韓国人「暗黒時代(?)だったという日本統治時代の日常を描いた当時の絵が暗黒に見えない件」

韓国人「暗黒時代(?)だったという日本統治時代の日常を描いた当時の絵が暗黒に見えない件」


「暗黒時代」(?)という日本統治時代日常の一断面
避けるべきこと3つ

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。

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「暗黒時代」(?)という日本統治時代日常の一断面

バンダービルド

鍾路セムナン路の江北三星病院と、ソウル歴史博物館の間には、警察博物館がある。
最近、警察博物館の周辺で、「敦義門博物館村」の造成工事が進行中である。
どうやら100年前のソウル(京城)の風景をモチーフにするようだ。

青い色の土台の工事遮蔽壁には、1920年代前後のソウルの風景が、アートワークで描かれている。
当時(1920年代)新聞記事などを参照し、比較的リアルに描いたものだ。
通りすがりに携帯電話で撮影してきた。
 
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「敦義門博物館村」の建設遮蔽壁は、江北三星病院とソウル歴史博物館の間の警察博物館の周辺に建てられているところだ。

遮蔽壁に「100年前の京城(ソウル)で会った今日の私たちの姿」と書かれている。

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過渡期時代には混用ファッションで、伝統韓服と洋風の服装が混在していたことを教えてくれる。

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1920年代の京城(ソウル)の街並み、中央には「Cafe」の看板が見えるし、左右には「味の素(味元)」、「アサヒビール」の看板が見える。 「朝鮮物産奨励会」の看板も見える。

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中央に「森永ミルク」の看板が見えるし、横には「コロンビアレコード」が見える。
右手には「仁丹」の​​看板が見えるし、垂れ幕には「連れ立って!教えよう!みんな一緒にプロムナード!第2回学生夏期プロムナード運動 主催東亜日報社」と描かれている。

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当時も男性が恐妻家と愛妻家で大きく区分されていたようである。

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<誰かは自動車に乗っていて、誰かはシャベルを使っていて>当時もオレンジ族のようなものがいたようである。資本主義市場経済の本格展開により、貧富の格差が生じ、このようなものが社会問題になったようだ。

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遮蔽壁のアートワークは、ほとんどが、当時(1920年代)の新聞や雑誌などに出てくる記事や当時のアートワークをもとにしていて、遮蔽壁の主要なアートワークの横には、当時の新聞記事やイラストをそのまま小さなサイズで付けておいた。

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遮蔽壁のアートワークの横には、このように、当時の新聞・雑誌などのイラストや記事をそのまま貼り付けていた。 1927年8月17日付の「ビョルゴンゴン」(雑誌?)第8号に出てきた記事の実例である。

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ファッションをリードする、いわゆる「モダンガール」と「モダンボーイ」のような部類がいたようだ。

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「モダンガール」と「モダンボーイ」と関連して、当時の東亜日報(1929年6月4日)と朝鮮日報(1934年1月1日)が記事に取り上げた形である。

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ハリウッド映画俳優のファッションを真似したり、ラッパズボンを身に着けてもみあげを育てる「モダンボーイ」が登場したと、当時の朝鮮日報が報じた。(1928年2月7日)

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遮蔽壁には当時の広告のいくつかがそのまま描かれている。

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1920年代の「目薬」(ブランド:「大学目薬」)の広告である。「痛くても○○ さわやかよく聞く大学目薬」というコピーである。洗練された流線型の容器だということをアピールしている。紙面の左上には<半島のダンサー崔承喜嬢>とある。モデルがチェスンヒのようだ。 <良い目の秘訣は大学目薬の愛用です。同胞諸嬢よ、これで美しい目を持ちましょう>と出ている。またその横には、推薦した医学博士らの名前も出ている。下には、<体千両目九百両、目の治療に努めなさい>と出ている。左側の端には、<硼酸(ホウ酸)よりも、ナフン大学洗顔薬>とある。当時ホウ酸(硼酸)を民間療法(?)として目に入れていたようだ。

シボレー6気筒車の広告として仕様別価格表も提示されている。

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女性は伝統的な衣装、男性は西洋の衣装姿で恋愛(デート)中?

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寒くなったら登場する冬服になぞらえて、<落葉が出ると出てくるもの>と表現した。

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当時も援助交際と似たようなものがあったようだ。

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年配の男性に似合う若い女性をなぞらえて「スティックガール」と呼んでいたようだ。

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その時も今も…

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朝鮮日報が1933年2月18日の記事を介して、「京城のダンスの風は強かった…」と報道した。



☞結論として、このような風景が当時の日常を物語る事実に近いと見ることができるようだ。
このような日常を勘案すれば、今日の韓国人の頭の中に透徹している「日帝の蛮行」「日帝暗黒時代」というような信念は、一種の「誇張」「歪曲」などをもとにして造成された<作られた信念>に近いのではないかという感じがする。



P.S)
この遮蔽壁のあちこちに、奇妙なステッカーがべたべたついていた。 
<世界が変わる、朴槿恵 - 財閥総帥を刑務所へ>などというのスローガンを掲げる勢力が、汚らしく貼り付けたものだ。
この勢力は、このように完全なものを汚していく。

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バンダービルド