東日本大震災6年 持ち主を待つ11万枚の写真
東日本大震災6年 持ち主を待つ11万枚の写真
http://www.sankei.com/images/news/170311/afr1703110025-n1.jpg スナップ写真の中で女の子がすまし顔でポーズを取っている。
若いカップルのツーショットがハート形のペンダントに収まる。
写真は部分的に色落ちし、白色化している。海中のバクテリアが色の成分を分解し、水洗いすると溶け落ちる。
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子供の写真が多い。かわいくて何枚も撮りためた親心が伝わる。結婚式の記念撮影の1枚も。新郎はりりしく、新婦はしとやかだ。生涯の晴れ舞台は思い出に残したい。普通の人の普通の人生が被災地にもあった。
幼い姉妹の写るオルゴール付きの写真立てが目に留まる。曲は米米CLUBの「君がいるだけで」。平成4年のヒット曲だ。がれきにまみれたのだろう。ゼンマイを回しても鳴らなかった。
同校は震災で被災し、震災遺構として残されることが決まった。保存実現のために同校OBが尽力したと聞いている。
協会は写真を持ち主に返す仕事をしている。展示のほか、地域紙に定期的に載せ、心当たりのある人が名乗り出るのを待つ。これまで90万枚近くを返却した。残り11万5千枚が今も主(あるじ)を捜している。
ある日、年配の女性が協会を訪ねた。家が津波を受け、一切合切流されたという。
「親が枕元に立った翌朝、地域紙を見たら親の写真が載っていた」
女性は写真を受け取り、目に涙を浮かべて見入っていた。
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協会は20日で展示を終える。その後は内部保管し、写真データを閲覧してもらって返す。
別の日、30代の男性が協会の門をくぐった。震災で死に別れた親の写真が届いていないかどうか見に来たという。
一枚一枚に目を走らせる。3時間は探していただろうか。収穫がなかったようで、係の人に「また来ます」と言い残してその場を後にした。
何日かしてまた姿を見せた。黙々と探す。だが、この日も空振りに終わる。諦め切れないようで、再訪を告げて家路に就いた。
3度目は奥の手でパソコンの顔認証システムで検索した。照合するために男性が持参したのは親の小さな証明写真。全て流失し、それぐらいしか残っていないのだと言う。機械に望みを託したが、いい結果は得られなかった。
男性は係の人に頭を下げて帰っていった。
「また来ます」とは言わなかった。(伊藤寿行)