日本人の子供との喧嘩


日本人の子供との喧嘩
今は、日本が大きな間違いをしたという気もする

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから太極党さん。この方はお初かな。

http://livedoor.blogimg.jp/oboega-01/imgs/9/2/92f5048c-s.jpg

x
x


日本人の子供との喧嘩

太極党

10歳の時だった。
近所のお兄さんたちと野球をした。
私は年齢的に一番子供で、野球も上手ではなくて、試合に何の寄与もできなかった。
ただ、私は野球の道具をいくつか持っていて、それを借りたい13〜14歳のお兄さんたちが、無理やり私を仲間に入れた形だった。
そこには1歳年上の「サカヨシ」という子供がいたが、彼が私に「見物だけしてろ」と言い出して喧嘩になった。

私は野球の道具を近所のお兄さんたちに貸した見返りに、正当にチームのメンバーに入ったのだ。
なのに、私はサカヨシに役立たずといわれて排除されそうになって、悔しく思った。
私とサカヨシは口論し、私はサカヨシを殴った。
その様子を、サカヨシよりも10歳ほど年上のサカヨシの実兄が見ていた。
結局私はサカヨシを一方的に殴ったのだが、サカヨシの実兄はその喧嘩が自然におさまるまでじっと見守っていた。
実兄なのに、殴られた弟の肩を持たなかったのだ。
幼い年齢だったが、そのとき私は内心で、感動に似た気持ちを持った。
なんというか、公正なものを感じたのだ。

その後も私は同じ年齢の子供たちから不当なことをされたら躊躇せずに対抗して戦った。
しかし、兄のいる韓国の子供たちは、喧嘩になると兄を連れて来て私を攻撃することが多かった。
幼い年齢だったが、私はそれを卑怯なことだと思った。

だから私は、私の弟が不当な理由で殴られた場合を除いては、同級生同士の意見の争いで掴み合いをしていても、絶対に介入しなかった。
弟が少し叩かれるとイライラする気持ちにはなったが、暴力は止めつつも、ひたすら見守ることにしていた。
幼い年齢だったが、私には一種の信念のようなものがあった。
血縁という理由で不当に弟の肩を持つのは、自分自身に恥ずかしいことだというようなことを考えていたのだ。

私はずっとそういう気持ちだった。我執でもあった。
歳月が流れて、同じようなことをまた経験した。
息子が友人から不当なことをされたと言ってきたのだ。
しかし私は無条件に息子の肩を持たず、いろいろな角度から息子に話を聞いた。
親が介入せず、息子たちの方法で解決するよう見守るのも問題解決の方法だと考えた。

息子には正々堂々と解決しなさいと言った。
どうやって解決するのか心配になって、離れて隠れて見守っていたら、遊び場で友達と掴み合いになった。
息子が殴られる姿を見たが、最後まで介入はしなかった。
誰でも同じだろうが、子供が殴られるのを見るのは本当に耐えがたい。
しかし、とにかく息子は、今ではその喧嘩した友人とはもちろん、他の子供たちとも本当に仲良くやっている。

生きていると、感情が介入するしかないことを多くの経験する。
弟と妻の葛藤、弟と私の共同経営者との葛藤など…
人は誰でも肉親と他人の間に葛藤が生じた場合、肉親に心が傾く。
しかしそのたびに、いつも公平であろうと私は努力した。
だからといって、自分のそういった潔癖さのために、家族にあえて冷たくすることもなかった。

私なりに、そのような姿勢で生きてきたが、これは私だけの考えで、そういう葛藤のたびに私の相手をしていた人たちは全く別の評価をするかもしれない。
ちょうど今日、幼いころの記憶をふと思い出して、こういう文を書いた。
言いたかったのは、そういう私の姿勢に大きな影響を及ぼしたのが、子供の頃、日本人の子供と喧嘩したときに彼の実兄が見せた態度だったという点だ。
春は来るが憂鬱な日々である。
つまらない話だが、なんとなく書いてみた。


*韓国の文化を知らないと、なんでもない話かもですが。
身内を庇うのは当然だよね、
同時に公平であろうとするのも当然だよね、っていう話ですが。

韓国の「情」の文化からすると、上の太極党さんの行為は間違った行動なのですよ。
で、韓国においてこの文化が強烈すぎることが、日韓の歴史問題を韓国人がファクトで見ることができないという大きな要因になっている。