「孫さん見損なったよ」 右腕がキレた日

「孫さん見損なったよ」 右腕がキレた日  知られざるソフ


 2014年8月、東京・汐留のソフトバンク本社26階。朝8時に開かれた役員朝食会で孫正義は宮川潤一に声をかけた。
 「今日はお前が真ん中に座れ」
 長細い楕円形のテーブルで、宮川はいつも端に座っていた。最高技術責任者(CTO)ながら最年少役員のためいつもは遠慮していたという。
■米スプリント再建の任務
 「きょうはお別れ会だ」。そう切り出した孫は宮川に告げた。「あさってから米国に行ってこい」
 「俺、英語ができないんですけど」
 「そんなもん行けばなんとかなる」

 宮川が大役を任された瞬間だった。使命は赤字にあえぐ米携帯子会社スプリントの再建だった。
 宮川は孫の右腕として知られる存在だ。16年前に孫が見いだしたそのキャリアは異色だ。

 本来なら愛知県犬山市にある実家の禅寺を継ぐはずだった。技術陣のトップながら実は文系。しかも仏教学科の出身だ。もちろん実家を継ぐためだが、宮川は嫌で仕方がなかったと言う。「35歳まで好きなことをやらせてほしい」と父親と掛け合い、大学を出るとゴミ焼却炉の製造、販売を始めた。

 だが時はインターネットの黎明(れいめい)期。「これからはネットの時代だ」と見た宮川は、ネット接続プロバイダーにくら替えする。社名はももたろうインターネット。全く門外漢の宮川は岐阜大学に頼み込んで学生の手を借りて事業を立ち上げた。地元名古屋でそこそこの成功を収めていた宮川に、孫は突然電話した。

 「君は名古屋で終わる気か? 俺ともっと大きなことをやらんか」。2001年6月のことだ。NTTに挑戦したブロードバンド、「泥船」とまでいわれた英ボーダフォン日本法人買収による携帯参入――。通信業界の再編の波の中で、孫とともに修羅場をくぐってきた。

■諦めようとした孫
 米カンザスオーバーランドパーク。宮川がそこで見たものは「死んだ会社」だった。キャンパスと呼ばれるスプリント本社は全く活気がない。赤字を垂れ流すことになれてしまっているように、宮川には感じられた。

 技術統括として指示を出しても何も進まない。そう指摘すると「OKとは言ったけどやるとは言っていない」と返事が返ってくる。それに英語で言い返せない自分がもどかしかった。

 「このまま行ったらチャプター・イレブン(米連邦破産法第11条による倒産)だぞ」。スプリント最高経営責任者(CEO)のマルセロ・クラウレに忠告してもラチがあかない。

 単身赴任の寂しさから、やめていたたばこにも手を出した。気づけば体重は半年で12キロも減っていた。それでも課題のネットワーク改善は少しずつ前進していた。

 東京の同僚から妙な噂が聞こえてきたのは、そんな時だ。「もうスプリントには見切りをつけて売るらしいぞ」。しばらくすると宮川自身にもあるファンドから声がかかった。「もし当社がスプリントを買ったらあなたは残ってくれますか」。14年末のことだ。

 「冗談じゃない」。宮川は東京・汐留の本社に戻り、役員陣の前で、孫を問い詰めた。「スプリントを売却するって本当ですか?」
 場が静まりかえる中、孫ははっきりと言った。
 「失敗は失敗で認めるべきだ。俺の失敗。俺の責任だ。タダでも持って行ってくれるヤツがいたら持って行ってほしいくらいだ」
孫社長はスプリント再建をあきらめかけていた(2013年4月のスプリント買収会見)

 宮川は怒りをおさえながら「それは捨てセリフだと理解してあえて言いますよ」と前置きし、言葉をつないだ。
 「孫さん、俺はあなたを見損ないました」
 役員陣の視線が一斉に宮川に集まる。皆が押し黙る中で宮川が続ける。

■もう一度強気に
 「ここで売却なんてしたら俺らはもう一生、アメリカに出て行けませんよ。我々が今まで事業で成功してきたっていう看板も下ろさなければいけない。ここは苦しくてもやるべきです。俺にやらせてください」

 孫は黙って腕を組んだまま聞いていた。
 しばらくしたある日、孫が会議でこう宣言した。「俺がチーフネットワークオフィサーだ。責任を持ってやる」。スプリント再建の最前線に自ら飛び込むと宣言したのだった。この日から孫はスプリントにつきっきりとなる。「何度言ったらわかるんだ」。早朝と深夜に開くスプリント幹部との電話会議では毎回のように机をたたいて怒鳴り声も上げた。

 「事業家のプライドに懸けてスプリントを再建してみせる」。孫はこんなことを公言するようになっていた。
 「これがマイ・ニュー・ワイフです」。宮川が小さな鉄塔に抱きつく写真をシカゴから送ると、孫は早速反応した。「これでやろう」。それは日本で使うような小型の鉄塔で、2006年に買収した英ボーダフォン日本法人の電波網を改善した時に使ったものとそっくりだった。

 電波網改善の方法も日本で使ったものだった。アプリなどから得られるビッグデータを解析し、地図上につながりやすさをプロットしていく。データを駆使して改善を要するエリアを見える化していくのだ。
 「スプリントはもう一度攻めに出る」。16年に入ると孫の言葉にいつもの強気が戻っていた。

■再び売却報道
 今年2月、ソフトバンクがスプリント売却を検討していると、米国で報道された。今は米国で電波の入札が行われており、通信事業者間での接触が禁止されているが、それが終われば売却する可能性があるとしている。孫はこれに対して何も語ろうとしない。いつもこんな言い方をする。
 「ボクサーがリングに上がる前にどんなパンチを打ちますとか言わないでしょ」

 ヒントになるのは、孫が一度諦めかけた時の、宮川のあの言葉かもしれない。「あなたを見損ないました」。それは16年前、孫が宮川に突きつけた言葉だ。ソフトバンクに引き抜かれた宮川を待っていたのは通信会社の体を成していないブロードバンド事業の前線基地だった。まともに顧客管理もできていない。その問題点を指摘した宮川に、孫が言い放った。

 「俺はダメな理由なんか聞きたくないんだ。お前、見損なったぞ」
 宮川は改革案を提示し、「これで納得できなければ俺をクビにしてください」と言い返した。もちろん、孫も覚えている。宮川の挑発にはこんな伏線があったのだ。

 事業家としてのプライドを傷つけられた孫がどう出るか。ある別の幹部はこう話す。「これまでの孫さんとの付き合いから考えれば答えは明白だ」