「過去」を変える実験 見えてきた記憶のメカニズム

「過去」を変える実験 見えてきた記憶のメカニズム

2017/9/30 2:00
日経サイエンス
 突然丸い部屋に入れられ、両足にビリッと電撃を食らった。それ以来、そこは恐怖の場所になった。だが、実はそれは本物の記憶ではなく、作られたフェイクの記憶だった──。そんなSF映画さながらの記憶の操作が可能になっている。ただし、人間ではなくマウスでの話だ。富山大学の井ノ口馨教授らは、マウスの脳に刻まれた個々の記憶をつなぎ換え、新たな記憶を作り出した。
2つの記憶を結びつける実験。マウスを丸い部屋に入れた後に四角い部屋に入れて電気ショックを与える。最初これらは別々の出来事として記憶されるが,脳にレーザー光を照射すると両者がつながり,丸い部屋に入れただけでマウスは恐怖ですくむようになる。
2つの記憶を結びつける実験。マウスを丸い部屋に入れた後に四角い部屋に入れて電気ショックを与える。最初これらは別々の出来事として記憶されるが,脳にレーザー光を照射すると両者がつながり,丸い部屋に入れただけでマウスは恐怖ですくむようになる。

 実験では、まず丸い部屋の中にマウスを入れ、自由に探索させた。次にそこから出して四角い部屋に入れ、脚に電気ショックを与えてすぐに出した。マウスには「丸い部屋にいた」という記憶と、「どこかに入れられて脚に電撃を食らった」という記憶が残る。それぞれ別々の出来事として記憶しているので、翌日、マウスを再び丸い部屋に入れても平然としている。ところが、マウスの脳の記憶をつかさどる海馬という部分などに青いレーザー光を2分ほど当て、その後マウスを丸い部屋に入れると、電気ショックへの恐怖で固まってしまう。
 いったい何が起きたのだろうか。最初、2つの記憶はマウスの脳の中の異なる細胞集団によってコードされていた。ある細胞集団が活動すると丸い部屋の記憶が想起され、別の細胞集団が活動すると電撃の記憶が呼び覚まされる。

 これらの細胞には「光遺伝学」と呼ばれる手法を用いて、青い光が当たると活動するような仕掛けを施してあった。レーザー光を照射すると両方の細胞集団が活動し、マウスには「丸い部屋」と「電撃」の両方の記憶がフラッシュバックする。同時に細胞同士の結合が強まり、どちらか一方だけでなく2つの記憶を同時にコードする「オーバーラップ細胞」が増えていく。その結果、2つの記憶が関連づけられ、一方を思い出すともう一方も想起されるようになった。こうして本来なかったはずの、「丸い部屋での電撃トラウマ記憶」が生成されたのだ。井ノ口教授らは別の実験で、一度つながった記憶を再び切り離すことにも成功した。

 「この10年で、記憶の研究は急速に進歩した」と井ノ口教授は話す。脳内の細胞の活動を可視化し、1つずつオンオフできる技術が登場したことで、「従来はアプローチできなかった疑問に取り組むことを可能になっている」。記憶が脳内でどんなふうに保存され、どんなふうに互いにつながるのか。その実体が細胞レベルで解明されつつある。
(詳細は25日発売の日経サイエンス2017年11月号に掲載)