災害発生時に自宅まで歩けるか 記者が挑戦、53キロ

災害発生時に自宅まで歩けるか 記者が挑戦、53キロ

NIKKEIプラス1

東日本大震災当日の品川駅付近の様子(東京都提供)
7年前の3月11日に発生した東日本大震災では、首都圏でも列車が止まり、道路は車であふれた。家族と連絡がとれない場合などを想定し、災害時に家まで歩いて帰れるのか実際に試してみた。
記者(43)の家は神奈川県下。横浜より西で、電車で東京から約1時間20分かかる。
インターネットのルート検索サイトでは、徒歩の所要時間は「11時間4分」。53キロを8万8552歩で進む計算だという。歩数計やランニングアプリと無縁な記者は漠然と「半日歩けば着く」と楽観的なイメージを描く。
革靴ならばスニーカーに履き替えるところだが、普段からウオーキングシューズにリュック姿。「1日3食分」として、ペットボトルの水や栄養補助食品を3セット、業務で必要なノートパソコンを持ち、ほぼ普段通りの格好だ。
「大地震発生から1時間過ぎても安否不明」という事態を想定し、東日本大震災の発生時刻から1時間後に出発。事前に調べたルートに従い、横浜を目指して国道を進む。
約1時間経過。公園で最初のトイレに入る。災害時を想定し、コンビニエンスストアで借りるという選択肢を外してみたら、道中で公園以外の公衆トイレは一つだけ。警察署と消防署で一度ずつトイレを借りた。「トイレは行ける時に行く」。子供に言っているセリフを思い出す。
日も沈み寒々しくなってきた。先輩に教わったスマートフォン歩数計を見ると、1万8800歩。足の裏が痛み始める。これから先、とにかく足の痛みとの戦いになる。
出発から約2時間。「座ったら心が折れる」と言い聞かせてきたが、バス停のベンチに吸い寄せられる。初めての休憩らしい休憩をとる。
気持ちの問題とは別に、とにかく座る場所が少ない。災害時は公共施設などが開放されるが、屋外は公園かバス停以外にベンチが見当たらなかった。ガードレールに寄りかかるか、せいぜい花壇に腰掛けるかだ。幹線道路ぐらいベンチを増やせないものか。
2万5000歩を超え、2回目の休憩。時刻は午後8時。「日付が変わるまで頑張る」と決意する。「できるだけ休まず」ではなく具体的な目標がないとつらくなってきた。
3万歩を超えた辺りで、この日何度目かの「歩道橋しかない交差点」。今の足の痛みで階段は厳しい。今回は自転車向けのスロープに救われたが、歩行者も多い大通りで、迂回しなければ横断歩道がないのには違和感を覚えた。震災時、歩道橋が通行禁止になったらさらに不便だろう。
そんなころ、車道の案内標識から突然「横浜」の文字が消えた。代わりに現れたのは「東神奈川」。土地勘がある記者でも、道を間違えたか一瞬不安になった。
4万歩。ふくらはぎがつりそうになる。「大きな駅に着いてほしい」と願うようになってきた。人通りも少なくなり、にぎわいの安心感を求めたのか、休憩場所が多そうだという無意識の危機管理か。
4万3300歩。もう限界。忍び足でしか歩けない。目に入ったファストフード店になだれ込む。時刻は午後11時25分。「日付が変わるまで」の目標は忘却のかなただ。取りあえず頼んだチーズバーガーより、足を伸ばせるベンチシートがありがたかった。40分間、席を立てなかった。
スマホで調べると、店から自宅まで5時間以上。約1時間で着ける横浜駅を現実的なゴールに据えた。出発から9時間30分で到着。休憩を差し引いた8時間20分で約35.5キロを歩き、歩数計は5万1044歩を数えた。
時刻は午前1時15分。「朝まで休めば行けるかも」と思いつつリタイア。帰宅後も半日は体中が痛く、休んでも午前中に家にたどり着けたかは微妙。列車が運転再開しなければ、50キロ先の家に1日で着くのは難しいと実感した。
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■発生直後の帰宅は危険も
災害用伝言サービスのイメージ(KDDI提供)
今回の最大の教訓はとにかく荷物を減らすこと。足の痛みに直結する。飲食物も最小限にしたい。自治体などは企業や商店と提携し、帰宅困難者が水道水やトイレを使える「一時滞在施設」を設けている。今回のルートでは路上に案内は見当たらなかった。事前に帰宅ルートとの位置関係を把握しておこう。
中央防災会議がまとめた「首都直下地震対策大綱」は、発災後3日間は救助救出が優先されるとして、活動の妨げになる可能性のある一斉帰宅の自粛を求めている。東京都も「徒歩帰宅中に余震などで二次被害に遭う可能性があり、災害発生後すぐの帰宅は危険」と呼び掛ける。まずは災害用伝言サービスやSNSで家族の安否確認を試みたい。
(嘉悦健太)