中国ネット民も驚いた、中国反日言論「安倍訪中で手のひら返し」

中国ネット民も驚いた、中国反日言論「安倍訪中で手のひら返し」

政府の方針なのかタカ派紙が急転回…

入国禁止から共存共栄…

「環球時報の編集者の皆さん、頭がどうかしたのか? それともわざとなのか? 『共存共栄』、この言葉を好き勝手に使っていいのか? この言葉は明らかに歴史的な意味を持っているのだ。太君(=旧日本軍人)に媚びるため、さらに『大東亜共栄圏』という言葉まで使うのではないか?」

2012年の尖閣諸島国有化を機に発生した反日デモにより、国交正常化後最悪の状況に陥った日中関係から6年。安倍晋三首相が10月25日、日本のトップとしては7年ぶりに中国への公式訪問を果たした。

この日、中国共産党機関紙『人民日報』系列の『環球時報』は「中日社会は心の整理をして、お互いへの認識を改める必要がある」との社説を発表した。だがこの中に登場した「共存共栄」という言葉が物議を醸し、上記のような厳しい批判がネットに現れた。

社説は「両国社会はお互いへの見方を調整し、心理的に中日関係を再定義し、これまでの関係悪化のもたらした影から抜け出し、積極的に未来へと向かうことが必要だ」として、「まず、中日社会はお互いに相手の長所を尊重、肯定し、自らの短所に向き合わねばならない。中日が最もすべきでないことは、お互いを見下し、意地を張り、さらには『遠交近攻(お互いを牽制するために遠方の国と付き合うこと)』をすることで、その結果ごく一般的な衝突が深刻な対立へと変化してしまい、あらゆる事件が国家の運営や国家の尊厳のレベルまでエスカレートしてしまうことだ」と指摘した。
その後で社説は「お互いに尊重し、共存共栄の大原則を確立すれば、中日は容易に『和して同ぜず』ができるようになる。中国人は日本の技術革新や精密な管理から、多くの学ぶべき優れた点を見出すだろう。(中略)一方日本人も、中国の現代化のメカニズムが一旦動き出せば、その規模の効果は驚嘆すべきものだと分かるだろう」などと記している。
一読すれば、まともな主張のように見える。だがこの「共存共栄」という語句はこれまで、中国人にとって、「大東亜共栄圏」同様、旧日本軍の中国侵略の歴史と分かちがたく結びついていた。
近年中国では「抗日神劇」(抗日とんでもドラマ)と呼ばれる抗日戦争ドラマが粗製乱造されているが、抗日戦争映画の古典「地道戦」(1965年、地下道を掘って日本軍と戦う抗日ゲリラを描いた)の1シーンに、壁に「共存共栄」と大きく書かれた日本軍の陣地にゲリラが侵入する場面がある。
「共存共栄」はこのように日中戦争での日本側のスローガンとして、中国では忌み嫌われる言葉だった。それがよりによって、タカ派を売り物にしていた『環球時報』に登場したのだから、読者が驚き、不満を抱くのも無理はない。

「安倍首相を5年間入国禁止に」が……

今回の首相訪日をめぐり、中国側が友好的な雰囲気作りのためにメディアに対日批判を禁止したとの日本メディアの報道があったが、それにしても、環球時報のあまりにも極端な変わり身は、度を越していた。
例えば環球時報の胡錫進編集長は日中が対立を続けていた2014年1月、人民網(人民日報ウェブ版)「強国論壇」のインタビューの中で、安倍首相をペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)のリストに入れ、「今後5年間中国への旅行や訪問を禁止すべき」と語っていた。環球時報も13年12月に同様の社説を発表している。
ところが上記の社説に加え、胡編集長は26日、自らの微博に「日本政府が過去40年間中国に行った政府開発援助(ODA)に感謝する」との書き込みに続き、次のように記した。
「中日はお互いに恨み合うのをやめるべきだ。日本は依然米軍の占領下にあり、日米同盟は平等な同盟ではなく、日本の主権は弱められている。日本の長年の問題は米国だ。多くの中国人はワシントンの『米国が日本の軍国主義復活を防いでいる』との説明を受け入れてきた。中国が弱国だったころは確かにそうだったが、中国は今や強国であり、日本は中国にとっての脅威ではなくなった。

中国の日本に対する心理的態度は調整する必要がある。米軍の占領に対する日本の不満を呼び起こし、日本国内のナショナリズムを、中国ではなく、米軍の占領へと徐々に向けるようにすべきだ。中国はそのような調整を行う度量と気力があり、そのような操作を実現する知恵もあるはずだ。」

「『精日』よりも『精日』だ」

いろいろ突っ込みどころがある発言だが、中国のネットユーザーは胡のあまりにも転身の早さに「ちょっと知りたいのだが、この世界にはカメレオンと胡錫進、一体どちらが先に現れたのだろうか」、「この発言は中国の頭の悪い人びとに向かって言っているのだろう。日本は国民によって選ばれた政府だ。胡さん、あなたは自分が日本を動かせるとでも思っているのか? 日本人があなたを知っているのか? 頭の悪い(中国の)ネット愛国者をバカにしているのでは? 今日はこれ、明日はあれと、誰かがあなたに言わせているのだろう」といった皮肉や批判が相次いだ。
ネット上の文章でも「(安倍首相をブラックリストに入れろと言っていた胡や環球時報が)安倍首相が訪問すると、日本と『共存共栄』せよと呼びかける。精日(精神日本人)よりも精日だ。精日になりたくても、誰もがなれるわけではない。一般人が精日になろうとすれば捕まってしまうが、胡のような人こそ、精日になる資格があり、どんなに精日であっても捕まることはなく、逆に称賛されるのだ」「胡錫進はなぜ安倍首相に向かって『まだ5年もたっていないのに、なぜ中国に来たのか』と叫ばないのか」といった皮肉が見られた。
中国の歴史学者、章立凡氏はラジオ・フリー・アジア(RFA)の取材に、「中国政府が民族主義愛国主義を扇動したのは政治的な需要からであり、国内の矛盾を外部に転嫁する必要があった。現在政府は中日友好を宣伝しているが、民間の感情はこれに反発している。これは政府がこれまで過度に(日本への)憎しみを宣伝してきた結果だ」と指摘している。
「共存共栄」という字句を使ったことについて、清華大学の日本問題研究者、劉江永氏は同じくRFAの取材に、「(環球時報などの)メディアの社説を書く記者は比較的若いので、言葉使いについて専門的でも厳密でもなく、人々の反感を招きやすい」と答えている。
だとすれば環球時報の記者は抗日ドラマをもっと見て学ぶべきではと、冗談を言いたくなるが、知っていてわざとやった可能性など、疑問が尽きない。
環球時報のような、政府の都合に合わせて日本への態度を一変させるメディアだけを見ていても、中国の世論がどこにあるのかは分かりにくい。では中国社会は現在の日中関係をどう見ているのか、いくつかの見解を紹介したい。

「割れてしまった鏡は戻らない」

程担という筆者による「正常へと向かう中日関係 右も得意にならず、左も気落ちするな」という文章では、次のように論じている。
「中日関係が7年間の曲折を経て、ようやく正常へと向かった。これは非常に喜ぶべきことだ。自分と同様に極端なナショナリズムに反対し、中日友好を期待していた人びとは非常に得意になっている。彼らは、中日関係が本来の姿を取り戻し、中国国民が中日関係に関する多くの真実を知ったことを喜び、これらの真実(中国への政府開発援助=ODAの実態が公にされたことなどを指すとみられる=筆者注)がここ10年来高まった極端なナショナリズムポピュリズムを押さえ込み、人びとが正常な思考に戻ることを望んでいる。」
「一方で左派のいわゆる愛国者は、日本や日本の指導者を悪魔呼ばわりすることが突然制限されて、鬱憤がたまっているだろう。」
だが、「右派(リベラル派)も得意になってはいけないし、左派も気落ちしてはいけない。中日関係が正常に戻るのは簡単なことではない、まさに割れてしまった鏡をつなぎ合わせても、亀裂をなくすことができないのと同様だ。
中日関係が正常化しても、直ちに民間のわだかまりを消し去ることはできず、1980年代のような中日の蜜月時代へ戻ることは不可能で、将来再び(対立が)繰り返される可能性を排除できないからだ」――筆者はこのように述べているが、極めて客観的で冷静な分析だと思う。
文章はさらに、安倍首相の訪中が中日の新たな関係の基礎を作ったのは、中国メディアが宣伝するような、中国がいかに安倍首相を熱烈歓迎したかでも、両国がいかに多くの経済協力協定にサインしたかでもなく、中国がこれまで対立していた重大な問題で、これまでのやり方を徹底的に変えたからだ」と指摘。
具体的には、(1)中国は歴史問題をしつこく持ち出すことはしなくなった、(2)中国は釣魚島(尖閣諸島)の主権紛争にこだわるのではなく、鄧小平が提唱した争いを棚上げする外交政策に戻った――以上の2点を挙げ、「中国が最大の誠意を示したことで、中日関係が正常な道へと戻り、今日のウィン・ウィンの関係が実現したのだ」としている。
だが中日関係は常に日米同盟や米中関係の影響を受けているとして、南シナ海や台湾など「中国にとって切実な利益に関わる問題」で、米中間が対立した場合、日本はどちらにつくか選ばざるを得なくなるとして、その結果中日関係が大きなダメージを受ける恐れがあるとした。

「米中対立ない限り日中も安定」

ただ米中の貿易摩擦で、米国は日本にどちらにつくか選べとは言わないだろうし、日本も中国市場を捨てることはないとして、要は「中国が南シナ海や台湾などの問題で米国と対立しない限り、中日関係は正常な関係として、平等でお互いに利益のある経済貿易のつながりを維持し、これまでのような反目には戻らないだろう」と強調。
そして「ネット上で『精日』についての言論を発表しただけで捕まったり、一部の人が日本を恨む言論を堂々と発表したりすることがなければ、日本の民衆は中国への印象を徐々に変えるだろう。
中国の6割近い反日感情を持つ人々も、中日関係が正常化すれば、大多数は徐々に日本への態度を変えるだろう。中国の大衆はメディアの宣伝を信じるからだ」と結んだ。
米中間の摩擦が激化しない限り、日中関係も安定した関係が維持できるだろうとしているが、まさにそうあることを望みたい。
自由派論客の栄剣氏も10月24日、「中国外交の苦境と『東アジアの突破』 カギは中日関係を再び正常化することに」という文章を発表、栄氏によれば、微博での閲覧数は30万近くに達し「多くは好意的な評価だった」という。

四面楚歌の習近平外交

長文なので詳しくは紹介できないが、主な内容は「中国外交は現在、米国、欧州、日本、インド、オーストラリアなど主要国との関係がいずれも困難な状況にあり、特に対米関係は共和党民主党を問わず、『中国への関与政策が失敗だった』とみており、米中関係は戦略的な協力から戦略的な対抗へと変化した」こと、さらには「一帯一路」構想が様々な障害を受けていることなどを指摘。
このような事態になったのは、ここ5年来(すなわち習近平政権登場後)のイデオロギー重視の「価値観外交」路線、この核心を一言で言えば「中国が世界の秩序を再構築し、米国に代わって新たに世界を指導する国家となる」という、習近平政権の路線が原因だとしている。
栄氏は、中国外交は、(思い上がりの「価値観外交」から)鄧小平時代の「韜光養晦」(目立たぬようにして力を蓄える)に戻ることが重要だとし、苦境を脱するためにまず対日関係を改善することが、米国との関係を改善する上でも優位に立つことができ、中日関係は中国と周辺国家との関係の中でも最も重要な位置を占める、と主張している。

そして中日関係を再び正常化させることは、その場しのぎの外交的策略ではなく、鄧小平らが80年代に確立した「中日両国は子々孫々友好を続けなければならない」という長期的目標を実現することであり、そのために両国間に存在する3つの問題への総合的な解決策を求めなければならないとしている。
具体的には歴史問題、靖国神社参拝問題、釣魚島問題であり、80年代にもこれらの問題は存在したが、当時の指導者は「求同存異(小異を残して大同につく)」、つまり問題をイデオロギー化したりナショナリズムに訴えたりしなかったと指摘、今後の日中関係はまずは民間訪問を盛んにして国民感情を改善することが重要だとしている。
「現在の中日両国の指導者は、政治的な知恵を出してこれらの問題を解決すべきであり、もし今すぐに解決できないのなら、鄧小平が語ったように、まず『争いを棚上げし』、次の世代に解決させるべきだ。つまり、これらの問題を重荷として背負ってはならず、重荷を下ろして、身軽になって前進しなければならない」――栄氏はこのように述べている。
まさに栄氏の言う通りなのだが、問題は中国が1990年代以降、共産党政権の執政の合法性を維持するために利用してきた愛国主義、つまりナショナリズムを「淡化」(薄める、弱める)できるかだ。

「状況が変わればまた……」

日中関係や近代史について多くのコラムを執筆しているコラムニスト、和気猫さんは、悲観的、懐疑的見方だ。
彼女は「今回の安倍訪中の際、中国政府の(天安門での)日章旗掲揚や『環球時報』の『共存共栄』論は、手の平を返すような態度の急変だった。親日派はこの急変を歓迎するが、しかし、20年以上も継続してきた反日教育の下で、多くの中国人は、対日感情をそう簡単に変えることはないだろう。歴史問題は常に根底にある」と指摘した。
さらに「例えば、多くの中国人は、『近代に入って日本は中国を2度も侵略した』(日清戦争日中戦争)と考えている。これは『満州事変以降中国への侵略』を認めている日本政府の公的立場とは明らかに隔たりがある。
また、戦争という過去の不幸な出来事に複雑な原因があったにもかかわらず、鄧小平の『弱くなったら叩かれる』(落后就要挨打)論で片付けられているため、多くの中国人の意識の底流には、今度国が強くなれば日本に仕返しできると考えている。米中関係が悪化している中、上層部はやむを得ず対日態度を緩和させているが、状況が変われば、官民一致で日本叩き路線に戻る可能性が非常に高いと思う。」と語っている。
まさにこのような懸念があるからこそ、栄氏が指摘するように民間交流を盛んにして中国人の対日理解、対日感情を改善する必要がある。
こうした中で、「精日(精神日本人)」と呼ばれる「日本が好きすぎる中国人」の動向が注目されている。中国当局は「精日」を売国奴呼ばわりし、親日的言論を取り締まるなどの対策を取ってきたが、「日中新時代」を受け彼らに対する対応は変わるのだろうか?
(「精日」についての筆者の論考やインタビューをまとめた本を、近く講談社から出版する予定だ。詳しくはまたご紹介したい。)
(本稿は筆者個人の見解であり、所属組織を代表するものではない。)