認知症の親の介護、身内より他人に任せた方が…

認知症の親の介護、身内より他人に任せた方が…

「となりのかいご」代表理事・川内 潤さん(その2)


 『母さん、ごめん。』の著者、松浦晋也さんと、NPO法人「となりのかいご」の代表理事、川内潤さんが、松浦さんがお母さんを介護した現場である、ご自宅で「会社員の息子が母親を介護する」ことについて、語り合います。
松浦:私が、介護の辛さから母親を叩いてしまったことを、妹がケアマネージャー(以下ケアマネ)さんに相談したところ、ケアマネさんは私と母親の距離を開けて冷却するために、すぐに母のショートステイ先を手配してくれました(経緯は「果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日」参照)。
 川内さん、ちなみに、もしケアマネさんが「大変ですね」と言うだけで自ら動くことをしなかったなら、家族の側はどうなってしまうのでしょうか?
川内:何が起きるかというと、自分でショート(ステイ先)を探すしかないわけです。
松浦:自力で探さなくちゃいけないとなると、それはつらい!
Y:で、その自分は、お母さんを殴ってしまうくらい限界まで追い詰められている状態なんですよね?
川内:はい。「自分が限界だからショートステイとかないんかいな」と、切羽詰まった状態で探すことになります。
川内 潤(かわうち・じゅん)1980年生まれ。老人ホーム紹介事業、外資系コンサル会社、在宅・施設介護職員を経て、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。2014年に「となりのかいご」をNPO法人化、代表理事に就任。ミッションは「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ虐待してしまうプロセスを断ち切る」こと。誰もが自然に家族の介護に向かうことができる社会の実現を目指し、日々奮闘中。
Y:うわあ……。
川内:「こっち(介護者)が言わない限り、向こう(介護サービス)から何か来るということはない」という状況になってしまうと、本当に介護者は大変です。たとえばデイサービスでも、被介護者の状況次第で、どこでもいいというわけいかない。家から出るのをいやがる方なら、ちゃんとそういうお誘いができるところはどこなんだろう、とか、状況に合わせて考えねばならない。
 ケアマネにはそれだけのことが求められていますし、そこまで踏み込んで介護者の力になれる人かどうかというのは……ケアマネの資格試験には、一応そういう項目も出てきますけれど、現場でそれを実行するかどうか、技量があるかどうかは、1人ひとりに任せられちゃっているところがあるんです。なので、松浦さんは本当に優秀なケアマネさんが付かれていたんだなと思いました。
 もう1つ、本を読んで気になったことがあるんですが、よろしいですか。
松浦:どうぞ。

「他人の言うことなら聞く」って傷付きませんか?

川内:最初のデイサービスの利用の日に、松浦さんが一生懸命お母様に「デイサービスに行ってください」と言ってもだめだったという話があるじゃないですか。それがデイサービスのイケメンが来たら、急に「あらそうなの?」みたいなことになった(「『イヤ、行かない』母即答、施設通所初日の戦い」)。
 これは本当によくある話で。私もそういうふうにして――私は全然イケメンじゃないですけど「編み物を教えてください」とか、すごくいろいろなお声掛けをしてお誘いしたことがもう何度もあります。その、自分が言ってもダメだったのが、スタッフがさらっとお母様を動かしてしまったときの印象はどうでしたか。「何で自分じゃだめなんだろう」みたいな気持ちにはならなかったですか。
松浦:そのときは、「これは身内がやるよりも、他人がやった方がいいんだな」と思いました。

川内:なるほど。介護をする家族の方が「気持ちよく人に任せていいんだよね」と思えることは、精神的・物理的な負担を下げるためにもたいへん重要です。もちろん、介護事業者にとってもありがたい。
 一方で、やっぱり家族が介護するのが最善である、と思いたいところもきっとあるじゃないですか。「客観的に見たら、これって確かにプロにやってもらった方がいい」と思いつつも、「でも人さまの世話になりたくない」という気持ち。ご本人も、ご家族もやはり、たいていはあるものなんです。
松浦:ああ、そこで「他人の世話になりたくない」と思ってしまう人もいるんですね。それは本当に僕には想像できないです。僕は僕の体験だけしか分からないので、ほかの人が同じことをどう考えるかということは、正直分からない。
 ただ、そう思えたのは、以前の経験があったからかもしれませんね。というのは、まず祖母の経験がありました。長年同居していた父の母ですね、祖母は、僕らが何をどう言っても言うことを聞かない。ちょうどショートスティという制度が始まったころで、父が大病を患ったので手が足りなくなって、祖母を預けたんですが、「家に帰る」といって脱走するんですよね。
Y:脱走?
松浦:そう。常時施錠の施設の玄関の横で持っていて、人が出るときに一緒に出ていくというパターン。

父も「飯がまずい」と言っていた

川内:業者さんが入ってこられるのと出ていかれる寸前に。いらっしゃいます。よく見ていらっしゃるんですよ。自動ドアがぴっと開いた瞬間にぱっと。
松浦:そうそう。子供がロック付きのマンションに入るのと同じやり方ですね。
川内:あります、あります。一見、玄関の横のいすでゆっくり座っていらっしゃる体(てい)ですけれども、誰かがドアを開けて出入りする瞬間にしゅっとすごいスピードで。
Y:「なんだ、動けるんじゃないか!」みたいな。
松浦:祖母は最後、心臓が弱って99歳の天寿を全うしたのですけれど、最後に入院した病院から僕ら兄弟に向かって、お前はあれをしろ、これをしろという手紙を送って来ました。そういう人でした。
川内:すごくしっかりされた方で。
松浦:最後までしっかりしていましたね、祖母は。それだけに、やっぱり僕らが言って言うことを聞くものじゃない、という印象が残ったんです。思い返せば、ガンで死去した父も、闘病生活のとき、言っても聞かないことがいっぱいありました。入院時は「飯がまずい」とよく言っていたです。その辺は今の母と同じですね。
 父は農業経済の専門家だったので、「お前ら、患者に向かってこんな飯を出していいのか」とか言って、生産から流通に至るまでの農産物の話を看護師さんに滔々と語っていた(笑)。それを看護師さんは拒絶するのではなく、話を聞いた上で笑っていなすわけです。こういう経験を通して、「どうも家族だと甘えが出るらしい。それだったら人に言ってもらった方がいい」という認識が、いつの間にか生まれていたのでしょう。

川内:なるほど。そういえば、料理の話を本の中でも書かれていらっしゃったんですけど、もともと料理はされていらっしゃったんですか。
松浦:自分がずっと独身できちゃったので。会社勤めをしているときは外食ばっかりだったんですけれども、フリーになって家にこもって原稿を書くようになって、自炊生活はそこからですね、もう1つはさっき言った農業経済を研究していた父の影響です。僕ら兄弟は全員「食は人間の基本だから、決しておろそかにするな」とたたき込まれて育ったんですね。
川内:素晴らしい。そういう影響もあって、お母様の食事を作って。
松浦:またそれを、認知症になった母が「まずい」とか言うわけですよ(「家事を奪われた認知症の母が、私に牙を剥く」)。
川内:そこなんですよね。一生懸命作ったものに対して、「まずい」とか「もっとおいしいものを」とお母様から言われたら、お気持ちに二重に負荷がかかるでしょう。おいしくないと言われたこと、具体的に食べものの名前を出せないお母様の今のご病状。どうやって、お気持ちを消化していけるものなんですか。
松浦:消化というか、とにかく必死でした。正確に言うと「まずくても食え」みたいな感じですよ。だから努めて気に病まないようにしていた。
川内:気に病まないように。

料理が下手な自分を責めない!

松浦:変な話ですけど、自分の作る料理がまずいことは自分で知っているわけですよ。とはいえ、その中でいくつか発見したことはあります。その1、「失敗しても自分なら食える」。その2、「失敗したときは取りあえず濃く味付けをすれば何とかなる」。
川内:なるほど。
松浦:本にも書きましたが、塩を減らしたので文句をぐちぐち言われたんですけれども、失敗したら味を濃くする(「予測的中も悲し、母との満州餃子作り」)。それとその3、「最低でも食えるところまで持っていきたければ、材料をけちらない」。値段はちょっと高くなりますが、しょうゆとかの調味料、あるいは野菜も新鮮なものを選ぶとか。素材で頑張っておくと、調理で失敗しても取りあえず食える。
Y:まずい素材をうまく食わせるのには、技術か、濃い味付けが必要ってことですね。
松浦:うまく食わせるのは技術。でも技術がないんだったら素材をけちるなという。
Y:ないんだったら素材でカバーして。なるほど、分かりやすい。
松浦:それで何とか続けてこられた。
川内:いや、素晴らしい。「おいしく作れない自分がいけないんだ」とか、「母にこういうふうに言わせているのは自分のせいなんだ」というスパイラルに落ち込まず、しっかりと「まずくてもいいから食えよ」という気持ちを持ち、そして素材や味付けでリカバリー策にも思いを至されたと。まさに男性流というか、プラグマティックな適応策ですね。

松浦:それも前段からの経緯があります。自分が職を辞して独立した時、この自宅近くに仕事場を借りたら、父が「男一匹、家を出たからには帰ってくるな」とか言って入れてくれなかった(笑)。
Y:実家に飯をたかることができなくなった。
松浦:ええ。仕方なく、ひたすら自炊の生活です。ところが、それだけやっても自分は料理はうまくならない。「我ながら下手だなあ」と身に沁みて自覚したんです。なので「まずい」と言われたって「そりゃそうだよなあ」と思えたのかもしれない(笑)。
Y:なるほど、やはり経験値があったほうがショックは少ないんですね。とはいえ、ゼロになるわけではないでしょう?
松浦:もちろん、気持ちへの影響がゼロにはならないです。しかも、毎日毎日のことですから、こう、ぐーっと溜まってくるものがある。やっていた2年半は本当に大変でした。いつも何か重しが載っかっているような感じです。そしてその重しは自分の調子、あるいは、母の調子によって重くなったり軽くなったりするんです。
川内:なるほど。自分の感覚というか、お母様のご状況によって負荷が変わってくる。何が一番お辛かったですか、その当時。

「決定権がなくなる」辛さ

松浦:実は今も、いつお迎えが来るかという状態のこいつ(と、愛犬を指さす)がいるからあまり変わってないところなんですけど、時間的にものすごく制約されるんです。調子に乗って午前2時、3時まで原稿を書いていても、朝はきちんと起きてご飯を作らなくちゃいけない。朝の8時になったら絶対ヘルパーさんが来て、おはようございますとやってきますから、それをちゃんと迎えなくちゃいけない。
松浦:母が家にいるときは、とにかく足が衰えちゃいけないからと必ず連れ出して歩かしたんです。けれど、歩きだすと、かつてだったら30分もかからずにささっと歩いた道が1時間かかる。その間、一緒にくっついて歩かなくちゃいけない。毎日毎日、母に割かねばならないタスクがあって。それを取っていくと自分の時間、いや、それ以前に自分の仕事の時間まで持っていかれるんですね。その持って行かれる時間がだんだん増えていくのが一番つらかったです。
 一言で言うと、自分の決定権がない。自分自身の使い方の決定権がないということなのかもしれない。そしてこれは経験がないので分かりませんが、たぶん、小さな子供のいる方はみんな同じストレスを抱えているんだろうな、という気がするんですよね。
川内:おそらく子育てもそうだし、それこそ家族を持っていくことで、松浦さんがおっしゃった「自分の自由になる時間が削られていく」というのは必ずあるとは思います。それと、1人で抱えていく介護とで違うのはどういうところでしょう。

向き合わないことにも、別のリスクがある

松浦:本に書きましたけど、この先の見込みがないところです。結局、老いは下り坂ですから、「頑張って支えていたら元へ戻る」とか「いつかは治る」とか、そういうことはないんですよね。必ず、少しずつ悪くなっていく。ちょっとよくなったような気分になる瞬間というのは確かにあるんですけれども、じゃあ、例えば、今83歳、もうすぐ84歳になる母が、かつての50歳、60歳のころに戻るかといったら戻らない。絶対にありえない。それを横で見ているのも辛いし、そしてその結果起きるいろいろなことを片付けていくのも辛い。そこが一番大きかったかな。
川内:私もそこは本当にそう思います。やっぱり、自分を育ててくれた親が、自分が頼れる、安心できる人ではなくなっていく。そのプロセスは、生きている限り誰しもが目の当たりにしなければいけないんだけれども。介護をすると、よりそれを密接に目の当たりにせざるを得ない。
松浦:そうなんです。自分を育ててくれた人間が「自分が支えていないと倒れちゃう」みたいになっていく。親の介護はそこが辛い。
Y:ううう。いっそ目を逸らしたくなりませんか。
川内:よく分かります。ですが、衰えていく親とまったく向き合わないというと、それはそれでおそらく亡くなった後に辛くなったりするのかもしれないです。とはいえ、直接親の介護をして、しかも同居、というと、目の当たりすることが多すぎて心に負荷をかけ過ぎてしまうのかな、と感じるところもあるんですね。
松浦:そうですね。だからいずれ自分の番が来ることを考えると、自分がそうなっていった場合どう振る舞うべきか。いや、そもそも振る舞えるのか。認知症になっちゃったらそういうことを考える意識自体が問題になるぞ、というのはものすごく考えますね。考えてどうにかなるものでもないんだけど。

自立心の命綱は、排泄

川内:お母様の側にしても、当然、松浦さんはいつまでも大事な息子さんでいらっしゃるので、息子に対してできる限りやってあげたいし、母でいたいという気持ちはずっとあると思うんです。でもそれが自分の、言い方は申し訳ないですけど、能力というか、できることが少なくなっていく中に、お母様自身にも葛藤があったんじゃないかなと思うんです。お母様のそういうお気持ちを感じられたことはありますか。
松浦:感じたのは、親心というよりむしろ母自身の自立心と自尊心ですね。特に排泄で感じました。「自分でやる、自分でやる」と。できなくなっても「自分でやる」と言った。できないんだからこっちに任せてくれといくら言っても、やっぱりやりたいんですね。もっと踏み込むと、「できる自分であると思いたい」んだと思います。
川内:そうですよね。それをご家族で受け止めるのって私は相当大変なことだなと思います。私たち介護事業者は、「排泄のケアが、その方の自立心の最後の命綱である」と習って、ご本人がそういうお気持ちを持つということは大事だ。できない部分はどこなのか、と分析するんですよ。排泄行動のタスクを挙げていって、ここの動作だというのを見つけて、そこだけサポートするんです、できる限りね。
 特に、認知症の方のケアにとってはすごくそこが大事です。ご本人のやりづらさが出る部分はどこなんだろうと。例えば尿意を感じているんだけど、その記憶が失われてしまって行けないのかもしれない。その場合は、心地よい声掛けによってご本人がすっと行かれるケースもあるし、施設の場合は利用者さん同士で声を掛けて行かれる方もある。男でいう「連れション」みたいなやつですね。
松浦:なるほど。

頭では理解できても、特に男性には難しい?

川内:でも、それって本当に冷静じゃないと「何に手こずっていて、どうしてあげればいいのか」を判断するのは難しい。言い方は本当に申し訳ないですけど、介護者側が「この人は自分の母である」という認識があることで、むしろ難しくなる瞬間があるわけです。
 我々の場合は、「この方はすごく立派な、大手の企業にお勤めでいらっしゃる方だったんだけれども、今はご病気になられて、でも、ここさえサポートできたら排泄はまだできるはずだ」、と、例えばドラマチックに思っていたりするわけなんです。
 だけど同じ状況をご家族が見られたら「あんなにしっかりしていた人なのに、こんなところまで手伝わなきゃいけないなんて」となって。しかも、家族だから何でも言えちゃう。実際にがんがん言ってしまう、そして、それが辛さを増幅してしまうんです。
松浦:それはその通りですね。自分の親だから、まず気安さがあるし、それからわりとストレートに感情が行き来しているんですね。そうすると、お互いに怒りだしちゃって、もうどうしようもなくなる。
川内:いや、もう本当にそう思います。
松浦:もちろん、頭では理解しているんですよ。そこを切り離して自分も対応しなくちゃいけないというのは分かっているんだけれども、なかなかできないんです。
川内:そこには、男性の場合、特に大きな壁というか、理由があるんです。