“脂肪が減る薬”!?研究が前進した意外なきっかけ

“脂肪が減る薬”!?研究が前進した意外なきっかけ

「脂肪が減る薬」
そんな夢のような薬の実用化に向けて、研究が大きく前進したきっかけは「メスのマウス」でした。背景には、研究の現場で長い間続いてきた、ある慣習を打ち破ったことがあります。
メスのマウスが、いったいどのような役割を果たしたのでしょうか?

オスには効かない!?

“肥満を抑える” 注目の物質
肥満を抑える効果があるとされ、今、注目を集めている物質があります。その名は「オステオカルシン」。医薬品やサプリメントなどへの実用化が期待されていて、各国の研究者がしのぎを削っています。
九州大学大学院 溝上顕子准教授
この研究で、世界を1歩リードしたのが九州大学大学院の溝上顕子准教授です。きっかけはこれまで実験で使ってきたオスのマウスの代わりに、メスを使ったことでした。

「大学院に入ったとき、通常、実験ではオスを使うものだと習いました。ですが、自分自身も女性ですし、メスを排除するのはどうなんだろうという思いもあり、オスとメスの両方を実験に使ってみました」(溝上准教授)
なぜ、オスのマウスがよく使われてきたのでしょうか?

メスはホルモンバランスの変化の度合いが大きく、妊娠もするため、データがばらつくことがあります。一方、オスでは性の周期を考慮する必要がないため、安定したデータがとれ、手間もコストも抑えられます。

このため、研究者はオスを使う傾向が強いというのです。溝上さんの大学でも、オスが先になくなってしまうことが多いそうです。
そんな中、あえてメスのマウスを実験に使った溝上さん。オステオカルシンをマウスに投与したところ、メスの脂肪細胞が小さくなったのです。

一方、オスの脂肪細胞は大きくなりました。男性ホルモンが影響したものと考えられています。

「オスだけで研究していたら、『オステオカルシンは効果がない』、あるいは『悪さをするもの』と位置づけて、研究をやめていたかもしれません。他の研究でも、オスとメスで違いが出てくる可能性はあると思います。どちらかの性だけが不具合や不利益を被るというのは避けるべきで、しっかり検討して研究を進めていかないといけないと思います」(溝上准教授)

過去には女性に被害も

(事例1:睡眠薬
男女で、薬が体に与える影響が異なった事例がありました。アメリカのFDA=食品医薬品局は2013年、広く使われている睡眠薬の服用量を女性だけ半分にするよう求めました。いつまでも眠気がとれず、自動車を運転して事故を起こすなど、生活に支障が出るという訴えが女性から相次いだためです。

この薬が承認されたのは1992年のこと。およそ20年にわたって、女性が薬を過剰摂取してきたことになるとして、大きな衝撃をもって受け止められました。
FDAが分析したところ、体重などの違いではなく、男性と女性で薬の成分が体内から排出されるスピードが異なることがわかったといいます。

医学の研究では、たいていオスが動物実験に使われ、そうした環境で開発された薬の中には、結果的に女性の健康に影響が出るものも生まれてきたと指摘されています。

日本の現状はどうなっているのか。厚生労働省に取材をしたところ、日本では薬が発売される前には男女ともに適正な服用量を見極めていると話していました。
(事例2:自動車のシートベルト)
自動車の安全設計でも、女性が置き去りにされてきたとする報告があります。

バージニア大学などは2011年、交通事故で重傷を負う確率は、女性の方が男性よりも47%高いとする研究を発表しました。男性と女性では筋肉の組織や骨格に差があるほか、シートベルトやエアバッグなどの安全装置が男性を念頭に置いて設計されてきたためだとも指摘しています。

自動車の安全性のテストで使われるダミー人形は、もともとはアメリカ空軍が開発したものです。1949年に誕生したこのダミー人形は身長およそ180センチ。軍の安全技術が前提としていたのは男性でしたが、その後、ダミー人形が自動車の開発に使われていくようになったあとでも、その前提が残り続けたとも言われています。

ただ、メーカー各社は事故を分析し、改良を重ねてきました。今では女性はもちろん、妊婦にも安全なシートベルトなどの研究が進むようになっています。

研究の“最初から”性差を意識!

こうした事例を踏まえ、問題がわかってから改善するのではなく、研究開発の最初の段階から、性差を意識しようという動きが広がり始めています。

ジェンダード・イノベーションズ(性差研究に基づく技術革新)」と呼ばれる潮流です。

両方の性を意識することで、さまざまな問題に早い段階で気づき、すべての人のためになる技術革新が生まれることが期待されています。

すでに欧米やカナダでは、政府機関などが性差の分析を求めるようになっています。また韓国でも、アジアで初めてとなる専門の研究機関が、2016年に設立されました。
エリザベス・ポリッツアー博士
イギリスを拠点に、各国で「ジェンダード・イノベーションズ」の重要性を伝える活動を行っているエリザベス・ポリッツアー博士は、性差を意識することで科学の可能性が一層広がると訴えています。

「研究者が男性であれ女性であれ、研究対象がオスであれメスであれ、科学は中立ですばらしい結果を得るものだと考えられてきました。しかし、今、それは間違いだとわかってきました。性差の視点なくして、よい科学はありえません。ジェンダード・イノベーションズは新たな市場を生み出し、社会に寄り添った、よりよい技術革新をもたらします。日本にとっても“メイド・イン・ジャパン”ブランドの再生につながるでしょう」(ポリッツアー博士)

求められる“リケジョ”

今回の取材を始めたきっかけは、東京医科大学で明らかになった不正入試でした。どうして“リケジョ”、理工系の女性の力が必要なのか、説得力ある理由を探っていたところ、たどりついたのが「ジェンダード・イノベーションズ」でした。

科学は歴史的に男性中心だと言われています。ノーベル賞の自然科学系の3つの賞では、100年以上の歴史の中で、これまでに600人以上の受賞者がいますが、そのうち女性は、ことしの受賞者も含めて19人しかいないのです。

ただ、性差の視点さえもてば、研究者は男性中心でもいいのではという疑問をもつ人もいるかもしれません。しかし、ポリッツアー博士は、それだけでは足りないといいます。

「性差の視点と女性科学者の両方が必要です。男性と女性では考え方や問題解決の手法、リスクの取り方で違いがあります。研究室にはそうした多様性が不可欠です。女性がいなければ、科学で得られる知見は限られたものになってしまいます」(ポリッツアー博士)

残念ながら「ジェンダード・イノベーションズ」は、日本ではまだ広く知られていません。メスのマウスを使った溝上准教授も、実はこの潮流を知らないまま、いわば草の根で性差を意識した研究をしていました。

日本でも、研究開発の現場に女性が増え、多様な考えをもつ人たちが切磋琢磨していくことで、研究の質が高まり、ビジネスチャンスも広がっていくと感じます。
国際部記者
山口芳
平成20年入局。函館局・札幌局を経て、平成25年から国際部で主にヨーロッパ地域を担当。「#MeToo運動」や「アンコンシャスバイアス」など、ジェンダーをめぐる課題も継続的に取材中。