クマラスワミ報告否定が河野談話見直しへの突破口だ
クマラスワミ報告否定が河野談話見直しへの突破口だ
西岡力(東京基督教大学教授)
私は月刊正論前月号(平成26年5月号)に掲載された山田宏衆議院議員との対談の中で、1996年に国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告が、慰安婦に関する不当な誤解を国際的に広めるのに大きな役割を果たしたが、当時、外務省は一度、事実関係に踏み込んだ反論文書を人権委員会に配布しながらそれを取り下げてしまった、この幻の反論文を探して、なぜ取り下げられたのか国会で検証して欲しいと発言した。
前月号の発売日である4月1日付産経新聞はまさに私が指摘した反論文書全文を入手し、1面トップで〈慰安婦問題 政府「国連報告は不当」 性奴隷認定、幻の反論文書〉という見出しをつけて大きく報道した。記事のリード部分は以下のように書かれていた。
私は2007年に出した拙著『よくわかる慰安婦問題』(草思社、その後の動きを加えた増補版を2012年に草思社文庫から出版)で、クマラスワミ報告の事実関係記述のでたらめさと外務省が当初事実関係に踏み込んだ反論文書を提出しながら、それを撤回したことを詳述して日本外交の失敗を批判した。ただ、同書執筆の時点では反論文書そのものは見ていなかった。
その後、その文書をあるところから入手した。事実関係と国際法の両面からクマラスワミ報告に全面的に反論する立派なものだった。だから対談で自信を持って文書はあると断言できたのだ。本誌今号と次号にに文書の全文が掲載されるので、ぜひ多くの方にそれを熟読していただきたい。
河野談話「継承」でも出来た反論
先ず強調しておきたいことは、この文書は河野談話を継承する外務省によって書かれているという点だ。この文書が撤回されず、政府の見解として外務省のホームページなどに英文や他の外国語でアップされていれば、今われわれが直面している、慰安婦を巡る深刻な国際誤解の多くは解消されていたはずだ。
河野談話を継承するとしている現在の安倍政権も、この文書のレベルの反論はできるのだ。いま、急がれるのは政府としてこの文書のレベルの国際広報を早急に行うことだ。余りにもひどいウソが国際社会に広まっている。その大きな原因は政府が事実関係に踏み込んで反論しなかったからだ。
私は月刊正論前月号対談でも、河野談話の見直しをいますぐ行うことに懐疑的な意見を表明した。繰り返しになるが大事なことなので前月号で私が話した要点を書いておく。
河野談話も朝鮮での奴隷狩りのような慰安婦募集を認めていない。勤労動員のための公的制度であった女子挺身隊と慰安婦は全く関係ない。そのことは日本国内では90年代に行われた激しい論争の結果、慰安婦への国家賠償が必要だと考える陣営も含めて認めている共通認識だ。ところがクマラスワミ報告では吉田清治とヒックスの著書に全面的に依拠したため、あたかもそれらが事実であるかのように書かれている。
2007年の米議会慰安婦決議、2011年の韓国憲法裁判所における慰安婦への補償を日本に求めない韓国政府の外交は違憲とする判決も、すべてクマラスワミ報告を主要な根拠の一つとしている。この国際誤解の厚い壁を突破する作業が先ず必要なのだ。それなしに河野談話の見直し作業を現段階で進めると、米国を含む国際社会での誤解が深化してしまう恐れがある。
まず、英語などで国際社会に対して事実関係に踏み込んだ体系的な反論をすることが先行しなければならない。1996年に取り下げられた幻の反論文書と同趣旨の文書をまず、外務省のホームページに掲載し、各国語に翻訳して全世界に配布する作業が先行しなければならない。そのために、日本の外交官、公務員がその点をしっかり学んでどこに行ってもきちんと日本の立場を主張できるように訓練しなければならない。また、反論文書の根拠となる資料や研究論文などをやはり各国語に翻訳して公開する作業も必要だ。
それらをおこなうための司令塔を政府内に作らなければならない。これまで外務省が国際広報に失敗してきたのだから、拉致問題をモデルにして、外務省の外に担当大臣と専従事務局をおくのがよい。すでに領土問題に関しては内閣府に担当大臣と事務局が設置されている。研究と広報の実際の活動は大規模な基金をつくって政府の外に置く外郭団体に担当させるべきだ。韓国では盧武鉉政権時代、アジア歴史財団を作って精力的な研究と広報活動を展開している。
《怪文書》呼ばわりした者たち
結論を先に書いたが、話を1996年の反論文書に戻そう。一体どの様な経緯で反論文書が取り下げられてしまったのだろうか。その点について産経新聞4月1日記事は、当時の外務省関係者に取材して、当時のジュネーブは日本政府が事実に基づく反論をすると逆効果が生まれる雰囲気だった、英文に翻訳されていたのは反日勢力の資料ばかりであった、などという言い訳を聞いている。
「ものすごい力があり、彼女が舌鋒(ぜっぽう)鋭く『ワーッ』と説明すると、聴衆はスタンディングオベーション(立ち上がっての拍手喝采)だ。日本政府には答弁権を行使して反論することは制度上認められていたが、そうしたら大変なことになっていた」クマラスワミは「かわいそうな元慰安婦のおばあさんたちのため一生懸命働いている」(外交筋)と評価されていた。個別の事実関係の誤りを指摘しても「日本が悪者になるばかりで逆効果だった」(同)というのだ。クマラスワミと面識のある当時の日本政府関係者もこう語る。「慰安婦問題だけでなく歴史全般がそうだが、日本国内のまともな議論は英語になっていない。英語に訳されているのは左翼系メディアや学者の文章だけ。だから国連人権委にはもともと一定の方向性がある。報告書も相場からいえば『まあこんなもの』だった」
スタンディングオベーションをした聴衆の主力は1992年から国連を舞台に反日キャンペーンを展開してきた日本人、韓国人活動家たちだろう。彼ら、彼女らは日本政府の反論文書を「怪文書」と呼び、文書を提出した日本政府を激しく攻撃した。ジュネーブでロビー活動をしていた戸塚氏は反論文書が提出されたという情報に接して「これまで4年間積み上げてきた国連での成果は水泡に帰する」として知り合いの国会議員や記者らに文書の入手を依頼し、文書を受け取った各国政府代表部に日本政府の反論を受け入れないようにというロビー活動を行っている(戸塚悦郎『日本が知らない戦争責任』現代人文社、1999)。
クマラスワミ報告が出る1996年まで、日本政府は92年に宮沢首相が訪韓して8回謝罪し、93年に河野談話を出して謝罪し、95年にアジア女性基金を作り謝罪と償い金を元慰安婦に配る活動を行っていた。道義的責任を認め誠意ある活動をすることに専念し、事実関係に踏み込んだ反論を一切しなかった結果、事実無根の「奴隷狩り証言」などが根拠となり、慰安婦=性奴隷という重大な誤解が国連人権委員会から国際社会に強く発信されていった。遅ればせながら外務省が作った反論文書も「逆効果」と判断され取り下げられた。
国際社会では事実に基づく反論をしないと、ウソが拡散し、取り返しの付かない名誉毀損を受けるのだ。特に、日本人が先頭に立ち、韓国など関係国の反日勢力が悪意を持った反日キャンペーンを展開している状況の中では、英語の文書など国際社会に通じる方法での反論活動が絶対に必要なのだ。しかし、外務省はこの反論文書取り下げの後、日本は慰安婦問題で繰り返し謝罪をしており、アジア女性基金を通じて償い活動も行っているという趣旨の「反論」しかしなくなる。
2007年、第1次安倍政権時代、米議会が慰安婦決議を採択しようとしたとき、総理が国会などで権力による強制連行は証明されていないと事実に踏み込んだ反論を行ったが、在米大使館などはすでに謝罪して贖い事業も行っているという弁解をするのみで、総理を孤立させ、慰安婦を巡る事実誤認を米国にまで拡散させる一助となってしまったのだ。
北朝鮮の伝聞「証言」も利用したクマラスワミ報告
この反論文書の持つ意味を知るために、クマラスワミ報告とそれが出された背景について整理しておこう。
前月号対談でも指摘したが、慰安婦問題を国連に持ち込んだのは日本人弁護士戸塚悦郎氏だった。私は本誌や拙著で戸塚氏の果たした役割について書いてきたが、ここで再度、取り上げておく。戸塚氏こそが「慰安婦=性奴隷」の発案者だった。ミニコミ雑誌『戦争と性』第25号(2006年5月「戦争と性」編集室発行)に寄稿した「日本軍性奴隷問題への国際社会と日本の対応を振り返る」の中で、戸塚氏は以下のように書いている。
筆者[戸塚のこと・西岡補]は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO(IED)の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した。日本の国会審議で日本政府が無責任な発言をしたこと、韓国で金学順さんら被害者が名乗り出て、「人道に対する罪」を告発する訴訟を起こしたこと、吉見義明氏による公文書発見で軍の関与が証明されたこと、日本首相による一定の謝罪があったことからとった行動だった。当時、韓国の教会女性連合会など諸団体は、この問題を「日本は多くの若い朝鮮女性たちを騙し強制して、兵士たちの性欲処理の道具にするという非人道的な行ないをして罪を作りました」と規定していた。しかし、それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。たぶんに直感的な評価だったが、被害者側の告発が筆者の問題意識にもパラダイムの転換を起こしていたのかもしれない。
この戸塚の直感が国際社会での「慰安婦=性奴隷」キャンペーンのスタートだったわけだ。日本人が国連まで行って、自国誹謗を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。戸塚の引用を続ける。
戸塚の著書『日本が知らない戦争責任 国連の人権活動と日本軍「慰安婦」問題』(現代人文社、1999)によると、国連人権委員会で彼が初めて「慰安婦=性奴隷」と問題提起した92年2月からクマラスワミ報告が公表された後の96年2月までの4年間で18回、すなわち2ヵ月半に1回もジュネーブなどを訪れ国連への働きかけ活動を行っている。
当時国連人権委員会は旧ユーゴやルワンダで起きた女性への暴行や家庭内での女性への暴力など現代における女性に対する暴力に関して人権侵害として関心を払っていた。スリランカ人であるクマラスワミ女史が1994年3月「女性への暴力、その原因と結果に関する特別報告者」に任命されたのも、そのためであった。
しかし、クマラスワミ女史は50年前の出来事である慰安婦問題も調査対象に加え、1995年7月韓国と日本を訪問し、北朝鮮政権から資料提供を受けた。それらをもとにして「女性に対する暴力とその原因及び結果」に関する本報告書とは別に付属文書として「女性に対する暴力──戦時における軍の性奴隷制度に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書」(いわゆるクマラスワミ報告)をまとめた。現在における女性への暴力を調査する任務を与えられた特別報告者が、過去に無数に存在した事件の中であえて慰安婦問題だけを調査対象に加えたのは、戸塚氏ら日本の運動体と韓国の運動体の強い働きかけの結果であるとともに、日本政府の外交の失敗とも言えよう。
吉田清治の著書・証言を検証なく利用
クマラスワミ報告の内容とそれに対する反論文書の主張を紹介する。
クマラスワミ報告は第一章で報告書は慰安婦は性奴隷だと定義する。
特別報告者は、本件報告の冒頭において、戦時下に軍隊の使用のために性的奉仕を行うことを強制された女性の事例を、軍隊性奴隷制(military sexual slavery)の慣行と考えることを明確にしたい。(略)特別報告者は、「慰安婦」という語句が、女性被害者は、戦時下に耐えなければならなかった、強制的売春ならびに性的服従と虐待のような、毎日行われる複数の強姦および過酷な肉体的虐待の苦痛を、少しも反映していないとの、現代的形態の奴隷に関する作業部会委員ならびに非政府機関代表および学者の意見に全面的に賛同する。したがって、特別報告者は、「軍隊性奴隷」という語句の方がより正確かつ適切な用語であると確信を持って考える。(外務省仮訳を一部補正した。以下同)
ここで国連の文書で「性奴隷」説が採択されたのだ。奴隷とは所有関係をもとにする概念であり、労働に対して金銭の代価を得ることはない。反論文書は国際法上の奴隷の定義を挙げて、〈「従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的観点から極めて不適当である〉と断言している。その精緻な論旨を反論文全文で確認して欲しい。
次に、クマラスワミ報告書が奴隷狩りのような慰安婦連行があったとする重大な事実関係の誤りを犯していることと、それを的確に指摘した反論文書の記述について見る。
「第二章 歴史的背景 B.徴集」でクマラスワミ報告書は奴隷狩りのような強制連行と勤労動員のための公的制度である女子挺身隊による慰安婦強制募集があったとして次のように記述した。
三通りの募集方法が確認されている。一つはすでに売春業に従事していた婦人や少女たちがみずから望んできたもの。二つめは軍の食堂料理人あるいは洗濯婦など高収入の仕事を提供するといって誘い出す方法。最後は日本が占領していた国で奴隷狩りのような大規模で強制・暴力的な連行を行うことだ。(註7 G. Hicks, "Comfort women, sex slaves of the Japanese Imperial Force", Heinemann Asia, Singapore, 1995 p. 25.)より多くの女性を求めるために、軍部のために働いていた民間業者は、日本に協力していた朝鮮警察といっしょに村にやってきて高収入の仕事を餌に少女たちを騙した。あるいは一九四二年に先立つ数年間には、朝鮮警察が「女子挺身隊」募集のために村にやって来た。このことは、徴集が日本の当局に認められたもので、公的意味合いを持つことを意味し、また一定程度の強制性があったことを示している。もし「挺身隊」として推薦された少女が参加を拒否した場合、憲兵隊もしくは軍警察が彼女らを調査した。実際、「女子挺身隊」によって日本軍部は、このようにウソの口実で田舎の少女たちに「戦争に貢献する」ように圧力をかけるのに、地方の朝鮮人業者および警察を有効に利用できた。(註8 前同 その他「慰安婦」本人の証言)さらに多くの女性が必要とされる場合に、日本軍は暴力、露骨な強制、そして娘を守ろうとする家族の殺りくを含む人狩りという手段にに訴えた。これらの方法は、一九三八年に成立したが一九四二年以降にのみ朝鮮人の強制徴用に用いられた国家総動員法の強化により容易となった。(註9 前同)元軍隊性奴隷の証言は、徴集の過程で広範に暴力および強制的手段が使われたことを語っている。さらに吉田清治は戦時中の経験を記録した手記の中で、国家総動員法の労務報国会の下で千人におよぶ女性を「慰安婦」とするために行われた奴隷狩り、とりわけ朝鮮人に対するものに参加したことを認めた。(註10 吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行の記録』東京、1983年)
なお、ここに引用しなかった部分を含む「第二章 歴史的背景」では11個の註が付いているが、そのうち10がヒックスの著書であり、1つが吉田清治の著書だった。そしてよく知られているようにヒックスの著書は、吉田清治証言を検証なしに事実として論を進めているなど日本国内での論争の結果を全く反映していない水準の低い本である。
日本の的確かつ強力な反論
この点について反論文書は以下のように的確に指摘している。
第3章 事実面に関する反論日本政府は、以下の通り、付属文書がその立論の前提としている事実に関する記述は、信頼するに足りないものであると考える。第1に、特別報告者の事実調査に対する姿勢は甚だ不誠実である。(略)第2章「歴史的背景」において、特別報告者は、旧日本軍の慰安所に関する歴史的経緯や、いわゆる従軍慰安婦の募集、慰安所における生活等について記述しているが、同章の記述は、実は、ほぼ全面的に、日本政府に批判的な立場のG.Hicks氏の著書から、特別報告者の結論を導くのに都合の良い部分のみを抜粋して引用しているに過ぎない。(略)Hicks氏の著述内容について、…検証が行われた形跡がない。その上、引用に際し、特別報告者は、随所に主観的な誇張を加えている。このような無責任かつ予断に満ちた本件付属文書は、調査と呼ぶに値しない。第2に、本件付属文書は、本来依拠すべきでない資料を無批判に採用している点においても不当である。従軍慰安婦募集のためslave raidを行ったとする吉田清治氏の著書を引用している。しかし、同人の告白する事実については、これを実証的に否定する研究もあるなど(秦郁彦教授「昭和史の謎を追う(上)」p334、1993)、歴史研究者の間でもその信憑性については疑問が呈されている。特別報告者が何ら慎重な吟味を行うことなく吉田氏の「証言」を引用しているのは、軽率のそしりを免れない。(略)北朝鮮在住の女性の「証言」は、特別報告者が直接聴取していない「伝聞証言」である。特別報告者自ら問いただして確認するなどの努力もなしに、いかに供述の真実性を確認することができたのか、全く不明である。(略)
この北朝鮮女性の「証言」とは、たとえば、日本軍人に連行され警察署でレイプされた上なぐられて片目を失明し、慰安所で日本軍人が仲間の慰安婦をリンチして首を切り落としてゆでて無理矢理食べさせられた、などというものだ。クマラスワミ報告はこれを勇気ある証言と称賛している。
反論文書は、右記の通り、検証されていない伝聞証言だと批判した後で、1944年に米陸軍がビルマで行った朝鮮人慰安婦調査には全く異なる慰安婦像が示されているが、クマラスワミ女史はそれを無視したと指摘して「偏見に基づく一般化は、歴史の歪曲に等しい」と辛辣に批判している。
反論文書の「第3章 事実面に関する反論」は以上のような議論を踏まえて次のように結論を書いている。
結論 付属文書の事実関係は信頼するに足りないものであり、これを前提とした特別報告者の立論を、日本政府として受け入れる余地はない。特別報告者がこのように無責任かつ不適当な付属文書を人権委に提出したことを遺憾に思うとともに、人権委の取り扱い方によっては、特別報告者制度一般ひいては人権委そのものに対する国際社会の信頼を損なう結果となることを深く憂慮する。
理路整然とした反論である。これがしっかりとした英文になり、一度は国連人権委員会に提出されたのだ。当時は自民党、社会党、さきがけ3党連立政権だった。村山富市首相が1996年1月に辞任したことを受け、橋本龍太郎内閣が成立した直後だ。橋本首相の下、外務大臣は池田行彦、官房長官は梶山静六だった。3人ともすでに亡くなっているが、彼らの政治責任は極めて重い。
安倍政権は河野談話がどの様に作られたのか、韓国政府とのすりあわせがあったのかなどについて検証作業を行い結果を国会に報告すると約束した。ぜひ、検証作業の範囲を反論文書の作成と取り下げの経緯まで拡大して欲しい。反論文書が取り下げられたためにいまだに吉田清治証言に基づく慰安婦奴隷狩りという虚構が国際社会で日本を苦しめているからだ。
反論しなければ、状況は悪化する
クマラスワミ報告につづいて1998年8月国連人権委員会に提出されたマクドゥーガル報告では、よりひどく事実関係が曲げられ、慰安所は「レイプセンター」であり、慰安婦20万のうち14万人以上の朝鮮人慰安婦が死亡したと記述している。ここで慰安婦20万人という新たな虚構が国連文書に登場する。
アジア女性基金元専務理事の和田春樹東大名誉教授もさすがにこの事実誤認は見過ごせなかったのか、女性基金のウエブページでマクドゥーガルが根拠として挙げている荒舩清十郎代議士の発言、(報告では1975年となっているが、実際は1965年の発言)は全く根拠のない放言であり、「国連機関の委嘱を受けた責任ある特別報告者マクドゥーガル氏がこのような信頼できない資料に依拠したのは、はなはだ残念」と批判している。
しかし、このようなウソが国際社会に広まっていた根本原因は和田氏らが主導した事実反論抜きの謝罪事業だった。アジア女性基金に足りなかったのは国際的な事実わい曲に対する反論広報だった。
韓国の有力新聞朝鮮日報さえ、次のような社説を掲げて事実に基づかない日本批判を未だ行っている。朝鮮日報は保守有力紙で、北朝鮮政策などで韓米日の連繋の必要性を説いている。その読者たちの多くも奴隷狩りを事実と信じているのだ。
…日本は自分たちが侵略した韓国、中国、台湾、フィリピンの女性を強制的に戦場に連れ出し、日本軍の性のはけ口としてじゅうりんした。この性奴隷問題では被害者たちが日本に謝罪を求め、今なお日本の態度を見守っている。…90歳近くなった女性たちの中には、日本が自分たちの罪を自白、謝罪し、賠償するまでは絶対に死ねないと主張する人が多い。そのような意味でも、日本が侵略した国の女性を「性のはけ口」としたこの反人倫的犯罪は、歴史や過去の問題ではなく現在の問題だ。日本は1940年代に自分たちが犯した罪を、93年の河野談話で認めるまで50年かかった。ところが国の指導者とされる政治家が、河野談話からわずか20年で「自分たちの発言を見直す」と述べ「談話の廃止」まで主張し始めた。つまり、かつて侵略の先頭に立ち、後にその事実を美化した集団が口裏を合わせているというのが、現在の日本の状況だ。…しかし河野談話が発表された後も、日本の歴代政権は性奴隷問題について謝罪や賠償は行わず、さまざまな理由を持ち出して責任を回避してきた。1992年には日本の中央大学の吉見義明教授が『軍慰安所従業婦等募集に関する件』(1938年、陸軍省作成)を公表した。これには日本軍が慰安婦を募集する際、誘拐と同じような方法を取っていたとの内容が記載されている。[事実と反する。同文書は日本軍が業者が誘拐などをしないように取り締まりを求める内容だ。西岡補]さらにこれを裏付ける日本人の証言も相次いでいる。1942年から3年間、山口県労務報国会動員部長を務めた吉田清次は「朝鮮人女性を慰安婦として動員した」「1943年5月17日、下関を出発して済州島に到着し、女性狩りを行った」と証言している。吉田は「慰安婦に関する件は全て軍事機密に分類されていた」とも述べた。世界が一つになろうとしている今、日本による性奴隷強制連行犯罪は、すでに現代史の最も醜悪な歴史的事実として公認されている。米下院や欧州議会は2007年、「日本は若い女性を日本軍の性的奴隷として利用するため、公式的に徴用した」と糾弾した。オランダ議会は「日本は強制的な性売買に日本軍が関与したことについて、全面的な責任を負うべきだ」とする決議を採択している。国連では性奴隷犯罪に対する日本の責任を追及する報告書が、すでに10回以上提出されている。…野田首相は日本による犯罪を証言、記録、追及、審判してきた世界の動きに対抗する自信があるのであれば、今年の国連総会に出席し「第2次大戦当時、日本軍には性奴隷などいなかった」と演説してほしい。それによって拍手が起こるのか、あるいは非難の声が出るのか実際に体験し、その結果を日本国民に率直に報告すべきだ。朝鮮日報2012年8月30日社説
この社説は当時の野田首相が「強制的に連行されたという事実は文書で確認されなかった」と第一次安倍政権以来の政府見解を述べたことに反発して書かれたものだが、国連など国際社会が吉田証言を信じていることを前提にしている。このような事実誤認に基づく日本誹謗を生んだ大きな原因は反論しないで謝り続けるこれまでの日本の外交姿勢である。このまま反論をしないで放置しておけば、問題は悪化するばかりだと強く警告したい。