こうした
日銀に対する
メディアからの批判の少なさが、日本の
金融政策の即応性と健全性を損ねているのではないか。そう指摘するのは『
デフレ不況 日本銀行の大罪』(
朝日新聞出版)の著者で、
上武大学教授の
田中秀臣氏だ。「
日経新聞の喜多恒雄社長が
財務省と蜜月関係にあることに表れているように、新聞社の上層部では、
財務省・
日銀支持の姿勢が打ち出されている。そんな中、現場の記者は批判的な意見を持っていても、上層部に従ってしまう」という田中氏の話を聞こう。
「今回の
ギリシャ債務危機をきっかけに、
世界経済はすでに不況局面に入ったと見ていいでしょう。景気に関するあらゆる指標が悪化しており、各国で緊縮財政策や
金融引き締め策の見直しが始まっています。ですが、
日銀は相変わらず
デフレ状況を放置したままで、さらなる
金融緩和などの対策を打とうともしない。
金融政策は本来、
民主主義の
プロセスで決めるというよりも、一部の政策エリートが責任を持ってやるという性質がありますが、それが正しく機能するには、きちんとした批判が存在することが前提です。しかし、
金利は上げるものという伝統的な
金融政策にとらわれている
日銀に対する批判の声は、逆に小さくなっているのが現状です」
それでは実際に、
日銀に対する取材現場では、どんなやりとりが交わされているのだろうか。
経済ジャーナリストとして長年にわたって
日銀を取材してきた
須田慎一郎氏は、
日銀総裁会見の様子を次のように語る。
「
日銀総裁会見は、
宮内庁の
皇族会見と大変似ています。
日銀総裁とのやりとりは、いわば
皇族とのやりとりとまったく同じ。記者が厳しく詰め寄ることはなく、総裁が言ったことに対して『ごもっとも』と拝聴する空気です。私たちが考えている以上に、
マスコミにおける
日銀総裁の権威は高い。なおかつ、あたかも絹の手袋をしているように、(
政治家との水面下の裏交渉など)汚れ仕事を避けているのが
日銀総裁といえるでしょう」
1998年の
日銀法改正で、
政府による総裁解任権が廃止されるなど、
日銀総裁の立場は格段に強くなった。
マスコミ報道においても、しばしば「
日銀の独立性」が好意的に報じられるが、前出の阿部氏はそれこそが
日銀の
独善性を助長したと指摘する。
「法改正以前の
日銀は
大蔵省(現
財務省)の下部機関みたいなもので、
公定歩合の上げ下げも大蔵のOKがなければ不可能でした。
経済記者も
判官びいきで
日銀の独立性を守れと肩を持ってきました。それが法改正で過剰な独立性が認められてしまい、今の
日銀は
物価と
通貨の安定という漠然とした目標があるだけで、
結果責任も問われず、どんなミスをしても総裁は自ら辞任しない限り、任期の5年間は誰も引きずり下ろせない存在になってしまった。制度上の大きな欠陥と言うべきです」(阿部氏)
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経済学会が群がる「
日銀審議委員」利権
こうした中、
日銀クラブに属し、
日銀の意見に同調することは、記者や
経済学者、
エコノミストらにとってもメリットがあるという。まずは新聞社のエリートコースという
日銀担当記者から見ていこう。須田氏の話。
「
経済部の
記者クラブでは、格において
日銀クラブは最高峰。
日銀クラブのキャップをやった人間が、
ワシントン支局長など海外のトップ級支局長に転ずるケースも多く、『失敗しないできちんと勤め上げると、出世コースが見えてくる』という幹部への
登竜門なのです。また、
日銀クラブは
日銀だけでなく民間
金融機関の動向もフォローするため、所属記者が他業界の記事をハンドリングすることも多く、記者自身が次第に『自分はトップエリートで特別な存在なんだ』と錯覚する。その結果、多くの
日銀クラブ記者は将来の出世に備えて
インサイダー意識を持ち、
日銀幹部との人脈作りにいそしむという構図が出来上がります」
では、大手紙の
経済面にコメントや解説記事を寄せる
経済学者や
エコノミストたちはどうだろうか? 彼らの中にも“
日銀シンパ”が広がっており、中には憧れの
日銀審議委員の座に就きたいために、
日銀批判を控える人物もいるという。
「計9名からなる
日銀審議委員の席は、
日銀から3名、産業界から1名、銀行界から1名、
アカデミズムから1名……と割り当てが決まっています。
日銀は
金融学会にも
補助金を出していますから、多くの学者たちが陰に陽に媚びています。例えばある
私立大学の有名教授は、審議委員への指名を意識しだすと、それまでの
日銀批判をピタッとやめてしまった。
日銀に覚えのめでたい
経済学者ばかりが優遇され、日本の
経済学のレベルが低い理由になっています。現に日本では
ノーベル経済学賞を受賞した人はひとりもいないでしょう?」(前出・阿部氏)
彼らの羨望の的となる
日銀審議委員の年収は約2600万円。もっとも、大手
メディアにおいてもこうした慣例を嫌う例外的な
日銀批判がないわけではない。かつては
毎日新聞社の社会部記者が
経済部に移り、
日銀総裁に容赦ない質問を浴びせかけたこともあったという。
「
警視庁二課四課担当だった原敏郎氏が
日銀クラブに配属され、マル暴刑事を見習ったかのような態度で、
日銀総裁を総裁とも思わないような言動をしていました。原氏は
経済部長に上り詰めましたが、あれは極めて特殊なケースでしたね」(須田氏)
また、このところ
産経新聞紙上で
財務省・
日銀批判を繰り広げている田村秀男記者が
日銀ウォッチャーの間で話題になっている。
「
産経新聞で『
増税はおかしい』とはっきり書いた田村氏は、元
日経新聞記者。
日経時代に
日銀を担当した経験を踏まえて、なぜ
増税を先にして
国債発行を後にするのか、順序が逆ではないかという正論を展開しているのですが、朝日や
読売など他社の記者は誰も追随しようとしない。というのも、
増税を避けて
復興財源を確保するためには、
国債の直接引き受けなどの量的
金融緩和策を取る必要がありますが、それは
日銀にとって
金利を下げるのと同じ。
日銀と価値観を同じくする記者にとっても“負け”を意味するからです」(阿部氏)
そもそも、
金融緩和イコール悪という発想はどのようにして生まれたのか。田中氏は、その発想は
第二次世界大戦直後の
日銀体制にさかのぼると指摘する。
「
終戦後の
GHQ占領時には、
大内兵衛などの
マルクス主義経済学者が
日銀の
金融政策に関与しました。彼らは
1929年に起きた
大恐慌後の
ニューディール政策が
アメリカを戦争に導いたと考えていましたが、そうした
史観と、
高橋是清元大蔵相の
金融緩和策で日本
経済が復活したために戦争に至ったとする
GHQの
史観がピタリと一致してしまった。以来、
インフレは悪で、量的
金融緩和などとんでもないという考えが
日銀内に定着し、現在の幹部もそれを踏襲しているのだと私は考えています」(田中氏)
それでは、今後の
日銀報道はどうあるべきか。須田氏は、
日銀自身がもっと国民に語りかける必要があると語る。
「
金融政策を議論するには専門的な知識が必要であるため、
日銀にはいくら説明しても国民にわかってもらえないという
被害者意識があるのでしょう。しかし、現在のような
金融政策が日本
経済を左右する状況では、
日銀はもっと懇切丁寧に政策内容を説明する必要があります。
財務省が
高飛車な説明不足だとすると、
日銀は低姿勢の説明不足です」(須田氏)
阿部氏は
日銀クラブ記者としての経験を踏まえ、次のように提言する。
「
日銀クラブはかつてよりも開放され、総裁会見などに
ロイターなどの
ウェブメディアが参加するようになりました。しかし、
ウェブメディアでは速報性が一番求められるために、十分な分析をしないまま情報を発信する風潮が記者の間でも広まっています。その結果、高い専門性を持つ
日銀職員と対等に議論できる記者が減り、むしろ
日銀批判は聞かなくなりました。健全な
日銀報道のためには、十分な
金融知識と分析力を持った記者が育つ必要があります」
現在は08年の
リーマンショック時と比べて各国の財政状況が悪化しているため、大規模な
財政出動策などが難しくなり、「もはや不況入りを防ぐ手段はない」との声も出始めた。そんな中、日本
経済の落ち込みを防ぐためには、大胆な
金融政策を含めた、あらゆる選択肢が検討される必要がある。そのためにも、大手
メディアには
日銀に対する活発な問題提起を期待したい。
(取材・文/神谷弘一 blueprint)
最終更新:11月26日(土)23時38分