相場に恋したネトゲ廃人 資産140億円のカリスマに 駆ける投資家魂

相場に恋したネトゲ廃人 資産140億円のカリスマに
駆ける投資家魂

駆ける投資家魂

2019/3/10 2:02 (2019/3/13 2:00更新)
米中貿易摩擦や中国の景気減速を受け、足元の株式相場は波乱含みだ。不透明感が強まるなか、わずか10年強で自らの資産を65万円から140億円に増やした個人投資家、片山晃(36)も身構えている。ネットでは「五月(ごがつ)」のハンドルネームでも知られるカリスマは、荒れ相場にどう立ち向かうのか。
■荒れ相場に「身震い」
1月3日夜、片山が投稿したツイッター。「自分の年齢的なものも考えると、次のサイクルの底までにどれだけ資本を蓄えられるかで、人生の天井がだいたい決まってしまう。(中略)そんな意識で新年を迎えたのっけからこんな値動きなので、マジで身震いする」。こんな内容のつぶやきに、ネットがざわついた。
片山のいう「こんな値動き」は米国の株式相場の急落だ。米アップルがスマートフォンの販売不振を受けて業績を下方修正し、3日のダウ工業株30種平均は前日比で3%急落。これを受け、4日の日経平均株価大発会として過去3番目の下げ幅を記録した。

日本株の先行きは「ベア」
片山の日本株全体の先行きに対する見方はベア(弱気)だ。「世界の中央銀行が今やっている金融緩和は人類史上、例のない規模で異常だ。それでも株価はこの水準なのだから、ここからはダウンサイドしかないと考えている」。
かといってクラッシュが起きる可能性は低いと考えている。現在2万1000円前後の日経平均も「数年かけて1万9000円、1万7000円と沈んでいく想定だ」。
そうしたなかでも有望な銘柄に目を付け、「何らかの形でサイクルが大底になったとき、一気に集中投資したい。これまでも資産をそうやって増やしてきた」。冒頭のツイッターには、数年後の大勝負に備えて準備を怠らないという覚悟も込めた。

■投資家に大きな影響力
ネットでは「五月」のハンドルネームで知られる
ネットでは「五月」のハンドルネームで知られる
個人投資家として大きな影響力を持つ片山。みずほ証券による2005年のジェイコム株の誤発注を利用して20億円を稼いだ「B・N・F」(ハンドルネーム)などと同様に、国内の個人投資家の中では伝説的な存在だ。
2月に入り自身のツイッターはいったん閉鎖したものの、今でもネット上に片山の投資法を研究する掲示板が存在する。
片山が投資するのは日本株のみ。現在はヤフー、グノシーなどネット関連株や内需株で100銘柄強の買いと空売りを織り交ぜ、株価下落時にも耐性が強いトレードを続けている。

■生活は規則的
専業投資家である片山。だが、その1日はビジネスパーソンのように規則的だ。
トレーディング中は複数の画面を駆使(東京都千代田区のオフィス)
トレーディング中は複数の画面を駆使(東京都千代田区のオフィス)
平日は、都内の自宅から徒歩圏内のオフィスに午前8時台に到着。日本株の取引時間の午前9時~午後3時は、5つのモニターを駆使して多くの銘柄の値動きやチャートをチェックする。取引終了後は、企業が公表する業績などの適時開示にくまなく目を通す。
片山はどのようにカリスマ個人投資家への道を歩んだのか。「投資を始める前の自分は『ネットゲーム廃人』だった」と振り返る。インターネットゲームの中毒者を指す俗語だ。

■引きこもりでゲームに没頭
片山は山形市出身。高校卒業後にゲーム関連の専門学校に入学するが、1年で中退する。
その後は自宅に閉じこもり、1日12時間以上、ネットゲームの「ラグナロクオンライン」に没頭した。ラグナロクは多人数が同時に参加する冒険ロールプレイングゲーム。2000年代前半当時は、1日に最大10万人が同時接続するほどの人気だった。
投資を始める前の片山はオンラインゲーム「ラグナロクオンライン」に熱中していた
投資を始める前の片山はオンラインゲーム「ラグナロクオンライン」に熱中していた
「昔から1つのことに熱中するのが好きだった」という片山。キャラクター育成に膨大な時間をつぎ込み、ラグナロクの世界ではトップレベルのゲーマーとなる。
こんな生活を4年間続けたが、ふと我に返った。「自己満足でしかない」。そんな頃にレンタルDVDを通じて出会ったのが投資ドラマの「ビッグマネー」だ。

■元手は65万円
登場人物が株式市場に自らの人生をささげる姿に「こんなに面白い世界があったのか」と感銘を受け、すぐさま証券口座を開設した。05年、23歳の時だ。
元手はゲームセンターの深夜アルバイトでためた65万円。ネットで株式を頻繁に売買する「デイトレーダー」の存在感が高まっていた頃と重なる。
だが、最初は試行錯誤の繰り返しだった。ネット上の「この銘柄は値上がりする」との噂話や、低PER(株価収益率)といった指標で割安な銘柄を信じて売買していた。この頃のトレードは片山自身も「100%運だった」と振り返る。
ただし常人と違ったのが、ゲームでも発揮した持ち前の集中力だ。「取りつかれるようにトレードしていた」。ゲームセンターのアルバイトはあえて夜勤を選び、日中は取引画面に張り付いた。

しかし08年、資産が1000万円に達した頃から運用成績は頭打ち気味になる。1週間で資産の3割ほどを失うこともあった。自信を失いつつあった矢先に、9月のリーマン・ショックで相場は暴落する。
破綻当日のリーマン・ブラザーズ本社ビル(2008年9月15日、ニューヨーク)
破綻当日のリーマン・ブラザーズ本社ビル(2008年9月15日、ニューヨーク)
当時は売買を翌日に持ち越さない投資法だったため、傷口は浅く済んだ。だが、名だたる大手企業がリストラに走る姿を見て、「世の中の働き口がこれほど狭くなるなら、自分には株以外に道はない」と悟った。
決意を固めた片山がゼロから投資法を模索した時、たどり着いたのが「適時開示投資法」だった。

■公開資料すべてに目を通す
上場企業の決算やM&A(合併・買収)といった情報は、証券取引所が公表する適時開示のサイトで誰でも手に入る。そこで片山は、多い日は1日数百にのぼる企業の公開資料の全てに毎日、目を通すことにした。こうした手法は今でこそ珍しくないが、デイトレードが主流だった当時としてはまれだった。
片山はデイトレードでなく、決算資料を深く読み込む投資法にシフト(14年当時、都内の自宅で)
片山はデイトレードでなく、決算資料を深く読み込む投資法にシフト(14年当時、都内の自宅で)
家賃6万円のアパートで、深夜まで薄明かりの下で数字と向き合う日々。一見気の遠くなる作業だが、「楽しかった。このやり方が自分には向いていた」。
片山は当時、マンガ同人誌向けに株の取引体験記の原作を執筆しようとしていた。そのためにもひたすら財務諸表を読み込んだところ、「何の勉強もせずに簿記2級の資格が取れた」というレベルに達したという。
投資の際に最も大事にしたのは、「将来伸びそうな収益に対し、現在の株価は割安か」という視点だ。業績などから変化の兆しをつかみ、成長力を想像し、集中投資すれば、一気に大きな金額を稼げると考えたからだ。

■「修行僧のようだ」
もう一つ、重視したのが時価総額で100億円にも満たない小型株だ。ただし、これには片山に助言した人物がいる。投資信託「ひふみプラス」など1兆円弱を運用する、レオス・キャピタルワークス社長の藤野英人だ。
レオス・キャピタルワークスの藤野と片山の付き合いは10年になる
レオス・キャピタルワークスの藤野と片山の付き合いは10年になる
「修行僧みたいだと思った」。09年、ツイッターをきっかけに都内の居酒屋で初めて片山に出会った藤野は、第一印象をこう振り返る。さすがの藤野も毎日、適時開示を読み続ける作業に面食らった。
藤野は「個人は小型株に勝機がある」と片山にアドバイスを送った。機関投資家は大金を投じるため、自らの売買だけで値動きが荒くなる小型株を扱いにくい。すると小型株には、割安なまま放置された銘柄も眠っていると考えられるからだ。
片山は、この一言が「強く印象に残った」。実際にこれ以降、片山は次々と値上がり株を当てた。

■「ひふみ」のアナリストに
資産が10億円を超え、一定の達成感を感じた13年5月。片山はレオスにアナリストとして入社する。結果的に「個人投資家としての高みを再び目指したくなった」とわずか1年で退社するが、今でも藤野と片山は年数回、食事を共にする仲だ。
個人投資家に戻った片山は医療機器の卸売や製造を手掛ける日本ライフラインなどの株価上昇で資産を大幅に増やす。いつの間にか運用資産の総額は100億円を超え、「16年は譲渡益税で10億円以上払った」というレベルに達していた。

■早期リタイアを否定
ぜいたくな生活を好まない片山。普通の生活を送る分には、すでに使い切れないほどの資産を築いた。
同様に成功した個人投資家の中には「早期リタイア」を選択する個人もいる。だが、片山は「生きている実感を持ち続けたいし、マーケットから目を離したくない」と語る。むしろ「これほどの金額を稼いだ自分だからこそ、できることがあるのではないか」と思い始めている。

個人投資家から脱皮へ
ハクレイファームでは年15頭ほどの競走馬を生産(北海道新冠町)
ハクレイファームでは年15頭ほどの競走馬を生産(北海道新冠町)
片山が今、構想を温めているのは、個人投資家から脱皮した新会社の設立だ。持ち株会社を立ち上げ、傘下に自己資金による事業投資会社と、外部の投資家から資金を預かって運用するファンドを設立する。
加えて、自らが事業承継した、競走馬の生産牧場「ハクレイファーム」(北海道新冠町)も合流させる。旧知だった先代の牧場経営者が高齢となったが跡継ぎがおらず、17年5月に「それなら自分が」と引き受けた。

■事業承継に関心
投資会社の事業開始は今春、運用会社は20年末までをメドにする。「投資会社は国内でニーズが高まっている事業承継を手伝う。運用会社は自分の得意分野だ。そうした事業で一定の利益を得ながら、一部を社会に還元できる仕組みを作りたい」と片山は力を込める。
経済産業省によると、中小企業の経営者で最も多い年齢層は60歳代後半だ。70歳で引退するとすれば、25年には約245万人の経営者が、引退の適齢期を迎えることになる。片山は「不本意な形での廃業を減らし、日本の産業を支えていきたい」と話す。
片山は中小企業の事業承継の支援に乗り出す(写真は町工場のイメージ)
片山は中小企業の事業承継の支援に乗り出す(写真は町工場のイメージ)
こうした片山の考えに賛同する個人も出てきた。32歳男性のTだ。Tは東大を卒業後に外資系証券を経て、国内の運用会社にアナリストとして勤務。知人の紹介を通じて出会った片山の構想に感銘を受け、このほど新事業の準備作業に合流した。
「片山さんは昼夜を問わず、投資のことを考えている。自分もさらにやりがいのある環境で仕事がしたくなった」とTは語る。ほかにも大手金融機関や総合商社出身者などが事業に合流予定だ。

■個人の投資熱じわり
東京証券取引所の調査では、17年度末の日本の個人株主数(延べ人数)は5129万人と初めて5000万人を突破した。日経平均の27年ぶり高値などを受け、個人の投資熱がじわりと高まっている。
一方、日本株の売買高の6割強は外国人投資家が占め、個人の比率は3割にとどまる。片山のように成功する個人投資家が増えれば自らの資産形成に加え、日本のマネーで企業や経済を支える好循環が生まれるかもしれない。
だが、株式市場では誰もが片山のように利益を得られる保証はない。片山も「どんな投資法が向いているかは自分で見つけるしかない」と語る。一方、「新たな知識や体験が得られる上、株価の裏側にある人間模様を垣間見る面白さもある。現に僕自身、マーケットが人生を切り開いてくれた」と話す。
■「足元がズブズブと」
多額の損失を出し、落ち込んだ経験も少なくない
多額の損失を出し、落ち込んだ経験も少なくない
もちろん片山でも運用成績が芳しくない時期はある。特に12年に3週間で資産の3割にあたる3億円を失ったときは「足元がズブズブと沈み込んでいく感じがした」。
そんなときに支えとなるのが趣味の競馬だ。「中学生の時から競馬ゲーム『ダービースタリオン』が好きだった」という理由で、資産が10億円を超えた13年頃から馬主となった。
「人と馬がつなぐ筋書きのないドラマ性が魅力。名馬の子孫も活躍するなど、血統が紡ぐストーリーも競馬ならではの面白さ」と目を輝かせる。

■まだAIには負けない
株式市場でもテクノロジーの発展が進む。機械や人工知能(AI)が株価の方向性を決める流れが強まっており、個人投資家のハードルは高まりつつある。
だが、片山は「『未来を考え通す力』は人間の持つ知性そのもの。まだAIに取って代わられることはない」と語る。単純な数字の分析でなく、その先にある成長ストーリーを読むことに投資の付加価値があると考える。
資産140億円はゴールではない。片山は個人投資家の枠を超え、新たな人生のステージを踏みだそうとしている。