平成の「敗北」なぜ 企業老いて成長できず  論説委員 西條 都夫

平成の「敗北」なぜ 企業老いて成長できず  論説委員 西條 都夫

核心
2019/4/22 2:00
4月末に経済同友会代表幹事を退く小林喜光・三菱ケミカルホールディングス会長は鋭い舌鋒(ぜっぽう)で知られる。2007年に同社の社長に就任した直後には「先輩は戦犯」と発言し、怒ったOBにねじ込まれる一幕があった。本来ならずっと昔に処理すべき不採算事業を温存してきた、上の世代の「不作為」に批判を突き付けたのだ。
19年の春の労使交渉では記者に聞かれて「(組合のこだわる)ベースアップは明治、大正の匂いがする。せめて昭和の匂いであってほしかった。平成も終わりなのに……」と述べた。労働市場の多様性が高まる中で、働く人の一部でしかない正社員の基本給のわずかな上昇に意味があるのか、という問いかけだ。
名門企業のトップを務めて経済団体の長に就任。経歴だけを見れば、小林氏はビジネス界の紛れもないエリートだが、本人は「異端」を自任する。大学院で"回り道"して就職したのは28歳の時。半袖シャツと赤いズボンで初出社し「非常識」と怒られた。
入社後も主流の石油化学ではなく、新興の情報電子の畑に飛び込む。「僕はずっと異端、反骨精神でやって来た。今でもそうだ」という。多少へそ曲がりでもある。三菱グループの一員ながら、私的な酒席では三菱系のキリンビールでなく「アサヒの『スーパードライ』やサッポロの『エビス』をよく飲む」。
そんな直言居士は、幕を閉じようとしている平成年間をずばり「敗北の時代」と呼ぶ。株式時価総額ランキングをみると、平成元年(1989年)には世界の上位20社のうち、NTTを筆頭に14社が日本企業だったが、今はゼロ。トヨタ自動車の41位が最高で、上位層は米国や中国のデジタル企業が占拠する。
マクロの経済指標でみても、89年には世界4位だった日本の1人当たり国内総生産GDP)は18年には26位まで下落した。私たち日本人はかつて世界に誇った相対的豊かさをゆっくりと、だが確実に失いつつあるのだ。
その責任者は誰で、原因は何か。よく言われるのは人口減とデフレだが、いずれも根本原因とは思えない。人口減がトータルの経済規模に負の影響を与えるのは事実だろうが、それは人間の力では乗り越えがたい宿命論的な制約ではない。例えば人口増加率が1%程度だった中国はつい最近まで2桁の経済成長を実現してきた。人口がたいして伸びない中でも、やり方次第で高成長は可能なのだ。
デフレについても「マイルドなデフレ下で経済が繁栄した例は歴史上ある」と、マクロ経済が専門の立正大学吉川洋学長は指摘する。代表例が19世紀のビクトリア女王統治下の英国だ。今の日本に似た「ダラダラとしたデフレ」が10年単位で続いたが、この時期に英国の産業や通商は飛躍し、フランスの沖合に浮かぶ島国が7つの海を支配する「大英帝国」に姿を変えた。
デフレや人口減が真犯人でないとすれば、何が停滞を招いたのか。小林会長の答えは極めてシンプル。「生産セクター、つまり企業の活力の衰えだ」という。日本企業がインパクトのある新製品や新サービスを生み出せなくなって、企業と経済の成長が止まり、日本の地盤沈下が進んだのだ。総じて言えば、昭和の時代に急成長した日本企業も徐々に年老いて、リスクを嫌がる保守的な組織になったということかもしれない。
それを数字で示すのが、企業セクターのカネ余りだ。内閣府の国民経済計算によると企業(非金融)の17年度の純貯蓄は33兆円弱にのぼり、9年連続で家計を上回る最大の純貯蓄主体になった。これが資本主義のあるべき姿だろうか。高度成長期は家計の貯蓄を銀行経由で企業が借りて、リスクを取って新事業や新設備に投資した。そんな成長サイクルが途絶して久しい。
小林会長自身にはこんな経験がある。他社に事業統合や買収を持ちかけ、交渉はいい線まで行くが、最後の最後で断られる。その際の相手方トップのセリフはいつも同じ。「有力OBの○○さんが反対で、説得できませんでした」――。当該事業の盛衰に今後の人生が左右される若い人の意見ならともかく、役目を終えた人の発言がなぜ重きをなすのか。これも企業活力を阻害する一因と考える。
「平成の隘路(あいろ)」から抜け出し、あと10日足らずで始まる令和を活力あふれる時代にするカギは、月並みだが若い世代の活躍だろう。とりわけ今後の成長の核になるデジタルやAI(人工知能)の領域で、優秀なアントレプレナーが層として台頭することが、日本経済再点火の欠かせぬ条件といえる。
たまたま同じ小林姓の阪急電鉄の創業者、小林一三(いちぞう)はたいへん才気あふれた人物だ。その生涯や人となりは鹿島茂氏の近著「小林一三」に詳しいが、ここでは別のことに注目したい。
阪急の事業のコアは鉄道で、鉄道自体は日本の発明ではなく、明治期の日本が英国から導入したものだ。一三の独創はその鉄道にとどまらず、沿線に分譲地をつくり、歌劇団をつくり、百貨店をつくることで、私鉄モデルと呼ばれる世界に例のない価値創造の形を編み出したことだ。
米国発のネットやデジタルの領域でも、日本独自の味付けで世界に通用する独創的なモデルをつくることは十分可能だろう。それが小林会長の考える、ほぼ唯一の日本の活路でもある。