さよなら大好きだったホンダ
新卒で入社した本田技術研究所を3年で退職しました
さよなら大好きだったホンダ
新卒で入社したホンダをたった3年で退職しました
タイトルのとおり新卒で入社したホンダの研究所をたった3年で退職しました。
何故、ホンダを退職したか??
理由は簡単です。
エンジニアとして技術開発に命を懸けて
取り組みたいと考えたからです。
ホンダの待遇はとても良かったです。
日本の会社の中でも高待遇、年収も良く、
有給は必ず100%取得できます。
水曜日はノー残業デーで残業自体も
月間30時間までという制限がつきます。
食堂はまるでレストランのような美味しいメシが食べられ、
職場の付近にはスターバックスが設置されて休憩中には
スタバのコーヒーをいつでも飲むことができます。
研究所脇に立派なスポーツ施設があり、仕事終わりに水泳やランニングで気軽に汗を流す事も出来ます。
ホンダは労働環境だけ見れば日本でも
有数のホワイト企業だと思います。
そんな高待遇でも私はホンダで仕事を続けることはできませんでした。
その理由をこのブログで書いていこうと思います。
私は本田技術研究所栃木(通称HGT)と呼ばれる
ホンダの四輪R&Dセンターに所属してしました。
業務分野は自動車業界で今、最も注目されている先進安全、自動運転に関係する場所でした。
研究所と名前がついているなら
技術開発は当然の仕事なんじゃないか?
そう思われる方も多いかもしれません。
私の所属していた場所ではホンダの社員は
全く技術開発をおこなっていませんでした。
ではどうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっていたか?
実態はサプライヤーと呼ばれる部品メーカーに技術開発を丸投げしておりました。
ホンダのプロパー社員の仕事はサプライヤーの日程管理と部品の不具合が出た時に
サプライヤーを叱責するということが主たる業務でした。
私は小さい頃からホンダ、本田宗一郎が大好きで熱狂的なホンダ信者でした。
バイクのマン島の挑戦、日本メーカー初のF1挑戦、CVCCエンジンの開発、
セナ・プロスト時代のホンダF1黄金期、、
自由、夢、独自性という企業イメージ、、
中学生の頃にはホンダにすっかり惚れ込み、
将来ホンダ以外で働くこと以外は自分の中で考えられませんでした。
絶対にホンダで熱い技術開発をすると心に決めて学生時代の勉強、研究に取り組みました。
研究テーマを車両の機械制御に迷わず決めたのもホンダで働く事を見据えてのことでした。
しかし、実際にホンダの研究所に入ってみると私の憧れていたホンダの姿はどこにもありませんでした。
ホンダでワクワクした瞬間は入社式のイベントで鈴鹿サーキットをバスで周回した時と
テストコースのライセンス取得で茂木サーキットを走った時だけでした。
研究所に配属されてから管理職から本田宗一郎の理念は最早、亡霊でしかない。
夢や自由という言葉は広告用に使ってるだけ。
勘違いを起こすなよ。と、強く言われました。
ある方からはホンダは技術開発をおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくれば良い。
もし技術が必要になったら人ごと買ってくれば良い。
とも言われました。
じゃあ、ホンダは何をするんですか?
と聞いたらホンダは機能の上流工程をやる。
と伝えられました。
実際の業務を重ねていくと、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、
部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせる仕事が延々続いていくんだと理解しました。
当時、若手だった私の目から見ても
ホンダで技術開発をおこなっていないので、
先輩達、上司の技術力がとても低く絶望したのを良く覚えています。
ある先輩からホンダに技術力は必要ないと面と向かって言われたことも衝撃的でした。
そんなホンダでパワーポイントを延々と作り続けるうち、このままで本当に良いのだろうか?
技術者として全く成長できていない。
延々と続けなければいけない絶望感に襲われました。
こんな環境であるので技術開発をおこないたい新卒・中途のエンジニアは入社数年で大量にホンダから去って行きました。
ホンダ入社3年目のある日、ホンダと決別する決心をしました。
もう今のホンダは私の憧れていたホンダではない。
自らの手で技術開発をおこなわず、技術を買ってくるだけの技術商社と化した
ホンダは私の愛したホンダではない。
本当にふとした瞬間に決意をしました。
自分にとって年収や高待遇は大事ではない。
かつてプロジェクトXで見たホンダの熱い思いの技術開発、多くの本で見たホンダの魂の技術開発、
それが出来ることが自分にとって一番大事じゃないか。
企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても
魂の技術開発ができる場所で生きる。
そう腹を括りました。
腹を括って覚悟を決めた後はすぐに退職届けを提出しました。
有り難い事に本当に多くの人から引き止めてもらいました。
また、お前の気持ちは良く分かると言ってもらい、若手エンジニア達や年齢の近い先輩達から共感の声をたくさん頂きました。
ある方からは家庭等の問題が無ければすぐにでもお前と同じ行動を起こすと言ってもらえました。
特に和光の基礎研から異動して来られた方、中途で実際に手を動かして物作りを経験し、ホンダに来られた方からそのような声が多かったです。
個人的にそのような方達は技術オリエンテッドのとても尊敬すべき方達でした。
皆、年齢の近いエンジニア達や先輩達は同じ思いで耐えていたんだなと、
退職を表明してから改めて理解することができました。
そうですよね。皆、遠からず近からず同じ理由でホンダという会社に入って来たんですから。
ホンダで魂の技術開発がしたい。
世界を変える機能を生み出したい。
ホンダしにしかできない独創的な商品を創りたい。
部署は異なる様々な同期からも共感する声を頂きました。
また、俺もすぐに続くと実際すぐに退職した同期も数名いました。
現在、私は車業界から離れホンダと比べると吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。
もちろん、ホンダほどの給料は貰えませんが毎日充実したエンジニア生活を送れています。
エンジニアリングの対象はホンダの車のように多くの人が知っている有名なものではありません。
それでも実際に手を動かし、物を造る。
ホンダで忘れかけていましたが、
それがこんなにも楽しいものだと再び思い出しました。
やはりエンジニアは自分で物を作り、上手くいかず、
どうやれば上手くいくのだろうと悩み、
課題を一つずつ解決していくことがが一番大事と考えています。
日本有数のホワイト企業、ホンダを退職しましたが、全く後悔はしておりません。
日々の技術開発に全身で取り組む、それこそが私のなりなかった真の姿なのですから。
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