地下鉄で高濃度のPM2.5 なぜ?

STORY

地下鉄で高濃度のPM2.5 なぜ?

2018.10.26 : #環境
極めて小さい粒子で空気中を浮遊し、吸い込むと健康への影響が指摘されるPM2.5。慶應大学のグループがこのほど、地下鉄構内でPM2.5が高い濃度に及んでいるとの調査結果をまとめました。いったいなぜ地下鉄でPM2.5の濃度が高いのか。そして健康に問題はないのか。

国内初の実態調査行われる

PM2.5は、大気中を浮遊する大きさが1000分の2.5ミリ以下の極めて小さい粒子のことです。成分は金属や化学物質、有機物などさまざまで、火山灰など自然由来のもののほか、工場や自動車の排気ガスなど産業活動からも発生します。

経済発展を続ける中国では大気汚染が深刻化し、日本にも飛来したことなどで、社会的な関心が高まりました。
このPM2.5、極めて小さいことから吸い込むと肺の奥まで入り込み、ぜんそくや気管支炎、肺がんなど呼吸器の病気や不整脈など循環器の病気のリスクが相対的に高まるとされています。

このため日本では9年前(平成21年)に環境省が屋外の大気中の環境基準をつくり、監視が強化されてきました。

しかし、地下鉄や地下街、建物の屋内など、閉鎖空間の基準はなく、これまで実態がよくわかっていませんでした。

このため今回、慶應大学が中心となって、国内で初めてとなる地下鉄での本格的な調査を実施したのです。

明らかになった汚染

調査のリーダーは慶應大学の奥田知明准教授。これまでも大気中の汚染物質の計測や分析を数多く行ってきたエキスパートです。
奥田准教授らはことし7月17日、横浜市営地下鉄の協力を得て、駅のホームに計測装置を設置しました。始発前の午前5時から計測を開始し午後8時までPM2.5を測りました。

そして今月(10月)、詳細な調査結果がまとまりました。結果は奥田准教授の予想を超えるものでした。
始発電車が走り始めてからPM2.5の濃度は、ぐんぐん上昇、通勤ラッシュの午前9時から午前10時の1時間がピークでした。この時間の1立方メートルあたりの平均濃度はおよそ120マイクログラム、地上の同じ時間帯のおよそ5倍にのぼったのです。

濃度はその後、いったん下がりましたが、再び夜のラッシュで上昇傾向を示しました。

最終的にこの日、始発電車が走り始めた後の午前6時から午後8時までの14時間の平均濃度はおよそ80マイクログラム、この値は、環境省が定めた屋外の大気中の1日平均の基準35マイクログラムと比べるとおよそ2.3倍になります。地下鉄に高い濃度でPM2.5が存在していることが確認されたのです。

PM2.5の成分も判明

今回の調査ではPM2.5の成分も分析しました。するとPM2.5のほとんどが金属を含むものだったことがわかったのです。奥田准教授は屋外の大気中の計測ではあまりないことだと話します。
中でも突出して多かったのが鉄でした。濃度は地上のおよそ200倍にも達していました。続いて多かったのが銅、3番目がマンガンでした。

奥田准教授は調査を振り返り、「濃度が思ったよりも高いというのが正直な感想です。今回は1か所、1日だけの調査でしたが、もっとほかの駅や、ほかの地下鉄でも実態を調査するべきだと感じました」と話しました。

以前から心配の声も

明らかになった地下鉄の汚染。実は以前から駅構内で働く人たちの間から空気の汚れについて、心配の声があがっていました。
10年以上、都内の別の地下鉄の売店で働く後呂良子さんは、週5日ホームで過ごしています。後呂さんは毎日、売店に並べている商品をタオルで拭いていますが、1日たつと白い手袋とタオルが黒く汚れると言って、その日使ったものを見せてくれました。
手袋の指の部分とタオルの全面に黒い粉のようなものがついていました。

後呂さんは労働組合支部の委員長も務めていることから9年前に一度売店の運営会社に対して駅構内の粉じん調査を要望、会社側も調査に応じました。

その結果は「人体の健康被害は考えにくい」という回答でした。しかし調査をした時はPM2.5について屋外を対象にした国の基準もなく、回答の中ではPM2.5による健康影響は検討されていませんでした。

後呂さんは「商品の汚れは拭けば取れるけど、私たちは吸い込んでいるので、なんだか体の中にどんどん沈殿しているんじゃないかと不安になるんです。地下鉄を止めることはできませんから、空気の汚れについてその内容を把握できるようにしてほしい」と実態の解明を求めていきたいと話していました。

これについて売店を運営する会社にも取材をしました。

会社からは「平成21年の調査結果を踏まえると、駅構内の環境が健康に影響する可能性は低いと考えていますが、従業員から要望が来ることについては今後も会社として従業員の労働環境や健康管理に適切に対応していきたいと考えております」と回答がありました。

なぜ地下鉄でPM2.5?

ここで疑問がわいてきました。なぜ閉鎖空間の地下鉄で高い濃度のPM2.5が発生しているのか。

奥田准教授は原因を次のように分析しています。
まず電車がブレーキをかける際に車輪とレールがこすれます。このとき、わずかに車輪とレールは削れます。これが鉄を含んだPM2.5になります。

また、ブレーキの部品も摩擦で削れ、これもPM2.5になると考えられます。

このほか、電気をとるための、パンタグラフと架線も接触しています。走行中にわずかに削れここからは銅を含むPM2.5が発生しているのではないかと奥田准教授はみています。

PM2.5は、電車が通過するたびにトンネルの中で巻き上げられ、構内全体に広がるのです。地下鉄には換気装置などがついていますが、現状ではPM2.5を十分に取り除くことはできていないとみられます。

奥田准教授は発生原因については詳しく調べてみないとわからないが、まず特定することが対策につながると話していました。

今回の調査結果について横浜市営地下鉄を運行する横浜市交通局にも話を聞きました。

横浜市交通局では、日常的に送風機などでトンネルや駅構内の換気を行っているほか、トンネル内の清掃も定期的に行って粉じん対策をしているということです。

横浜市交通局は「まだ知見や研究が少ないので、今すぐ具体的な対策を講じるのは難しいが、今後の研究成果によっては対策を検討していかないといけないと考えている」とコメントしています。

健康への影響は?

気になるのが健康への影響です。

今回、計測された濃度について環境省の基準づくりにも関わりPM2.5の健康影響に詳しい京都大学の高野裕久教授に話を聞きました。
高野教授はまず、短時間しか滞在しない一般の利用客が過度に心配するレベルではないとしました。ただし、次の人には注意を促しました。

「濃度が高いので呼吸器や循環器に疾患のある人やアレルギーの人、そして、高齢者や子ども、また長く駅に滞在する人は、より注意をする必要があります」と。

そして、すぐとれる対策として、PM2.5用のマスクをつけることを勧めていました。

さらに調査結果の中で高野教授が着目したことがありました。それは成分に金属が多かった点です。

高野教授は「PM2.5の中でも金属の成分はより健康へ悪影響を及ぼすと指摘されています。地下鉄で金属のPM2.5が多く見つかったことが気になります。どんな影響があるのか、調べることが大切です」と話し、実態調査の必要性を強く訴えていました。

進む海外の地下鉄の対応

実は地下鉄のPM2.5の問題、海外では2000年代に入って関心が高まり、各国で調査と対策が始まっていました。
世界で最も古いイギリス・ロンドンの地下鉄では2003年に調査が行われ、最も高い駅では1立方メートルあたりの3日間の平均濃度がおよそ480マイクログラムとなるなど汚染が確認されました。

調査結果をまとめた報告書では駅員や一般利用客の肺への影響は小さいとする一方、PM2.5の成分の中の酸化鉄に毒性が確認されたとして、削減努力をすべきと指摘、こうした実態を踏まえ、ロンドン市長は去年、地下鉄の環境を改善するための行動計画を発表し、観測装置の設置や微粒子の吸着装置を使った除去などを行うとしました。

また、スペインのバルセロナでは2015年から2016年にかけ研究機関と地下鉄事業者が大規模な調査を実施、いくつかの駅で、WHO=世界保健機関ガイドラインと比べて高い数値が出たということです。
スペインの地下鉄 改善計画のHPより
この計測データは誰でもわかるようにホームページで公開されているほかPM2.5が発生しにくいブレーキ部品の開発などが提案されています。

このほか、スウェーデンストックホルムの地下鉄でもPM2.5が問題となり調査が行われ、2003年に出されたレポートでは高い濃度の汚染が報告されています。

国内各地の地下鉄は?

国内の地下鉄の事業者はどこまでPM2.5の実態を把握できているのだろうか。私は全国各地の主な地下鉄を取材しました。

東京メトロは駅構内で換気を行い外気を取り込んで、空気をきれいにする仕組みを設けているほか、トンネルや駅の粉じんを除去するために清掃も行っているということでした。しかし、PM2.5を含めた粉じんの定期的な計測はしていないとの回答でした。

福岡市地下鉄も比較的大きな浮遊粒子状物質については駅員が長時間滞在する駅務室で定期的に濃度を計測しているほか、換気や清掃などを行い、粉じん対策を進めているとのことでした。しかしPM2.5の濃度は把握していないとの答えでした。

名古屋市営地下鉄でも比較的大きな浮遊粒子状物質についてはホームや駅務室などで定期的に計測しているほか、構内の換気や清掃を行い粉じん対策をしていますが、PM2.5の濃度は把握していないとのことでした。

▼Osaka Metroも駅構内で比較的大きな浮遊粒子状物質の濃度は定期的に計測しているほか、換気や清掃を行って粉じん対策はしていますが、PM2.5の濃度は把握していないということでした。

この問題、どうするべき?

海外に比べて認識と対応が遅れている日本。国はどう考えているのか。

屋外の大気中の濃度の環境基準を定めた環境省では、地下鉄の濃度基準をつくる予定は現時点ではないということでした。

鉄道を管轄する国土交通省と労働衛生などの観点で基準をつくっている厚生労働省にも取材をしましたが、地下鉄の濃度の基準づくりの話は出ていないとのことでした。
このことについて慶應大学の奥田知明准教授は「地下鉄の空気の環境については以前から行政の責任の所在があいまいで今まで見過ごされてきた空間といえるんです」と話し、責任と担当する省庁を明確にすることが必要だと話していました。

今回大学の調査で明らかになった地下鉄のPM2.5の汚染の実態。まずは地下鉄の事業者や行政がPM2.5の実態を調査して、結果を広く知らせること。そのうえで基準や対策が必要であれば、速やかに議論を進めることが必要だと感じました。
科学文化部記者
古市悠
平成22年入局。水戸放送局時代は、つくば報道室で研究機関の取材をしました。大阪放送局では医療取材などを経験し平成29年から科学文化部文科省担当。