粒子加速器、なるか産業ビッグバン 国内建設に賛否

粒子加速器、なるか産業ビッグバン 国内建設に賛否

NIKKEI BUSINESS DAILY 日経産業新聞
 「宇宙が始まった直後の状態を再現できる」ともいわれる世界で唯一の研究施設が日本に誕生するかどうか、大詰めの時期を迎えている。巨大加速器国際リニアコライダー(ILC)」だ。約5000億円とされる巨額の建設費が問題視され、建設には賛否両論がある。日本の製造業が技術を結集する先端研究施設は、果たして日の目を見るのか。
国際リニアコライダーの心臓部となる「クライオモジュール」
国際リニアコライダーの心臓部となる「クライオモジュール」
 キーン――。IHIの超低温圧縮装置のスイッチを押すとインバーターの高い音が響き、4段に連なった羽根車が高速回転を始める。瞬時に空気が吸い出されてヘリウムの温度が急速に低下。4時間後にセ氏マイナス271.25度に達し、内部の磁石は電気抵抗がゼロの超電導状態となった。
 ILCは地中で光の速さ近くまで電子や陽電子を加速させる「半端ない」施設だ。急加速には20キロメートル超の長さの磁石を効率よく一気に冷やして超電導状態にしなければならない。実現できるのはIHIの技術だけだ。
 「ヘリウムは少しでも対流すると温度が上がってしまう。蜂の巣のような3ミリの六角形状の空洞を無数に作って対流を防ぎ、熱を伝えやすい鉄の使用量も最小限に抑えた」。IHI機械技術開発部の吉永誠一郎部長はこう解説する。仏エアリキードや独リンデなど競合他社の装置の冷凍効率は60%台前半にとどまるが、IHIは75%と飛び抜けた数字をはじき出す。
■日本企業の技術を結集
 ILCの心臓部になる直線型トンネル「超電導加速空洞」を製造するのは三菱重工業東芝は粒子に電波を当てて加速させる大電力のマイクロ波発生真空管の独自技術を持つ。素粒子を一瞬で測定する高性能検出器は、今や浜松ホトニクスの代名詞ともいえる。その技術は、ニュートリノ観測装置「カミオカンデ」の開発を通じて培った。
 これら日本の「ものづくり企業」の技術を結集しなければILCは建設できない。日本が建設候補地に選ばれた理由の1つが、これだ。米国や欧州も一時は手を挙げたが、日本に一本化された。
 ILCは地下約100メートルに設置する、全長20キロメートルの特殊な直線型トンネルだ。二重の輪状部分「ダンピングリング」で電子と陽電子を加速し、トンネルの両端に移動させて中央部に向けて飛ばす。電子と陽電子は光速に近いスピードで正面衝突し、その膨大なエネルギーで特殊な素粒子が生まれる仕組みだ。
■宇宙の初期段階を再現
 ILCでは「ビッグバン」が起きた直後の宇宙を再現できるともいわれる。中央部の「粒子測定器」で精密に観測すれば、宇宙に物質が生まれた仕組みなどの謎にも迫れる可能性がある。ILCは日米欧の共同事業で、岩手県を中心とした北上山地が候補地。文部科学省が正式に誘致するか年内に決める見通しだ。誘致には2019年度予算案の概算要求に盛り込む必要がある。
 日本企業の実力は海外の専門家も認める。スイスにある現時点で世界最大の加速器「LHC」は欧米日などの共同施設で、出資比率に応じて各国・地域の企業が機器を受注する仕組みだった。
 しかし結果的に日本企業は当初予定額の2倍以上を納入した。「日本企業が欧米のライバルより優れた技術を持っていることが分かったからだ」。先端加速器科学技術推進協議会の松岡雅則・事務局長はこう説明する。
■町工場の技術も力に
 独自技術を持つのは大企業だけではない。JR姫路駅(兵庫県姫路市)から車で約20分、中小工場が集積する湾岸エリアの一角に、従業員約80人の会社がある。マルイ鍍金(メッキ)工業。工場内にはメッキ加工を施したチェーンが山積みになり、典型的な町工場の雰囲気が広がる。
 そんなマルイ鍍金だが、ILC建設に欠かせない研磨技術を持つ。「電解研磨を長年やってきたプロとして黙ってられなかったんや。我々やったら、もっとうまくやれる。そう申し出たんや」。井田義明会長はコテコテの関西弁で、こう話す。
 電子と陽電子を加速させるトンネル(超電導加速空洞)の内面はきわめて滑らかに研磨しなければ、粒子を光速に近づけることはできない。井田会長は2011年に専門機関などの研磨装置を見て「横向きやなく縦向きに研磨せな、あかん」と考えた。
 空洞は1本(約1.2メートル)あたり直径約20センチの膨らみが9つ連なる特殊な形状。従来工法では膨らみのある部分と狭い部分で、滑らかさに5倍近いばらつきがあった。
 井田会長は膨らみに合わせた専用装置を開発し、ばらつきを1.5倍に収めることに成功すると同時に、研磨時間を従来より3割縮めた。
 「S字パイプなど特殊部品を電解研磨してきた実績が生きたんや。年内にバラツキを1.1倍以内に収めたい」(井田会長)。小説「下町ロケット」を地で行く世界がILCにはある。
 ILCのような先端施設のために磨いた要素技術は次代の主力事業のタネになり得る。加速空洞を開発する三菱重工子会社、三菱重工機械システム(神戸市)設備インフラ事業本部の仙入克也次長は「キー技術の革新は既存事業にもプラス効果をもたらす」と話す。
 「ILCは多くのイノベーションを生み出す。日本で建設できれば、次世代の一大産業を主導できるようになる」。東京大学素粒子物理国際研究センターの山下了特任教授も、こう強調する。
■新薬開発や次世代エネに期待
 ブラウン管テレビや電子顕微鏡など、加速器から派生した技術を使って生まれた製品は多い。がんの放射線治療ではがん細胞を狙い撃つため加速器が欠かせない。インターネットのワールド・ワイド・ウェブ(WWW)も巨大加速器「LHC」の膨大なデータを管理するために開発された。
 ILCが建設されれば、次世代エネルギーシステムや画期的な新薬開発の技法などが生まれると期待されている。世界の大手企業がILC周辺に研究拠点を置くことでスタートアップなどが数多く育ち、一大産業の集積地「北上バレー」が生まれる可能性も高い。
 国内の科学者からは「ILCで本当にノーベル賞が取れるほどの研究成果を得られるのか」と、建設を疑問視する声が上がっている。国の財政負担に対する懸念も強い。しかし国内産業にとってはイノベーションを生み出す貴重な機会であるのも事実だ。賛否両論を抱えながら、日本政府が決断を下すべき時期が近づいている。
(企業報道部 林英樹)