旧石器人の「謎の穴」から見えるのは?

旧石器人の「謎の穴」から見えるのは?

2018.06.15 #考古学

「道路工事の現場で穴が見つかった」。こう聞いても人は驚かない。しかし、この穴がはるか昔、3万年前の地層から出てきたと聞けばどうだろう。3万年前といえば縄文時代よりもさらに古い旧石器時代だ。稲作の文化もなければ、土器すらない。その穴は複数あり、どれも四角い形をしていて、きれいに一列に並んでいるという。聞けば聞くほどミステリアスだ。3万年前に何があったのかー。訪れた現場の様子は、想像を超えていた。そこから、この奇妙な穴の謎に迫る取材が始まった。
四角い穴が一列に
穴が見つかったのは、三浦半島の南西、神奈川県横須賀市にある船久保遺跡。相模湾を見下ろす丘の上にあり、遠く望む富士山が雲の切れ間からわずかに頭をのぞかせていた。
この遺跡は、道路建設の際に小さな石器が発見されたことをきっかけに、5年前から発掘調査が行われている。穴は、地表面を数メートル掘り下げた3万年前の層に、くっきりと口を開けていた。土器はまだなく、当時の人々は主に石器を道具として、槍などで獲物を狩り、木の実を集めて暮らしていた。

穴は1メートル×50センチの長方形で、深さは2メートルほど。現代の成人男性がまるまる収まってしまうほどの大きさだ。四隅は見事なエッジが効いていて、輪郭を丹念にそぎ落としたように見える。意図的に作られた人工物であることが一目でわかった。
しかも、1つだけではない。調査した範囲だけでも13基あって、100メートルにわたって等間隔に並んでいることがわかったのだ。まるで巨大な柵か、頑丈な建物の柱を埋めた跡が連なっているようにも見えるが、3万年前にそんなものが作られていたとは考えにくい。
「四角い穴が一列になっていることがわかった時は非常にびっくりしましたし、何か新しいものが見つかったという感動がありました」

発掘を担当している玉川文化財研究所の麻生順司さんは、興奮気味に語る。
一方、その形については「3万年前の道具といえば石器で、大人でも逆さまになって掘るのは難しい。四角い形にこだわりをもって作っている点も含めて謎です」と首をかしげた。
シカ用の落とし穴か
この穴はいったい何なのかー。

玉川文化財研究所は、動物を捕るための“落とし穴”ではないかと見ている。国内では過去にも、この時代の地層から落とし穴とみられる穴が見つかっている。

しかし、これまで確認されたものはすべて円く、四角いものはほかに例がない。形の違いについて、研究所の戸田哲也所長は、狙う獲物に応じて形を変えたという仮説を立てている。

2万年ほど後の縄文時代の遺跡からは、円と四角の両方の落とし穴が見つかっていて、それぞれ円はイノシシ用、四角はシカ用と推定されているからだ。
足が長く背が高いシカを確実に捕らえるには、四角い穴が適しているという。

戸田所長は、当時の人々が考えた落とし穴の仕組みを絶賛する。

「四角い落とし穴の地中の断面を見ると、深くなるに従って幅がすぼまっている。この狭い部分にシカの細い足が入り込んでしまうと動けなくなる。シカはうしろ足の力が強いが、前足が落ちてしまったらまず脱出できない。旧石器人の知恵も大したものです」
穴に獲物を追い込むには
では、落とし穴はなぜ一列に掘られたのか。

世界各地に伝わる猟の事例をもとに研究を進めている東京大学大学院の佐藤宏之教授は、シカを落とし穴に誘導する仕掛けがあったと推測する。
ヒントになったのは、今もロシアなどで行われている猟のスタイル。警戒心の強い動物が障害物を乗り越えようとしない習性を生かした方法で、枝などを並べて小さな柵を設け、この柵の切れ目に穴を掘って獲物を誘い込んだと推定する。

「おそらく、落とし穴と落とし穴の間を簡単な木や枝、草などでフェンスを作って結んでいるんだと思います。障害物を恐れたシカがフェンスを避けて通ることで、結果的に隙間に設けた落とし穴の上を通る。柵の痕跡は遺跡からは確認できませんが、現代の狩猟採集民族と似たような猟をしていたと考えられます」
また、佐藤さんは船久保遺跡で見つかった四角い穴が、谷筋に沿って列をなしている点にも注目。谷には水場があり、ここに集まる動物を狙った可能性があるという。そうであれば、動物の習性を熟知した人たちの手による、壮大な仕掛けが広がっていたことになる。
穴から見える当時の暮らし
佐藤さんは、今回の発見は、旧石器時代の人々の暮らしぶりに新たな見方を加えると指摘する。
獲物を追い求めて移動を続けるだけではなく、社会を形成しながら一時的にとどまって生活していた可能性があるというのだ。
佐藤さんによると、この時期に作られたまとまった形の落とし穴は、鹿児島県の種子島静岡県三島市沼津市、そしてこの三浦半島でしか見つかっていない。

3万年前は氷河期にあたり、平均気温が今よりも10度近く低いとされているが、これらの地域は黒潮の影響で比較的暖かく、食料となる植物が豊かだったと考えられるという。
木の実などの食べ物が安定して採れれば、その場所に一時的にでも住みつくことができ、落とし穴を掘って獲物がかかるのを待つだけの時間的なゆとりができる。

また、佐藤さんは、今回見つかったような大がかりな落とし穴を作るには大勢の人手が必要で、指揮する人の存在が必要だったとも推測する。

「これだけの大規模な落とし穴を作る場合は、一時的にでも100人規模の集団を作らなければいけないと思います。しかも落とし穴ですから、一定の期間を一緒に過ごさなければいけない。旧石器時代の段階にしては、人口密度が高かったのではないか。今回の発掘によって、当時の社会も少しイメージが変わるんじゃないかなと思っています」
たくましく生きた人々
今回見つかった穴については、実際にどのように使われていたのかを特定することは難しい。しかし、穴を現地で観察し、取材を進める中で強く感じたのは、旧石器時代の人たちのたくましさだった。原始的な環境の中で、獲物を捕らえるという行為が、自分や家族が生きていくための重要な営みだったことは想像に難くない。
単なる長方形の穴に埋もれていた、3万年前の知恵や情熱。考古学や民族学の研究成果をもとに「穴の謎」に迫ることで、その一端を感じ取ることができたように思う。
科学文化部記者
国枝拓
新聞記者を経て平成21年に入局。松山局を経て、平成26年から科学文化部で原子力分野を担当。3年間、主に福島第一原発事故の検証、廃炉の進捗状況などを取材し、平成29年から文化取材班へ移り、将棋・音楽・歴史・サブカルなど幅広い分野を担当。