冬眠が導く不治なき世界 死期を延ばす

冬眠が導く不治なき世界 死期を延ばす

科学&新技術
2018/11/29 2:00
不治の病にかかったとき、特効薬が開発される日まで冬眠できないか――。人類の生存を脅かす感染症などを克服してきた歴史からみれば、こんなSFのような未来が実現するかもしれない。人体凍結に向けた取り組みはないのか。ヒントを求めて私(30)は静岡市に向かった。
冬眠のメカニズムを研究するため、セ氏零下4度の不凍液でアマガエルを凍結させる(静岡市静岡大)=沢井慎也撮影
「『キモカワ』で女子に人気なんですよ」。静岡大学の岡田令子講師は研究室にある飼育ケースの内側に張り付いたアマガエルを見ながらこう話す。その横では透明なプラスチックの水槽の中で青い液体が揺れる。「不凍液」と呼ばれる特殊な成分で、セ氏零下まで冷やせる実験装置だ。
冬眠中のアマガエルは凍結しても死なない。アマガエルをミズゴケとともに水槽に入れて、セ氏零下4度の不凍液に6時間浸す。自然界の一晩を想定した時間で、小さな体は芯まで冷える。不凍液から取り出したアマガエルは手足が縮こまり、見た目はカチカチに凍る。それでも室内で自然に解凍すると動き出す。岡田講師は「アマガエルが北海道など寒い地域にも分布するのは凍結に耐える能力を持っているからだ」と説明する。
岡田講師は冬眠など動物が幅広い環境で生き延びる仕組みの解明に挑む。アマガエルでも単に冷やすと死んでしまう。冬眠中なら細胞や臓器を凍結から守る物質を蓄え、外側は凍っても内臓は凍らず血液も循環し呼吸も続く。低温には限界があるものの、解凍すれば元気に動き出す。
ロシアや米国では人体を凍結するサービスがある。生前に申し込んだ人が亡くなると遺体の血液を抜いて不凍液を流し込みセ氏零下196度に冷やす。将来開発される技術で、凍結した人体を解凍して蘇生する。申し込みもあり、既に冷凍された遺体もある。
自然界では冬眠するクマやサルなどの哺乳類は体温を下げて全身を低代謝状態にして眠る。ただ凍結すると死んでしまう。人間も凍結は難しくてもクマのように低体温にすれば、不治の病になっても画期的な新薬が登場するまで時間が稼げるかもしれない。
実際に人が冬眠したとされる事例もある。2006年10月、六甲山でがけから転落した男性が24日後に発見された。飲まず食わずで20日以上過ごし発見時の体温はセ氏22度。医学の常識では低体温で臓器が傷み生きられない。それでも男性は後遺症を残さず回復した。体が低代謝状態になり生存できたとみられる。
こうした事例を聞いて、冬眠状態を人工的に作り出すことは決して荒唐無稽ではないと思えてきた。氷河期や飢餓を耐えて生き延びてきた祖先は冬眠する能力を持っていたはず。体に眠る能力を引き出し医療応用を目指して大まじめに取り組む研究者がいる。
神戸市にある理化学研究所。砂川玄志郎研究員は低代謝状態を医療現場に生かそうとする研究者の一人だ。小児科医の顔を持つ砂川研究員は「休眠や冬眠の医療応用で救える命がある。研究のゴールは人を冬眠させること」と力を込める。マウスを絶食させると簡単に体温が低下し低代謝状態になる方法を確立、その仕組みの解析を進める。
砂川研究員が研究を始めたのは、かつて勤務した小児病院の集中治療室(ICU)での経験からだ。現場は日々、時間との戦い。例えば急性心筋症は瞬く間に心臓が弱り人工心肺装置がなければ助からない。「もし病気の進行を少しでも遅らせられれば」。この強い思いが、冬眠の研究に踏み出させた。
冬眠は積極的に活動を低下させて餌が少ない厳しい環境を乗り切る自然界の「先延ばし戦略」だ。ただひと冬の冬眠ならまだしも、凍結して数~数十年単位で人生を先延ばしにする人が登場すればどうなるのだろうか。先延ばしを受ける権利は誰にでもあるのか。費用負担はどうするのか。財産は眠る前に整理するのか。寝ている間に年を重ねていくのか。多くの論点が浮かび上がってくる。
現在の日本では社会保障制度が高齢化に対応できず様々な問題を先延ばしし、世代間にあつれきがある。先延ばしで過去の人が未来の資源を消費し深刻な対立が生じる恐れはある。その場合、未来の人が冬眠した人を起こしてくれるとは限らない。難病に苦しむ患者が未来の技術に期待する選択肢はあっていい。今のところ健康な私は現在を生きて未来の人のためになる何かを残していきたいと思う。
日本人の死因は医療技術の進歩で大きく変遷してきた。不治とされた病に対して新たな薬や医療技術が登場し、寿命を伸ばしてきた。今まさに問題になっているがんや心疾患などの病気も、医療の発達によっていつかは克服されていくだろう。
厚生労働省の「人口動態統計」で1900年からの主な死因を見てみると、肺炎、胃腸炎結核が上位にある。これらは全て感染症だ。特に体力があれば回復しやすい肺炎と胃腸炎などと違って、結核は不治の病として最も恐れられていた。
その後、結核の死亡率は劇的に下がる。衛生状態の改善や栄養状態の向上に加えて、ワクチンや抗生物質ストレプトマイシン」の普及など医療の発達によるところが大きい。世界保健機関(WHO)によると、日本は現在も結核の中まん延国でまれに問題になるが、かつてのような「死に至る病気」という認識ではなくなった。医療の発達によって恐れられた病気を克服した。
感染症に代わって60年代の死因のトップは脳卒中などの脳血管疾患だ。この病気のリスクとなるのは生活習慣だが、特に高血圧のリスクは高い。健康診断で早期に高血圧の人を見つけ、血圧を下げる薬物治療を行うことで死亡率は減少した。救急医療の整備や食の欧米化によって血圧を上げる塩分の摂取量が減った影響も大きい。
80年代では死因のトップはがんだ。手術と化学療法、放射線治療の3本柱の治療が行われてきたが、高齢化に伴って死亡率は上昇を続けている。2010年以降は相次いでがんに対する免疫療法が登場して、新たながん治療の柱になる可能性が高まっている。
免疫のブレーキを解除する「免役チェックポイント阻害剤」の開発につながる基礎研究の成果を上げた本庶佑京都大学特別教授に、今年のノーベル生理学・医学賞授賞が決まった。本庶特別教授は「がん免疫療法の登場は感染症を克服した抗生物質の登場に匹敵する」と強調する。
アオカビから偶然に見つかった抗生物質ペニシリンは、人間が持たない細菌が持つ酵素に作用して殺菌するため、効果が高く副作用が少ない。この成功が人類を抗生物質の開発に向かわせるきっかけとなり、感染症克服につながった。
がん免疫療法も本庶氏らの成功を機に医学研究が活発になり、効果的な治療法が次々と登場すれば、がんも不治ではなくなるかもしれない。死亡率が増加傾向の心疾患でも世界で再生医療の開発競争が繰り広げられている。次々に問題になる病が現れ、その治療法を開発する取り組みが続きそうだ。(岩井淳哉)