたった。
最終的に、凍結が「一番分かりやすい方法」ということで落ち着いたのが、朝の自民党の部会が終わって12時間後の夜の10時ごろだった。

世論と政治の力に押し切られた、異例の決着となった。

調整にあたった幹部は、疲れた表情で、「医師会が、『完全に政治決定だ』と言っている。これから丁寧に話しを進めなければならない」とこぼした。

そして、翌日。
「妊婦がより安心して医療を受けられるようにする妊婦加算の趣旨は重要だが、それを実現するための手段として適当だったか、改めて考える必要がある」
根本厚生労働大臣が「妊婦加算」を当面、凍結する方針を表明した。

この決着、どう見るか

今回の決着について、小泉氏に聞いた。
厚労省の最終判断を評価しています。なにがいちばん、前向きな議論のきっかけにできるかということを考えたら、やはり分かりやすい結果を出すということは僕はすごく大切なことだと思うので、凍結については良かったと思います。頑張っている医療機関に評価が必要だという考え方になんの異論もないです。産科医さんたちを含めて、他の診療科がより積極的に妊婦さんたちを診てくれるような環境を作りたいという思いも全く否定するものでもない。しかし、どんな制度も国民の理解を抜きに持続可能なものはありません」
「今までの政治の常識で、行政の常識で、診療報酬というのは2年に1回決めるものですからどんな批判があろうとも、そこまで何もいじりませんということを続けていて、それは誰にとってプラスでしたか、って言いたい。次の改定までずっと放置されているとしたらそのことで失う政治の信頼、それと制度に対する信頼、そのダメージの方がぼくは大きかったと思いますよ」

しかし、制度の導入を求めていた医師らは「負担の面にばかり注目が集まり、このような結果になって非常に残念だ。『妊婦加算』を復活させるか、もしくは別の手立てで、妊婦が安心して医療を受けられるよう、早期に制度を整備してもらいたい」と訴える。

妊婦加算はとりあえず凍結されたが、どうやって妊婦を支えていくのかという議論は、十分尽くされていないままでの決定ではなかったかという思いは拭えない。「妊婦の自己負担を、公費で助成すべき」といった意見もあるが、いずれにしても、議論は、またゼロからのスタートだ。
今後の具体的な議論は、来年の診療報酬改定に向けて、厚生労働省が設置する有識者会議などに委ねられる。

小泉氏は、国民理解を得やすくするため、開かれた議論が必要だと強調する。
「次の診療報酬の改定で『妊婦加算』のあり方がどういう形になるのか、間違いなく注目が高まる。国民理解のない制度は、よい制度だとは言えないですよね」
医療現場に責任を持つ医師の意見も、負担を強いられる妊婦の不満も、少子化対策に逆行するという政治家の指摘も、それぞれ理解できる。

だからこそ、幅広い理解が得られる最善策を模索することが求められているのではないだろうか。

妊婦や医療現場が置かれている状況を考えれば、議論できる時間は、そう長くはないだろう。

「妊婦加算」が投げかけたもの

そして今回の問題は、単に「妊婦加算」に限ったことなのではないのだ。小泉氏はこうも語る。

「この妊婦加算、厚労大臣経験者とか部会の先輩とかそういった方に話を聞いても、ほとんど政治の場で議論していなかったというんですから。それは政治の責任もあると思いますし、最終的な決定をする中医協でもこういう(妊婦の負担につながるという)受け止めが広がるかもしれないっていう議論がなかったと聞いています。おもしろいのは、メディアも当時気づいていなかった」

「妊婦加算だけではなく、次の診療報酬に対する注目の変化。今までの中医協はあまりにも専門性が高いから、注目が向かなかったところに向くというのは良い緊張感になると思いますよ。国民の批判が高まって、今回の凍結のようなことだってあり得る、と思ったら、制度改正とか新制度の導入とか、より精緻に議論するじゃないですか。それで、よりユーザーの目が入る、考えるようになる」
「みんな次の改定に向けて妊婦加算のような制度がないか、鵜の目鷹の目になって探すと思いますよ。これは今後増えていく医療需要と財政と、社会保障のあり方に直結している話なので、妊婦加算の凍結という1つの政治の判断が問うたものっていうのは、妊婦加算の今後だけではないということも言えるんじゃないですか」

妊婦によるツイッターへの投稿がきっかけだった、今回の問題。一連の取材を通して、私たちは、はじめから妊婦の目線で取材できていただろうか、と考えさせられた。
社会保障のあり方にはいっそう関心が集まるだろうが、膨大な社会保障の制度に埋もれることなく、不合理な点を指摘できるような、厳しい姿勢で見ていきたい。