色と欲で破綻した63歳男がつづる底なしの不幸

色と欲で破綻した63歳男がつづる底なしの不幸

「ボダ子」を書いた作家の赤松利市氏に聞く


「欲と色にまみれて破滅していく人間が自分のテーマ」と語る赤松氏(撮影:尾形文繁)
娘の精神障害、会社倒産、東日本大震災……。落ちていく、底なしの穴を落ちていく男を描いた小説。そこに「なぜ?」は存在しない。物語は著者の人生そのものだ。63歳、1人の新人作家がその筆力をもって、読者を救いのない汚穢(おわい)に満ちた世界へと導く。『ボダ子』を書いた作家 の赤松利市氏に聞いた。
──帯にある文言の一部「あらゆる共感を拒絶する、極限」、まさにそのものでした。
自分都合のド腐れ畜生な生きざま、主人公の大西浩平は100%私です。彼の経歴はそのまま私の経歴です。
理数系ながら本好きが高じて大学は文学部へ進学。新卒で入社したのが大手消費者金融でした。父がその会社のオーナーと同窓で、「おまえの息子預けないか?」と。私は嫌だ言うた。それを酒場でぼやいたら、周りが寄ってたかって「バカかおまえは。サラ金はこれからの成長産業やぞ」と。「ほんなら入りますわ」。決めました。
──浩平の父は芝生の病害に関する権威、という設定ですが。
実際、私の父は世界的な植物病理学者でした。植物の後天的抵抗力を世界で初めて立証した人間です。2年間家族でアメリカに招かれ、帰国したのが11歳のとき。だから私、一応帰国子女です(笑)。
──会社では若手筆頭株の活躍を。
27歳で支店長になり、その後営業企画本部で半年間、株式上場に向けた社内規定作りを朝9時から翌朝4時まで連日ぶっとおし。A4×2000枚超。膨大な作業を前に、逆に火が付きましたね。常軌を逸していた。半年後、家に帰ったら嫁さんはいなかった。それで心も体ももう何か壊れちゃってね。それともう1つ、5人チームのうち4人、私以外全員を病院送りにしましたので。最後の1人は精神病院。30歳で会社辞めました。
──でもそこから、さらに辣腕ぶりを発揮する。


父のつてでゴルフ場の芝生管理の仕事を始めた。すぐにあらが見えてきて、品質管理のビジネスモデル特許を取得し、35歳で会社を起こしました。儲かりすぎるくらい儲かって、1人のときも1億円稼いで、起業してからは年商13億円、従業員は125人おったね。バブル景気にギリギリ乗れた。

娘を追って東京にきて路上生活

──しかし、歯車は狂い出す。
赤松利市(あかまつりいち)/1956年生まれ。関西大学文学部卒業。大手消費者金融に入社するが30歳で退社。35歳で起業するも2011年倒産。宮城県で土木作業、福島県で除染作業に携わる。16年帰京。18年初の著作『藻屑蟹』で第1回大藪春彦新人賞受賞、本作が4作目。(撮影:尾形文繁)
3番目の妻との間にできた娘が、境界性パーソナリティー障害、通称ボーダーと診断された。本のタイトル『ボダ子』はその娘のことです。家族を直視せず仕事に走り、金に任せて色と欲にどっぷりつかっていた私は、無数のリストカットで蛇腹と化した娘の腕を知らなかった。まるでひとごとのように引いて見ていた母親から離れ、娘と2人で2年間ワンルームマンションにこもった。自殺を恐れて娘から目を離せず、仕事が回らない。そして倒産。2011年、東日本大震災の年です。
復興景気で一発当てようと、宮城県へ向かいました。土木作業員をやり、福島では除染作業をした。極寒の中の過酷な労働、いじめ、暴力、裏金、不正。そもそも作業員など人間扱いされない。とにかく金を稼ごうと、大きなビジネスを立ち上げようとしたが、思惑どおりにいかない。そんなとき、ボダ子が自分をもてあそぶ男たちと遁走した。身一つで娘を追って東京へ戻りました。そして漫画喫茶か路上で寝る生活が始まった。
──娘さんがボーダーというのも事実なんですか?
ええ、そのとおりです。厄介な病気で20歳までの自殺率が10%超。入院した精神病院で問題を起こして強制退院させられても、転院を受け入れてくれる病院はなかった。これも書いたとおりです。
──ビジネスマンとしての才覚、野望に突き動かされつつ、娘を愛してる。その母親で元妻の、一度スイッチが入ると呪詛(じゅそ)の言葉を延々吐き続ける粘着質、金への異常な執着。そこから逃避したいという浩平、もとい赤松さんの思いは、正直わかるような気がします。
いやクズでしょう、こんなもん。娘に寄り添ってないです。30代で会社起こして、40代は仕事がすべてでイケイケでしたからね。北海道から沖縄まで十数カ所のゴルフ場を回って、忙しくやりすぎた。娘に寄り添ってなかったという反省はあります。娘については、こうして話しているだけで動悸がするんです。きついな、ちょっと。
──ボダ子、娘さんは今どうされているんですか?


わからない。あのとき見つけられなかった。ボダ子の母、元妻も知りません。今籍に入っている4番目の嫁がいるんですけど、彼女とももう10年連絡取ってないです。たぶん苦労してると思うけど。
東京に戻ったときの所持金は5000円。アルバイトに応募しまくって、返事が来たのは3件。違法のキャッチ、キャバクラのボーイ、そして上野のおっぱいパブ。ここで客引きの仕事をしました。
初めて書いた『藻屑蟹』で大藪春彦新人賞を受賞した後、賞金、印税全部渡すという約束で、知人の家に転がり込んだんです。でもこれ書いててね、あかん思うた。自分みたいな人間が、布団のある所で寝ちゃあかんわと。ホームレスに戻るべきやと思って、今は漫画喫茶住まいです。

色と欲で破綻していく人間がテーマ

──でも、2年先まで予約で埋まる注目作家になった。もう居を構えたりしないんですか?
ある程度余裕ができたころ、借家物件を見に行ったんですよ。でも見てるうちに、おまえの居場所は違う、おまえは漫画喫茶で、最後そこから救急搬送されてあの世に旅立つ、そういう生き方でいいと思ったですね。小説書き続けて死ねたらええわと。
『ボダ子』(書影をクリックするとアマゾンのサイトへジャンプします)
東北で土木作業員、除染作業員やって、こっちに帰ってアルバイトを転々とした。その前はバブル後半で会社経営してたので、非正規雇用とか格差社会相対的貧困とか全然実感なかったんです。でも自分で経験してよくわかった。そこから見た今の社会の歪みを書きたいと思いました。1冊書きましたが、すぐ「何を偉そうに」と思った。おまえのテーマは欲と色にまみれて破滅していく人間だろうと。
もう間に合わない作品は仕方ないからそのまま出します。でもその先の長編は第2校までいって、全ボツにしました。平成を生きた1人の男を書いたんですけど、やめました、そんな偉そうなもの。色と欲で破滅していく人間が私のテーマ。『ボダ子』を書いて、本心からテーマにすべきことが何かわかりました。