「吉田所長から深刻な声で電話」 細野証言の詳報
「吉田所長から深刻な声で電話」 細野証言の詳報
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140601002402_commL.jpgインタビューに答える細野豪志氏=2014年5月27日、東京都千代田区永田町2丁目、宮崎知己撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140601002433_commL.jpgインタビューに答える細野豪志氏=2014年5月27日、東京都千代田区永田町2丁目、木村英昭撮影
細野「思いだそうとしているんですが、いつかは正確には記憶が呼び起こせないんです。3月12日がかなり大変でしたもんね、あのときは私も連絡はとってないです。12日は武藤さん……。武黒さん、川俣さんか、が官邸に来ていた。基本的にはリエゾンで来てくれた2人を通じて情報を取るのが官邸のスタンス。12日夜から地下に入って、総理が朝、ヘリでいく前後を含めて、2人を通じて色んな情報を取っていました。ただ、非常に情報が入りにくい状況で、象徴的だったのは12日3時36分の水素爆発。事前に予測できなかっただけでなくて、それがあったという事象も含め官邸には報告もなかった。そこでかなり、情報の流通の遅さというか、なかなかこれは情報が入っていないと感じるようになったんです。その後のいずれかのタイミングで一度、電話で話しています。それは、総理からの指示もあったので、吉田所長と話をさせてくれないかと。その前提で、総理が吉田所長と会ったので『あの人は信頼できる』と。本当に必要な時は現場への確認が必要だと。それで、そこは一応つないでおいた方がいいかなという思いもあったので、12日から13日、どのタイミングか分からないが、連絡した。私の携帯の番号を知らせ、総理にも連絡が取れると、いざというときには、ということもあったので連絡をしたんだと思う」
細野「15日以降は、私は東電に行ったのでテレビ会議で常にリアルタイムで連絡が取れることになっていました。その前は、ちょっと記憶が定かじゃないですが、2回電話しているかも。何かで、どうしても聞かないといけないことがあって、連絡をしたことがあったことが1回、もしくは2回あった。いずれも私が自分でかけているが、逆に初めて電話があったのは14日の、ここが私もね……。2号機に水が入らなくなっている時ですね。あの時にガス欠だったことがありましたね。あの前に、吉田さんがそれを調書の中で述べているか知らないが、ここは正確に記憶してるので、それはここですね。炉心損傷が始まったのが14日の8時ごろですね。その時に電話があったんですね。そこは吉田所長がかなり深刻な声で電話をしてきていて、これはちょっと本当に厳しいかもしれないという趣旨の発言があって、私もそこは本当に最も深刻だと思った場面の一つです」
細野「私としては申し上げられることは、ちょっと手を探ってくれと。何かバックアップできることがあれば何でも言ってくれ、と。長く電話でしゃべっているような状況ではなかったので、何でもやるからと言って切った。その時に官邸で、なぜそうなったかそこも記憶は定かでないが、総理と2人になって、吉田所長は非常に気力も体力がある人だし、リーダーシップのある人だけど、その人がそう言っているということはものすごく深刻だと思うと、吉田所長の言葉をそのまま伝えたんです。執務室で。菅さんはだいたい、何事もすぐ反応する人なんですが、しばらく総理が黙っちゃったんですね。沈黙があり、極めて、最も深刻な場面の一つだったと思います。そうしましたら、たぶん10分後くらい、吉田さんから電話があって、大丈夫だと、ガス欠だということが分かり、申し訳ないという話。がんばれるという話でした」
細野「じゃなくて。水が途中までは入っていたわけですね。原発の中の注水ラインが、どういう経緯だったかな……。消火系のラインから入っていた。通常入れないラインで、注水のラインではないんですが、消火のラインが入らなくなり、外部からのラインに切り替えるのでやろうとして、それでまあもう万全を期していたはずなんですが入らなかった。なぜかというとガス欠だったと。後から聞いた話では、入れる練習をして、ポンプを何度も動かしていて、ガスを使い切っていたと後から聞きましたけど」
細野「今でも残ってるのかな。携帯を変えましたけどね。ドコモが、つながらないんですよ。『吉田1F所長』。かかってきたっていうことの重さを感じてましたね。その時、かかってきたのは初めて。事態が14日に、より深刻度が増していたのは分かっていて、13日が比較的、15日までの中でいうと新しい動きがなかった。かろうじてそれほどの量ではないけれど水が入っていて、爆発もなかったんですよね。だから、何とかその間に、例えば水素を抜く方法をかなり東電が必死に探っていましたし、官邸にも東芝の専門家が来て、保安院、原子力安全委員長なんかも来て、なんとか方法がないか、私は専門家じゃないので、とにかく徹底的に考えろということでやっていったんですね。14日になり、いよいよ2号機が危ないということになって、極めて深刻な状況になってきているというのは分かっていたんですが。私もずっと寝てない、14日まで。13日の記憶がほとんどない。起きていたんですが、覚えてないです。起きてはいたんだけど新しい事象がなかったからかも。13日は静か。12日は本当に大変で、14日も。ですから、そういう中で所長から電話がある重たさっていうのはものすごく分かっていました」
細野「相当の人が免震重要棟にはいたから、どうしてもザワザワとはするんですよね。吉田所長はまあ落ち着いておられましたけどね、ちょっと声がトーンが高いじゃないですか。ただ、非常に落ち着いておられたので、狼狽(ろうばい)した感じはしませんでした。割とゆっくり話されていて」
細野「ですね。『2号機に水が入らない、原因が分からない』と。原因が分からないけどポンプが作動しなくて水が入らない。2号機は極めて深刻だと。2号機の状態はですね。それは私も分かっていたので、その後の正確な表現は思い出せませんけど、受け止め方としては、厳しい状況だが、ここまで自分たちは頑張ってきたけれども、駄目かもしれないというニュアンスと私は受け止めた。わざわざ吉田所長が私に電話してきたことからしてもね。つまり、その時まで、厳しいが現場で作業できるという環境だったわけじゃないですか。そこで作業できないような状況になる可能性を所長は示唆したと、私はそう取りました。つまり完全に現場から撤退しなくてはならないと。たぶん吉田所長はその後、残っておられるし、撤退はしないという考え方だったと思いますが、まわりの作業員を含めて物理的に不可能になる状況を感じていたのだと思います。つまり放射線量が一定以上になると作業できませんよね。なので、ちょっと先の話で申し上げると、その時のリスクをまあ、たぶん東電も相当、会社として自覚していて、吉田所長もわかっていた。しかし、水が入ることでまだ頑張れるという吉田所長の判断だった。ただ東電はその認識がまだ残っていて、そのあとの電話で吉田所長がまだ頑張れると。清水社長はじめ、会社の方から撤退論の話が出た時、そこにニュアンスの違いがあるなあと感じた」
細野「1回目は菅総理にすぐ報告して。その電話があったときですね。1回目の電話、かかっているとき、記憶が定かではないんですが、たまたま総理と2人でいたかも。定かじゃない。菅総理に報告し、その後、吉田所長から2回目の電話まで総理と2人でいたんです。そのことはよく覚えているんです。1回目の電話をどう受けたのか記憶は定かではないんですが、10分後くらいの電話も総理に正確に伝えた。吉田所長は頑張れると言っていると。水もなんとか入ったし、現場の士気は衰えていないと言う話をしているんですよね」
細野「そうだ。私の方で確認したんですが、ようするに、がんばってやっていただけますねと、ここを頑張っていただかないといけないのでどうですか、みたいなことを聞いたんです。そうしたら、大丈夫だと。元の吉田さんに戻っていたというか、限られた時間しかしゃべっていませんけど、私のイメージする吉田所長に戻っていたので、大丈夫ではないかと」
細野「いやけっこう長かったですね。菅さんっていうのは沈黙っていうのはほとんどない人ですからね。私は、記憶の中で言うと、まあ、けっこう長いおつきあいになりますし、サシで話した機会はものすごい数ありますけど、あんまり記憶はありませんね。まあ何分か。基本的にその次の電話がかかってきて、ほとんど対応するという雰囲気ではなかったので、私はその期間は10分ぐらいだったと思うんですよね」
細野「そこで総理にすぐ指示を出すことを求めるのはちょっと酷ですよね。私の中ではあの時はすぐにはちょっと行動を起こせなかったんですけど、やっぱりそういうことが起こったときの本当に想定をしておかないと。どんどんどんどん状況が悪くなっているので、というのは私の中ですごくありましたね。なんで、まあその数日後に近藤委員長にお願いしてシミュレーションするんですけど」
細野「その間が短かったので、つまりその、入って、まだやれるというまでの時間が短かったので、そっちの情報を伝えた。大事なのは過去がどうだったのかというトレースよりは、それはある時期から重要になってくるのだが、どうしてもいろいろ問題があるとそっちに引っ張られるんです。こういう問題があるからどうだったんだとか、どこに責任があるんだとか、その場面にはほとんど意味がなくて、次、何ができるかとか、何をするべきか、ということの方が重要なので、あまり過去の経緯を説明することは、私はしないようにしていたんです。そのことで議論がそこに集中してしまうことが何回かあったので。むしろ、水が入ったので現場は頑張れると言っているということを、報告したと思います。それはたぶん枝野さんにも言ってるし、海江田大臣にも言ってますね。
細野「やっぱり東電の側が必死に、あれですよね、官邸の側に伝えようとしていた姿勢ですね、14日の夜中ですね。まあリエゾンにも武黒さんいるわけだし、川俣さんいるわけだし、通常ならそこで連絡を取ればいいですが、まあ清水社長が直接、こう、話そうとしていると。で、もうすでにちょっと電話で、撤退うんぬんという話が何人かに伝わっていたので。まあ、そこの受け止め方として、仮にそう話したとすると、吉田所長とは違うと。やっぱりいきなり聞いて総理としてどういう判断ができるかというのがあったので、私はそのとき、吉田所長の判断を尊重するべきだと思っていたので、総理にそのことは説明しました。『総理としてきちっと言わなければいけないんじゃないか』ということはやりとりしていたと思います。ただちょっと私もよく分からないのは、清水社長が来たときに、総理が、撤退はしないということと、東電に本部を作るということ、政府としてはそこに行く、私も行けという話、常駐しろという話は事前に聞いてなかったんだけど。撤退ない、東電に行く、私が行くというその三つが清水社長の前で出た。そこの判断までは私はコミットしていない」
細野「そうです。きちっと総理には判断してもらう必要があったので、いろんな人が聞いて、中途半端に伝えてもしょうがないなと。伝わってくるメッセージは分かっていたので、あえて私が取り次ぐ必要はないと思った。もちろん総理に判断してもらった方がよいと思ったんで、ただ最終的には社長がこちらに来るということだったんです」
細野「そうだ。思い出した。その前に、そうだ。思い出しました、総理が起きてきて、海江田大臣とか枝野官房長官とか、松本大臣もいたのか、それで藤井副長官が年齢のこともあったので官邸にいなかったが、藤井副長官も呼び戻して、私も入って、秘書官も入って、そこで撤退はあり得ないと、いうのを会議で決めた。そうでした。その上で総理がじゃあ今から社長を呼べという話になってきたんです」
細野「私も深刻な状況だというのは分かっていたので、吉田所長の意見はこうで、みなさん違うと言ったが、一方で、現場に残っている人の状況を考えると相当深刻なので、そこを例えば補佐官として『そういうふうにしてもらわなければ困る』と軽々しく言える状況じゃないとも思っていました。さっき、電話に出なかった理由は言いましたが、自分の中で、私がそれを判断できる人間じゃないし、そこまで強く言える自信がなかったっていう面はあったと思います」