水素で温暖化を防げるか(複眼) 原田義昭氏/内山田竹志氏/ファティ・ビロル氏

水素で温暖化を防げるか(複眼) 原田義昭氏/内山田竹志氏/ファティ・ビロル氏

時論・創論・複眼
2019/6/20付 日本経済新聞 朝刊
政府は温暖化対策の長期戦略で水素の活用を柱の一つに掲げた。20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でも話題になる見通しだ。温暖化ガスを出さない理想のエネルギー源として期待は高いが、思うように実用化が進んでいない。普及へ向けての課題と解決への道筋を日欧の官民の代表に聞いた。
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■政策誘導で実用化を 環境相 原田義昭
はらだ・よしあき 1968年東大法卒。通産省(現・経産省)などを経て90年衆院議員。厚生政務次官、文科副大臣など歴任、2018年現職。弁護士。74歳。
はらだ・よしあき 1968年東大法卒。通産省(現・経産省)などを経て90年衆院議員。厚生政務次官、文科副大臣など歴任、2018年現職。弁護士。74歳。
日本は二酸化炭素(CO2)排出量を2050年までに80%減らす長期目標を掲げている。パリ協定の目標と照らし合わせると不十分と言われており、実質ゼロにしたいが足元の対策は必ずしもそこへ向かっていない。「究極の環境型エネルギー」である水素エネルギーをどれだけ活用できるかが、決め手の一つになる。
水素エネは理論研究を経て実用段階に入っているが、思うように普及しない。有力な応用分野である燃料電池車(FCV)は水素ステーションが増えず、頭打ちだ。自動車メーカーは燃料電池車よりハイブリッド車(HV)などを重視していた。
そこで水素エネの利用に広がりをもたせるため、列車や船などの公共交通に使えないかと考えている。燃料電池列車を製造しているフランスの鉄道車両大手アルストムの幹部と話す機会があり、ドイツ北部の路線で試乗もした。
いま大事なのは、水素エネを使う技術や製品の需要を創出することだ。いつまでに確実にどのくらい使う、というコミットメント(約束)があればメーカーも動く。それには政府の関与が必要だ。日本でも、たとえば国がJRと組んで燃料電池列車の開発にトライすれば刺激策になる。その後、民間主体のインフラ整備へと移行すればよい。
フランスでは無人水素ステーションも見た。安全管理面などの規制緩和やルールづくりの参考になる。省庁の垣根を越え、オールジャパンで水素エネの利用を推進するつもりだ。
過去を振り返ると、日本は10年ほど前には太陽光技術で圧倒的に強かったのに、いまや惨憺(さんたん)たるものだ。技術は優れていても商売で中国などに負ける。人工知能(AI)やロボット技術も同様だ。水素技術で同じ轍(てつ)を踏むようなことがあってはならない。
先日、九州大学の水素エネの研究室を訪れた。毎週のように中国から見学者が来るそうだ。中国の水素エネの研究開発や関連事業への投資は日本に比べ桁違いに大きく約2兆円だという。金額ではとてもかなわないが、選択と集中で強いところを伸ばし、民間による事業化を促す。
水素は再生可能エネルギーを使い、水を電気分解してつくれれば理想的だ。化石燃料由来の電力を使う場合にはCO2の回収・貯蔵(CCS)技術などと組み合わせる工夫がいる。(CO2の排出が多い)石炭火力発電所の延命策になるという見方があるのも知っている。しかし、温暖化対策に逆行する新設の石炭火力は環境影響評価(アセスメント)の段階で基本的に認めないなど、厳しい姿勢で臨んでいる。
安倍晋三首相が言うように、これまでの延長線上にない非連続なイノベーションも追求する。政策当事者として、こんなことができるとよいという具体的なものを示していきたい。水素社会への移行をめざす考えは、20カ国・地域(G20)エネルギー・環境相会合でも説明した。賛同を得られ、実現へ向けた機運が高まったと思う。
(聞き手は編集委員 安藤淳
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■高い目標が革新促す トヨタ自動車会長 内山田竹志氏
うちやまだ・たけし 1969年名古屋大工卒、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。世界初の量産型ハイブリッド車「プリウス」の開発を指揮した。2013年より現職。72歳。
うちやまだ・たけし 1969年名古屋大工卒、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。世界初の量産型ハイブリッド車プリウス」の開発を指揮した。2013年より現職。72歳。
20世紀は「石油の世紀」だった。利便性が高いエネルギーが豊富にあってそれを前提とした社会を築けたが、今世紀に入ってソリューション(解決策)の多様化が避けられなくなっている。地球温暖化が原因と思われる自然災害も毎年のように発生し、対策が急務だ。こうした環境のなか様々な手段の総動員が必要になり、水素も大きな可能性を秘めている。
当社は2014年に世界初となる量産型の燃料電池車(FCV)「ミライ」を発売し、今年4月までに世界で8500台あまりを販売した。自動車は消費財のため、水素社会を世間に訴える効果があった。「当初の盛り上がりがなくなっている」といった声があるのも承知しているが、これは覚悟してのことだ。水素ステーションなどインフラの普及が前提となるからだ。
ただ、高い目標を掲げて一歩踏み出すことは重要だ。ミライを発売したからこそ、コストを2分の1以下に低減する目標を掲げて次世代車の開発を進めることができている。また、ミライの経験を通じて大型トラックやバス、フォークリフトといった分野でFCVの技術が有効であるという手応えを得ることができ、米国や中国での動きにもつながっている。
こうした経験があるからこそ、このほど政府が地球温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」に基づく長期戦略を閣議決定したことには大きな意味があると考えている。ポイントは「脱炭素社会」の実現をビジョンとして明示したことだ。従来、日本のエネルギー政策は安定供給やコストを重視した「積み上げ型」だったが、今回はあるべき姿をはっきり示した。
実現性に不安があるのは当然だ。だが、ビジョンを示すことにより、今後の政策はそこを目指したものになる。ビジョンに基づくロードマップと現状を定期的に比べ、差異を埋める形でイノベーションを起こす必要がある。当社も以前、長期の環境目標を示し、実現のメドがついていない目標を示すことに社内に賛否両論があった。しかし、結果として取引先を含め取り組みが加速した。
日本はイノベーションで劣後しているとは思わないが、問題は社会に普及させるのが遅すぎることだ。特に水素では低コスト化のスピードが重要になる。新しい技術が立ち上がるときは製品購入に対する補助金などのインセンティブの役割が大きいが、途中で大量消費に焦点を移す必要がある。水素では産業利用や発電といった用途への政策的な誘導が重要になる。
規制にも課題がある。海外で水素ステーションはセルフ式が一般的になったものの、日本では試験が始まったところだ。水素を使う前提のない時代の規制は見直し、欧米で当たり前になっていることは認めるべきだ。関係する省庁間の調整も改善がいる。ただ、幸いにも課題は明確になっている。日本は自動車以外を含む幅広い分野の実証試験で先行しており、社会実装を急ぐ必要がある。
(聞き手は編集委員 奥平和行)
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■コスト削減が課題 IEA事務局長 ファティ・ビロル氏
Fatih Birol イスタンブール工科大などで学び、石油輸出国機構(OPEC)に勤務した後、国際エネルギー機関(IEA)入り。チーフエコノミストなどを経て15年から現職。61歳。
Fatih Birol イスタンブール工科大などで学び、石油輸出国機構OPEC)に勤務した後、国際エネルギー機関(IEA)入り。チーフエコノミストなどを経て15年から現職。61歳。
多くの国々や人々は、気候変動問題で温暖化ガスの排出を減らす必要性を理解している。だが2018年の二酸化炭素(CO2)の排出量は過去最高を記録した。我々は温暖化ガス削減の目標達成から遠く離れたところにいる。
削減の選択肢として再生可能エネルギーや省エネが挙げられる。原子力も重要だ。だがこれだけでは目標には及ばない。最近、多くの国が水素に注目しはじめ、歴史的なモメンタムがあると感じる。
水素の利点は多い。再生エネはコストが下がって使いやすくなったが、天候に左右され常に発電できない。水素はためられ、いつでも発電に使える。余った再生エネで水素をつくることもできる。既存の天然ガスのパイプラインなど輸送インフラがそのまま使えるのもメリットだ。
鉄鋼やセメントなど産業部門の脱炭素化が進められる可能性は大きい。鉄鋼・セメントの排出量は世界の旅客輸送からの排出量より50%多い。両業界は強い発熱が必要で、再生エネでは供給できない。今は化石燃料を使っているが、水素ならば代替できる。
日米欧には水素技術の蓄積があるが、普及には課題がある。水素が遠い未来のエネルギーなのか、比較的近い将来のエネルギーになるのかは政府の決意次第だ。
大きな課題はコストとインフラの不足だ。ドイツが太陽光を支援し始めた25年前のコストは高かったが現在、太陽光が世界の電力に占めるシェアは1%になった。様々な面からの支援が必要だ。
まだ安価とは言えない燃料電池や水素充填装置、電気や水から水素をつくる機器は大量につくれば、コスト削減が見込める。既存のガスパイプラインに水素を5%程度混入して利用を拡大し、コスト減につなげるのも一案だ。燃料電池車(FCV)などに燃料を充填する水素ステーションも足りない。長距離トラックやバスがよく通る道に集中的に整備してもよい。
今、産業用に使われている水素の多くは天然ガスや石炭を使ってつくられている。これでは水素がクリーンとは言えない。化石燃料を使って水素をつくる場合はCO2を大気に排出しないよう回収する必要があるし、再生エネなどから水素を供給する仕組みを構築せねばならない。ただ水素を再生エネからつくると、現段階では天然ガスに比べて2~3倍の費用がかかる。
日本をはじめ、韓国や米国、欧州各国、サウジアラビアなど様々な国が水素を推進し始めた。各国の規制などの調和も進めるべきだ。規制を緩和した上で、水素ステーションや輸送船などの国際基準をつくる必要がある。
パリ協定は産業革命からの気温上昇を2度未満にするよう定めた。この目標達成に水素がどの程度貢献できるかは、各国政府がどういう支援を打ち出すかによる。電力だけでなく、エネルギー全体にかかわるため、太陽光や電気自動車(EV)への支援策よりも踏み込んだ内容が必要になるだろう。今後数年の国際社会の取り組みが重要になる。
(聞き手はブリュッセル=竹内康雄)
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<アンカー>普及へ柔軟なルールを
地球環境に優しい「水素社会」をめざすという目標を、過去に何度聞いたことがあるだろう。しかし技術開発しても差し迫ったニーズがなく、燃料電池車も思うように普及していない。コストが高すぎインフラが整わず、普及もしないという悪循環が続いた。
パリ協定の温暖化ガス削減目標の達成には、イノベーション発想の転換による脱炭素化の加速が不可欠だ。水素エネルギー利用が決定打となるかはわからないが、重要な柱の一つではある。
米国ではトランプ政権は温暖化対策に消極的だが、水素技術の研究開発は途絶えていない。欧州でも水素エネ利用のプロジェクトが進む。日本も蓄積を生かし、懸けてみる価値はある。安全かつ安価に水素を利用できる技術の確立と並び、利便性を損なわない柔軟なルールづくりが欠かせない。
安藤淳