【書評】米国人教授は中韓に日本の何を見習えと言っているのか
【書評】米国人教授は中韓に日本の何を見習えと言っているのか
とかく「自虐的」とされる日本人の歴史観ですが、「それこそが日本のアキレス腱」というアメリカ人歴史学者が著した一冊が話題となっています。そんな書籍を、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんがレビューしています。
偏屈BOOK案内:『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』
さいきん、安易に長いタイトルを冠する本が増えているようだが、編集者の怠慢であろう。著者は歴史学者、アメリカの大学で東洋史(とくに中国史)を研究し、その後、韓国で英語教師として働き、現在は麗澤大学外国語学部助教、4冊目の著作。日本という国と日本人の、素晴らしいところ、克服すべきところは何かという問題意識を基底に置いて、歴史や憲法などを論じている。
「独善的記憶喪失者」であるアメリカの、歴史学会の日本に対する偏見は、戦時中よりひどくなっている。罪もないのにいつまでも悔い改めている、それが著者の感じる日本人の特徴だ。自分が悪くなくても謝ってしまう傾向がある。その性質を表す英語はない、ということは日本の独特な心境、精神性なのか。
アメリカ人も、奴隷制度やアメリカン・インディアン虐待、ベトナム戦争での蛮行など、意外とそうした事実を認めている。しかし、「それは自分の責任ではない」つまり「現在の我々とは関係ない」と、過去のことは過去の人の責任で、自分たちは進歩し改善できた人間だと強く信じている。しかし、日本はまだ十分反省していないから贖罪を続けよ、というご都合主義は続いている。
一般的アメリカ人が共有しているのは、自分たちは正義である、従って悪に対しては原爆を使わざるを得なかったというストーリーである。それを矛盾させないために、日本を悪者にし続けなければならない。日本をナチスドイツと同じ存在だと思っている人が、アメリカには大勢いる。戦後70年に行われた大手民間調査機関の調査でも、アメリカ人の56%が原爆投下を正当化している。
アメリカ人は過去を「映画化」する。正義の味方・アメリカが、悪の権化・日本をやっつけたという自己肯定感がものすごく強い。自己肯定感があまりに低い日本とは対照的だ。これは間違いなく、戦後から今に続く「自虐史観」教育の結実だ、とアメリカ人に言われてしまった。著者は大学の授業で、「もし徴兵制度があって、あなたが徴兵されたらどうしますか」と学生たちに尋ねた。
殆どの男子大学生は「行かない」という。自分の意思と関係なく、行かなければならないのが徴兵制度だ。しかし、日本を守るためという理由でも、徴兵を拒否する。「北朝鮮が攻撃してきて、自分の家族の生命が危険に晒されるとしたらどうするか」と問うと「それでも戦わない」と答える。著者は心底驚いた。国も、町も、家族も守ろうという気概がなく「自分は平和主義者だ」と言う。
こういう考え方をする人はアメリカにもいるが、リアリティのない連中だ。武器を持った悪人が家に侵入してきたら、と聞くと「警察を呼びます」だと。武士とカウボーイは過去のものとなった、古き良きものはなくなったと著者は嘆く。白人、キリスト教信者、男らしさを大切にする著者のような人は、レイシスト、ファシストといわれなき批判をされ、攻撃されたのがオバマ時代だった。
著者はちょっと変わったアメリカ人で、「民主主義」は国の基軸にはならないと考える。国旗に忠誠を誓うより、人間に誓ったほうがいいのではないか。象徴だとしても国のトップが交代する際に、厳かに穏やかに譲位できるのは平和の表れだと思う、という皇室が大好きな人。翻ってアメリカは、文化や道徳がないと。だが日本は、グローバル化を勘違いしていると。
日本の総理大臣は、祖国のために命を捧げた人々、英霊に哀悼の意を表し、御霊の安らかな眠りを祈ることが「できない」という異常な状態だ。平和への誓い、祈りを、妨げる勢力がある。アメリカの左翼は別にしても、一般的なアメリカ人は日本人が靖国神社に参拝しようがしまいが、まったく関心がない。しかし、仮にアメリカ人が同じ立場だったら、靖国神社には必ず参拝するはずだ。
「アーリントン墓地に参拝しない」というアメリカ人がいたら、あるいは「参拝するな」という人がいたら、絶対に異常だと思われる。普通の人であれば、祈りを捧げに行くことになんのためらいもないはずだ。「戦争で亡くなった方たちを悼むのは日本人もアメリカ人も、いえ、どの国の人でも同じです」
「歴史観・歴史認識は日本のアキレス腱です。南京大虐殺などは明らかに捏造なのに、何十年もその嘘に振り回されています」。これは史実ではなく「情報戦」だが、日本は明らかに後れを取り、敗北を重ねている。南京大虐殺は西洋では眉唾物とされているのに、当の日本人は嘘を信じている人が少なくない。
そもそも中国人には大虐殺を糾弾する資格はない。いつの時代を見ても、中国人を一番殺しているのは、ときの中国政府である。毛沢東は文化大革命で3,000万人を殺したという。なぜ日本では「自虐史観」が根強いのか。それは日教組の教育界支配が長く続いたからだ。ノンポリの教員が増え、真っ赤な反日教員が定年で減ってはいくが、教育現場には未だに反日思想の残滓が存在する。
著者が大学で専門に教えているのは「日米関係史概説」と「国際関係概説」と「日本文化研究」である。講義をしていて分かったのは、学生たちが高校まで教科書で習ってきた内容で、日本を理解することはほぼできない。自国の歴史、特に近現代史の知識が弱い。アメリカの大学生も同じで、アメリカ史に対する理解はゼロに近い状態だという。そして、日本の自虐史観は客観性に乏しい。
授業ではできるだけ客観的な視点から、日本は人種差別の少ない文化であること、アジアのヨーロッパ植民地解放に貢献したことなどを講義しているが、日本が好きではないという日本人学生が少なくない。「日米関係史概説」最後の授業で、日本とアメリカの国歌を起立してみんなで歌った。「君が代」の成立や詞の内容をアメリカ人に教わって初めて知る若者たち、残念な事態である。