日本人収監の実態 終わっていない米カルテル摘発

日本人収監の実態 終わっていない米カルテル摘発

 米オバマ政権時代に日本企業を震え上がらせた国際カルテル摘発。普通のサラリーマンがある日突然拘束され、いまも10人前後の日本人が刑務所に入ったままという。トランプ政権になり日本企業をターゲットにしたカルテル摘発はいったん収束したかにみえるが、実は水面化で再始動の気配がある。
■ギャングや密売人と相部屋
 「刑務所の食事は豆料理ばかり。作業でためたお金で週1回、売店カップラーメンを食べるのだけが楽しみだ」――。カルテルの罪で収監されたある日本人の囚人は面会者にこう語った。
 米カリフォルニア州の中部、茶色い土とまばらに自生する低木に囲まれた殺風景な土地に、その施設はある。ロンポック刑務所。2010年ごろから火が付いた自動車部品カルテルでは日本企業60社以上が起訴され、40人近くが収監された。
 全米に150近くある刑務所は厳重さのレベルで4段階に分けられている。ロンポックには最高レベルを除く3つの施設があり、カルテル犯が収容されるのはもっとも軽い「ミニマムレベル」。囚人の自由度が高く案外過ごしやすいという評判もあるようだが、実態は違う。

 ロンポックに8度、足を運んだという日本人弁護士によると、正門から入り、凶悪犯が収容される「ミディアムレベル」を通り過ぎた先に日本人が収監される棟がある。監視体制はミディアムほど厳格ではないが、そこが盲点だ。施設はキャンプと呼ばれる相部屋方式で囚人に割り当てられるのはベッドと箱がひとつずつ。初犯のギャングやドラッグの密売人とも壁を隔てず寝食を共にする。
 囚人向けマニュアルから所内での生活をうかがい知ることができる。収監されるとすぐに施設の説明を受けるが、その内容には「性的暴行・虐待に関する情報」も含まれる。囚人は男性のみだが施設内でレイプ事件が多発しているようだ。
 囚人は毎朝6時に起床し8時までにベッドを整理する。面会は週末と祝日だけ。各囚人には毎月6ポイントを与えられ、一回ごとに2ポイント減っていく。面会者との握手やハグは最初と最後だけ。囚人は面会中、一度いすに座れば面会終了まで動くことが許されない。
米カリフォルニア州中部にあるロンポック刑務所(ホームページより)
カリフォルニア州中部にあるロンポック刑務所(ホームページより)
 カルテル犯の刑期はおおむね1~2年。だが、これまで刑務所生活の実態が日本で語られることはなかった。誰が収監されたのか、どんな風に服役しているのか、企業は一様に口を閉ざす。それには理由がある。

■司法取引で口封じ
 起訴されたほとんどの企業が米司法省との司法取引に応じているからだ。刑期や制裁金を減らす代わりに裁判で有罪を認める。もちろん制度上認められた刑事手続きだ。その際、捜査の内容を口外しないことを求められる。
 2010年ごろから続いた自動車部品のカルテル事件。矢崎総業古河電気工業デンソーなど名だたる大企業が制裁金を支払い、幹部クラスの社員が収監された。ダイヤモンド電機は点火コイルのカルテルの罪で当時の社長と副社長が禁錮刑を科され、経営が混乱した。
 「刑期を終えたら、今と同等のポストは用意しておく」――。司法取引の交渉に携わった関係者は、ある部品メーカーが収監される社員をこう説得するのを見た。ただ、モリソン・フォースター法律事務所弁護士の渡辺泰秀によると「近年は米司法省も厳しく、司法取引の条件として収監者が元のポストに戻らないように求めている」という。他社への見せしめの効果がなくなるからだ。

 どんな行為がカルテルと見なされたのか、これも司法取引に応じているため詳細は分からない。ただ、国際カルテルに詳しいベーカー&マッケンジー法律事務所パートナー弁護士の井上朗は「いわゆる握りや合意がなくても、日本人の感覚だと情報交換程度に近い行為が摘発の対象になりやすい」と指摘する。
司法取引に応じず裁判で無罪を勝ち取った東海興業の米国法人
司法取引に応じず裁判で無罪を勝ち取った東海興業の米国法人

■取引に応じなかった東海興業
 昨年11月、米司法省のカルテルの罪で起訴されたある日本企業の無罪評決が確定した。司法取引に応じず徹底抗戦したその企業の話から、生々しい実態が浮かび上がる。
 2013年10月28日、米オハイオ州デイトン市郊外にある東海興業(本社・愛知県大府市)の工場に1台のパトカーが近づいてきた。事前の連絡は一切ない。4人の男が工場に入ると、その中の2人は米連邦捜査局FBI)の捜査官だと名乗った。もう1人は米司法省反トラスト局の検察官。残る1人は通訳だった。
 出迎えた現地法人トップの細田文一に、検察官がサピーナという書類を手渡した。細田が説明を求めると裁判所への召喚状だと言う。米国人の工場幹部が顔面そう白で震えていた。
 東海興業がつくるのは自動車の窓のゴム枠。細田は他社とのカルテルなど聞いたことがない。すぐに弁護士に連絡して社内調査を徹底したが、やはりそれらしい証拠は見つからない。
 無実を訴えようと検察官に連絡し、弁護士を伴って説明に出向いた。東海興業側の説明を淡々と聞く検察官。細田らが席を立ったときだった。無表情だった検察官がニヤッと笑いながらつぶやいた。
 「誰をカーブアウトして刑務所に送り込むか、せいぜいよく考えておくんですね」
 カーブアウトとは会社と切り離して個人を訴追対象とする制度のこと。対象となるのは幹部クラスだ。事情に詳しいコンサルタントは「カーブアウトで幹部を差し出せば制裁金を減額するという司法取引を持ちかける交渉戦術です」と話す。米司法省は最後まで裁判で争うより効率的に「成果」を出せる。
 東海興業は岐路に立たされた。抗戦して負ければ罰金などは100億円はくだらない。資本金が3億円余りの同社にとっては巨額だ。米司法省はカーブアウト対象の社員も指名してきた。ただ、副社長の木村友一はこう断言する。「もし司法取引に応じれば罪人となった社員は名誉も信頼も失う。そんなことを簡単にカネで決められるわけがない」。戦いは法廷に移された。

■「緩い」間接証拠
 2017年11月6日、木村は米シンシナティの裁判所に立った。この時点で初めて米司法省がつかんだ証拠が開示される。提示されたのは日本の同業他社から得た資料だった。そこでは「既得権」という言葉が使われていた。
 東海興業が同業他社と擦り合わせた上で完成車メーカーへの納入を既得権として確保している。その結果、価格が高止まりしていればカルテル――という論法だ。
 結果からいえばほぼ1カ月続いた裁判は東海興業が無罪を勝ち取って終結した。陪審員の評決は12対0で完勝。「既得権」は自動車部品業界で広く使われる「商権」という言葉を、その同業他社が言い換えた社内用語だった。
 一連の経緯から浮かび上がるのは、米司法省がかなり「緩い」間接証拠を積み上げて立件に持ち込もうとしていたことだ。それでも陪審員の判断が読めない以上、徹底抗戦すれば厳罰が下されるリスクがあり、ほとんどの日本企業が司法取引を選んでしまう。
 2010年ごろから連鎖的に発覚した自動車部品のカルテル捜査は2015年ごろを最後に表面上は収まっている。危機は過ぎたのか。事情に詳しい司法関係者は一様に首を横に振る。

■反トラスト局トップの就任
 昨年9月、米民主党の抵抗のため空白だった米司法省反トラスト局のトップがようやく決まった。局長に就いたマカン・デラヒムは法律事務所からの起用。かつてブッシュ政権時代に反トラスト局に勤務した経験もある。
2017年9月に就任した司法省反トラスト局長のマカン・デラヒム氏(米司法省ホームページから)
2017年9月に就任した司法省反トラスト局長のマカン・デラヒム氏(米司法省ホームページから)
 さらに司法省の内部事情に詳しい日本人弁護士が注目するのは刑事執行担当の人事だ。司法省プロパーのマービン・プライスは国際カルテル摘発推進の最強硬派とされる。プライスと酒席を共にして本音に迫ったというこの弁護士は、「彼はカルテルは凶悪犯だと固く信じているだけでなく、米国第一を信じて疑わない。日本企業を(制裁金などで)つぶすこともためらわないでしょう」と話す。
 人事以外にも不確定な要素が出てきている。
 「米国の(カルテルにおける)国際問題への影響力が低下している。今では欧州連合(EU)の次に甘んじている」。元米連邦取引委員会(FTC)委員長で米独禁行政に強い影響力を持つとされるウィリアム・コバチッチは今年1月、こう公言した。たしかに近年はEUの欧州委員会による積極的なカルテル摘発が目立っている。米国が主導権を奪われることに警戒感を示した格好だ。
 米専門誌によると1月、デラヒムは後発薬での価格調整疑惑を例に挙げ、制裁金の拡大に言及した。カルテル事件の制裁金は、消費者がこうむった不利益を埋め合わせる考え方だが、政府の不利益もこれに加えるべきと訴えたのだ。

■日本企業は「カモ」
 アンダーソン・毛利・友常法律事務所弁護士の江崎滋恒は「米中間選挙に向けたアピール材料として、日本企業が狙われやすい」と警鐘を鳴らす。日本企業は業界内での距離が近く、ライバル企業と接触する懇親会などは証拠の宝庫とみられている。
 実際にカルテル事件を担当した組織マネジメントアドバイザーの龍義人はこう話す。「日本企業は同業他社の資料を芋づる式に得やすいし、脅せば簡単に司法取引に応じると思われています。早い話が、カモにされているのです」
 新たなターゲットの一つとなっているのが電子部品だ。米国では自主申告すると刑が軽くなるリーニエンシー(課徴金減免制度)と、対象になった製品とは別の製品でも自主申告すれば減刑を認めるアムネスティプラスという2つの制度がカルテル捜査の大きな武器となっている。自首した企業に情報提供させて芋づる式に摘発していくのだ。2015年ごろから、パナソニックのリーニエンシーで日本ケミコンニチコンといったコンデンサー大手が次々と捜査の対象に挙げられている。地中に潜伏していた芋づる捜査が、地上に顔を出す可能性がある。

カルテルへの憎悪
 米国人のカルテルへの憎しみは、日本人の比較にならない。米司法省を毎月訪問するある日本人弁護士がある映像を見せてくれた。
 ホワイトボードの前に立つ日本人男性が同業他社の社員を前に、ずばり、受注調整の話をもちかけている。1990年代に武田薬品工業第一製薬エーザイなどが罰金支払いを命じられたビタミン・カルテルの証拠映像だという。司法省にリーニエンシーを申告した企業が捜査に協力するため隠し撮りしたもので、実際の裁判でも採用された。
 「米国人がこの映像を見ると米国の消費者をばかにするなという怒りが湧いてくるのです」(同弁護士)。この映像は司法省で研修用にいまでも使われているという。

リニアでも談合 日米の温度差
 日米のカルテルへの温度差の違いは両国の産業界がたどった歴史にも起因している。米国で日本の独占禁止法にあたる反トラスト法の骨格の一つであるシャーマン法が作られたのは1890年にさかのぼる。米国では1900年代初頭に石油産業を牛耳り始めたスタンダード・オイルへの対抗策としての位置づけが大きかった。同社は企業をエリアごとなどに細かく分割して統治するトラストの形で成長していた。石油という国民生活に不可欠な物資を支配されるという恐怖心が、カルテルやトラストを憎む根底にある。
 一方の日本。戦後もカルテルが堂々とまかり通っていた。1980年に経団連会長に就いた稲山嘉寛は新日本製鉄(現新日鉄住金)の社長会長時代に「競争より協調」を掲げ「ミスター・カルテル」の異名を取った。リニア中央新幹線を巡る入札談合が明るみになるなど、今だに甘い体質を露呈している。(杉本貴司)