時間と記憶、解き明かされる脳の謎

時間と記憶、解き明かされる脳の謎

アルツハイマー病などの認知症の理解や早期発見に役立つ可能性がある

人がどのように記憶の順番づけをしているのかが研究によって明らかになり始めている
人がどのように記憶の順番づけをしているのかが研究によって明らかになり始めている Illustration: Brian Stauffer
 人の体はいつ眠りにつき、いつ目覚めるべきかを知っている。人の脳は頭の中のストップウォッチのように短い時間であっても経過を追うことができる。しかし人間の記憶の中では時間の感覚はあいまいだ。ここにきて、人がどのように記憶の順番づけをしているのかが研究によって明らかになり始めている。
 科学者によると、脳の働きに関して研究で明らかになった新たな事実を他の発見と組み合わせれば、アルツハイマー病など認知症を含む病気の理解や早期発見に役立つ可能性があるという。
 コロンビア大学のリラ・ダバチ心理学教授によると、人は記憶の中で時間を主観的に認識しているという説は心理学ではよく知られているという。忙しいとき、人は一日があっという間に過ぎるように感じることがあるが、あとから細かいことをいろいろと思い出すことで記憶は膨らむ。
 しかし脳がこうした時間の感覚をどのように刻んでいるかについては、分かっていることは少ない。脳の中で学習と記憶をつかさどる海馬とその周辺の領域の関連を指摘する研究が多い中で、神経科学者が今、記憶を時間の中に位置づける役割を果たす領域として注目しているのが、海馬に情報を送り込む外側嗅内皮質だ。
時間と記憶、解き明かされる脳の謎
 ジョンズ・ホプキンズ大学の神経科学教授で、この分野を切り開いた最新の研究に参加したジェームズ・クニエリム氏は外側嗅内皮質について、「私たちが思い浮かべる、かちかちと音を立てるメトロノームのような時計ではない」と言い、「経験の結果、時間と共に変化するシグナル」と説明した。
 昨年9月に学術誌「ネイチャー」上で発表された上記の研究では、ひらけた空間でラットを自由に動き回らせながら脳の活動を記録した。壁の色を変えて周辺環境を変化させるたびに、ラットの脳では外側嗅内皮質の部分が他の領域に比べて大きく反応した。研究者はあとでそのシグナルを見て、出来事が起きた順番を正確に言い当てることができた。
 ラットに8の字型の通路を走らせると、外側嗅内皮質は左折や右折など特定の動きに大きく反応したが、研究の筆頭著者でスタンフォード大学博士研究員のアルバート・ツァオ氏によると、周回数自体を示すシグナルは弱くなった。
ラットに8の字型の通路を走らせると外側嗅内皮質は左折や右折など特定の動きに大きく反応した
ラットに8の字型の通路を走らせると外側嗅内皮質は左折や右折など特定の動きに大きく反応した Photo: Rita Elmkvist Nilsen/Kavli Institute for Systems Neuroscience
 ノーベル賞を受賞した神経科学者で研究に参加したエドバルド・モーセル氏はこうした動物実験の結果は人間にも当てはまる可能性があるという。8の字型の通路を走るラットと同じように、人間も同じスケジュールを繰り返せば、外側嗅内皮質は同じような反応を繰り返すかもしれない。同氏は「出来事が起きたのが月曜だったか、火曜か水曜か忘れるが、それは同じことが繰り返されているからだ」と話す。同氏は現在、ノルウェーのカブリ統合神経科学研究所の共同所長を務めている。

 今年1月に学術誌「ネイチャー・ニューロサイエンス」に掲載された研究は外側嗅内皮質が時間と記憶に関わっているという説を裏付けた。研究では大学生19人にテレビ番組「Curb Your Enthusiasm」(「ラリーのミッドライフ☆クライシス」)の1回分の放送を見せ、その間、脳の動きを記録した。その後、番組の画像を示していつ出てきたかを思い出してもらった。研究に参加したカリフォルニア大学アーバイン校学習・記憶神経生物学センターのマイケル・ヤッサ所長によると、正解に近いほど外側嗅内皮質の活動が活発だったという。

 専門家によると、こうした結果を受けて、脳が空間と位置をどのように理解し、記憶しているかに主軸を置いていた神経科学の研究は時間と記憶のテーマにシフトしつつあるという。ボストン大学認知神経科学者のマーク・ハワード氏は「やるべきことはまだ多い」としながら、「今後数年で時間と記憶についての理解が急速に進むことは間違いないと思っている」と話す。
 多くの科学者はこうした新たな発見によってアルツハイマー病などの認知症に関する研究が進む可能性があると考えている。

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 人間を対象としたさまざまな研究によると、アルツハイマー病などの認知症は嗅内野――外側嗅内皮質と、脳の位置把握システムの中で重要な役割を果たす内側嗅内皮質で構成する――から始まることが分かった。ごく早期のアルツハイマー病では時間の経過が分からない、日にちを覚えていない、方向が分からない、嗅覚が弱くなるなどの症状がある。今ではこれらの認知プロセスは全て、嗅内野と関連していることが分かっている。
 モーセル氏によると、普通に老化した脳とアルツハイマー病を発症した脳の嗅内野を研究することで脳の発達にどのような違いが生じているかが分かるかもしれない。研究で行動にどのような変化が生じるかも分かれば、医師は時間に関係する作業を用いてアルツハイマー病など認知症の初期症状を検査できるようになるかもしれない。
 ヤッサ氏らのチームは最近、アルツハイマー病のリスク要因を持つ健康な高齢者150人を対象に脳の画像による研究を開始した。60歳から85歳の被験者に一連の認知作業を行ってもらい、それぞれの脳の画像を撮影した。研究チームは今後、2年ごとに追跡調査を行い、脳の変化と、早期発見や診断、治療につながる可能性のある具体的な認知機能障害に関連があるかを調べるという。