行き場のない東京の街で・・・。

行き場のない東京の街で・・・。
日本へ逃れてきた難民、ニーナさんを待っていた厳しい生活とは?

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カメルーンで続く弾圧。平和を求めて戦うニーナさんに迫った危機


カメルーンは、人口の五分の四がフランス語話者、残りの五分の一が英語話者として成り立っています。
そのため、英語話者は少数派として長年弾圧されてきました。

昨年に、少数派の教師や弁護士たちが平和的解決に向かうためのデモを始め、ニーナさん(仮名・30歳女性)という一人の女性も参加しました。

しかし、警察や軍の武力による弾圧のため、多くの人たちが殺される瞬間を目の当たりにしました。

年間に400人の民間人が犠牲になり、国を逃れた人は2万人以上にのぼると言われています。
平和的に解決することを望んでいたニーナさんでしたが、カメルーンから日本に一人で逃れてきました。

初めてたどり着いた日本。
公園では、寒くて、怖くて、眠れなかった・・・




日本にたどり着いた日の夜、公園に寝泊まりしたそうです。
女性にとって野宿するということは、いくら日本が安全とはいえ、とても危険なこと。

寝るといっても、これからの生活や、思い入れのあるカメルーンの土地から、一万キロ以上も離れたところにたどり着いた不安で、眠れるはずもないでしょう。

誰も頼る人がいない・・・ようやくたどり着いた先は?


頼る人がいないという現状でも、なんとか自分の力で切り開いていかなければなりません。

ニーナさんがようやくたどり着いた先は、難民支援協会(JAR)でした。

管理しているシェルター(宿泊場所)は満室とのことで、近くのホステルに案内されたそうですが、今までのように公園で寝ることの恐怖や、危険性を感じなくて済むとわかると、安堵のあまり、号泣したと言います。

その後のニーナさんは、5泊の宿泊のあと、空きが出たシェルターに住むことになりました。



シェルターに住める期間は、公的支援が下りるまでの間ですが、この支援が決まれば、郊外のアパートに住むことができるようになります。

ニーナさんは言葉もわからなければ、容易に国に帰れるわけでもないので、難民支援協会の職員に自分の心を開いて話せるまでかなり時間がかかったそうです。

ニーナさんが出会った、「お金に代えがたい温かさ」


郊外のアパートに住むまで2ヶ月ほどかかりましたが、ずっと闇の中もがいていたニーナさんにとって、難民支援協会は、家族のような存在だそう。

いくら日本が平和といっても、公園などでの野宿生活は危険ですし、そんな状態で誰とも話せずにいれば、誰でも精神的に滅入ってしまうのではないでしょうか。

アパートに住むようになってから2ヶ月ぶりに、ニーナさんは難民支援協会の事務所を訪れました。

事務所に入った瞬間、スタッフに近況を話しながら、むせぶように泣きながらこう言いました。

「私はこの人たちに守られているんだなと実感しました」

本当なら毎週でも来たかったけれど、交通費のことを考えると難しかったそうです。
お金に代えがたい温もりを感じた瞬間でした。

「国に帰ったら殺されてしまう」そんな難民が日本にもいる現実




私たちの住む日本に、国に帰ったら殺されてしまうような人がいるという現実自体、知らない人も多いと思います。

東京にある難民支援協会の事務所をを訪れる人数は、多い日では20人以上にのぼります。

待合室には一晩外で過ごしてぐったりしている人や、うつろな表情で自分の順番も待っている人もいるそう。

日本ではあまり報道されませんが、カメルーンコンゴ民主共和国では今も政治が混乱し、深刻な迫害を受けて日本へ命からがら逃れてくる人は少なくありません。

日本にもいる「難民」の方を支援している活動とは?


難民支援協会では、心の支えとなるカウンセリング、緊急支援金の支給、医療機関との連携など、難民へ直接支援を提供しています。

さらに新たな土地で安心して暮らせるように、手続きや就労などさまざまな側面からサポートをしています。



けれど、深刻な状況であるにも関わらず、帰る国、寝る場所、お金がないといった状況から、すべての難民の方に手を差し伸べることができるわけではありません。

難民支援協会の支援が行き届かず、苦しんでいる難民の方は、まだまだたくさんいるのです。

もし、私たちが同じ立場になったら・・・。今私たちにできることとは?


この1、2年間で、ニーナさんのようにアフリカから単身で日本へ逃れてきた女性が増えているそうです。

しかし、日本に逃れてきたからといって、すぐに公的支援を受けられるわけではありません。

難民の方たちが、最初の関門から支援につながるまでの期間は40日間。

この期間は、働くことも認められず、自力で行き抜く必要があります。

難民支援協会にたどり着くまでの間に、大半の方は「ホームレス」状態に陥っていて、100円玉1つを握りしめていた…という方も。

想像してみてください。彼らたちのように、帰る家はおろか国もない、仲間もいない孤独な状態を。

皆さんの「助けたい」という気持ちが多くの難民を救うことにつながります。