免疫逃れる手口を暴け 病原体の感染対策に生かす
免疫逃れる手口を暴け 病原体の感染対策に生かす
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2019/1/12 6:30
日本経済新聞 電子版
ウイルスや細菌などの病原体は別の生き物に寄生して繁殖する。防御する宿主の免疫機構をかいくぐろうと、多彩な方法を駆使していることが最近次々と分かってきた。2018年のノーベル生理学・医学賞の対象となったがん免疫療法のように、研究者たちは病原体の巧みな振る舞いを詳しく調べ、より効果的な治療法を開発しようと考えている。
東京大学の川口寧教授らは、唇の疱疹(ほうしん)や脳炎を起こす単純ヘルペスウイルスが備える、免疫細胞の攻撃を避ける仕組みの解明を目指している。17~18年にかけて立て続けに、これまで知られていなかったウイルスの戦略を明らかにした。
ウイルスに感染した細胞は特定のたんぱく質を放出し、免疫を担う「キラーT細胞」がそれを検知して感染した細胞を死滅させてしまうのが通常の反応だ。ところが感染した後、ウイルスは特定のたんぱく質を作るのを邪魔して外に出ないようにしていた。
この成果に続き、ウイルスが感染した細胞がもつセンサー役のたんぱく質の働きを妨げていることも突き止めた。このたんぱく質が集まって免疫細胞を呼び寄せる警報を出せばウイルスは増えない。ところが感染してわずか数分でセンサー役のたんぱく質を正常に機能しなくする物質を作り、免疫を逃れていた。
ヘルペスウイルスは強い病原体ではなく、人に感染してもほとんど症状は出ない。ただ免疫力が弱くなると潜伏し再発を繰り返す。川口教授は「ヘルペスウイルスは進化の過程で、ヒトなどの免疫の攻撃を避けて増えるすべを手に入れたのだろう」と話す。
ウイルスが免疫を回避する仕組みを壊したり止めたりできれば、治療法になるかもしれない。研究を積み重ねてワクチンの開発などに役立てたい考えだ。
手足の壊死(えし)などを起こす劇症型連鎖球菌は、激しい症状が出ると3割の患者が死亡する。世界で毎年約65万人が亡くなり「人食いバクテリア」と恐れられている。この細菌も免疫を逃れて増えることを、大阪大学の山崎晶教授らが18年に解明した。
劇症型連鎖球菌は、細胞膜の成分である脂質を作っている。正常の細胞の表面には、この脂質を感知して免疫機構の働きを活発にするアンテナ役のたんぱく質がある。ところが連鎖球菌の一部は別の種類の脂質を作りだし、このアンテナを覆っていた。菌が近づいても分からず免疫細胞の攻撃も起きない。菌は増殖し激しい症状に陥る。
阪大の荒瀬尚教授と金沢大学の平安恒幸特任准教授は、原虫を感染させた赤血球と様々な免疫細胞を培養皿の中で混ぜた。すると原虫が作るたんぱく質が、抗体を作る「B細胞」や「ナチュラルキラー細胞」などの免疫細胞の表面にあるたんぱく質に付くことが分かった。
免疫細胞表面のこのたんぱく質は、相手を敵ではないと認識し攻撃を止めてしまう働きがある。これが症状を重くする原因とみている。18年のノーベル賞を受賞した京都大学の本庶佑特別教授らが発見した、がんが免疫細胞の攻撃を避ける仕組みと似ている。
世界で毎年2億~3億人が感染するマラリアには有効なワクチンが無く、治療薬に耐性をもつ原虫や殺虫剤に強い蚊が出現している。免疫の攻撃を逃れる原虫の仕組みを働かなくすれば、治療につながる。平安特任准教授は「2つのたんぱく質がつながるのを防ぐ薬を作り、マラリアの重症化を防ぎたい」と、薬の候補物質を探索中だ。
人の免疫は様々な外敵に対応できる多様性を備え、病原体は頻繁に姿を変えて防御をすり抜ける。いたちごっこが感染症対策の歴史でもある。がん免疫療法の登場は、複雑で精緻な免疫の仕組みを感染症分野で改めて見つめ直す重要性を指摘した。
免疫研究は日本の得意分野であり、活躍する研究者は多い。感染症の撲滅に向けて病原体の手口を解き明かす研究は、人類共通の財産になる。
(科学技術部 草塩拓郎)