アフリカの少年が日本で育ったら…
30年前、アフリカ中央部のカメルーンから1人の少年が姫路にやってきた。日本語を話せないまま保育所に通い、友だちの会話に耳を澄まして播州弁を覚える。少年の名は星野ルネさん。昨年、自らの半生をコミカルに描いてツイッターに連載すると話題を呼び、「まんが アフリカ少年が日本で育った結果」として書籍化された。私たちが外国人たちと一緒に生きる上で必要な視点とは? 星野さんに聞いてみた。(段 貴則)
-なぜツイッターに投稿を?
「姫路の飲食店で働いていたとき、僕の日本語が流ちょうなことに、どのお客さんも驚いた。日本で体験してきた外国人としてエピソードを話したり、アフリカについて日本人が抱くイメージと違う一面を教えたりすると、話が弾んだ。もっと体験を知ってもらえば日本人に面白い、なおかつ新しい発見をしてもらえると思った」
-反応はどうでしたか。
「同じエピソードでも日本人からは『あっ、そうなんだ』、ハーフや外国人は『あるある』。中には、ハーフの子どもがいる親から『これから子育てをしていく上で参考になった』という感想も寄せられた。海外から『英語版を出して』『フランス語に翻訳して』と連絡もあった」
-書籍が人気を呼んだ理由をどうみてますか。
「タイトルの『アフリカ少年が日本で育った結果』は、『マイノリティー(少数派)がマジョリティー(多数派)の中で育った結果』ということ。たまたまアフリカだっただけで、生まれた国は米国でもインドでもよかった。育った場所についても、どこの国に置き換えてもいい。マイノリティーとマジョリティー間で、互いを知らないがゆえに起こるエピソードは、国によって多少の違いはあっても共通しているはず。いろんな立場で読め、共感できるからだろう。世界各地で移民のニュースが増えており、本が発売された時期がホットだったのかもしれない」
-今春には第2弾の出版が予定されています。構想は?
「そのために両親を取材しようと姫路に帰ってきた。第1弾は自分の人生を紹介しているが、第2弾は家族にフォーカスしたい。母はアフリカ社会で育った。僕や、母と日本人の父の間に生まれた妹たちは、日本社会で育った。同じ家にいても家族でも、違う社会で育てば、ものの考え方や人格、世界観は大きく異なる。第2弾ではその辺に触れたい」
-第1弾の本では、アフリカの少女について書いた「泣いてばかりの私へ」という話が印象に残っています。
「日本は色白が美しさの象徴とされ、アフリカの少女は『日本では白くなきゃ駄目なの』と思っている。僕の妹もそう。どうやって乗り越えればいいかを描きたかった。あの話は『子どものころの自分に手紙を出すなら』と、妹たちと文案を合作した。使っている漢字は小学3年生が読めるくらいのレベルにしてある。多くの人に読んでもらいたい」
-今後、日本は外国人の受け入れを増やしていく方向です。共生には何が必要でしょう。
「育った社会が違う人同士で、完全に理解し合うのは難しい。不安になったり警戒したりもする。でも、交流すれば信頼が生まれる。一方通行では駄目で、お互いが歩み寄ろうとする姿勢が大事。交流する場を設け、例えば地域のお祭りで一緒に餅をついたり、盆踊りを踊ったり。また故郷の料理を振る舞うのもいいと思う。外国人には日本の地域のルールや文化、伝統に興味を持ってほしい。そして誠意と愛情のある行動を示せば、日本の人も安心する」