ゲノム編集、サイボーグ… 科学で「進化」する人類

ゲノム編集、サイボーグ… 科学で「進化」する人類



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オーストラリアの先住民アボリジニは、寒暖の差が激しい砂漠の環境で、遺伝子の変異により体温調節の機能を発達させた。こうした適応に加え、今や文化と技術が人類の進化を促している。(Owen Freeman/National Geographic)

 スペインのバルセロナで、“サイボーグ”に会った。名前はニール・ハービソン。グレーのシャツと細身のパンツに黒いコートを羽織った姿は、地元のおしゃれな若者といった印象だ。ただし、一風変わった点がある。金髪頭から、黒いアンテナが延びているのだ。その体には、機械が組み込まれている。

 ハービソンは34歳。「1色覚」というまれな先天異常で、色をまったく認識できない。そんな彼の世界を変えたのが、黒いアンテナだ。後頭部から突き出て、頭上を通り、額の上あたりまで延びている。

 白黒の世界しか見えなくても不自由に感じたことはないと、彼は話す。「遠くの物もよく見えるし、色に気をとられないので、物の形を覚えるのは得意ですよ」。それでも、色彩のある世界がどんなものか、とても興味があったという。ハービソンは、10代後半にふと思いついた。色を音として識別できないだろうか、と。手作りの装置で試行錯誤を繰り返し、20代初めにようやく理解ある外科医を見つけて、頭部に装置を埋め込む手術を受けた。

■肉眼で見えない光もキャッチ
 アンテナの先端に付いた光ファイバーセンサーが、彼の視野に入る光の波長をとらえ、頭に埋め込まれたマイクロチップがそれを振動に変換して、後頭部に伝える。骨の振動が音となり、頭蓋骨がいわば第三の耳として機能する仕組みだ。この方法で彼は、私のブレザーの色を紺色だと当てた。そばにいた友人のムーン・リバズにアンテナを向けると、彼女のジャケットの色は黄色だと“見分けて”みせた。

 最も興味深いのは、アンテナがハービソンに与えた特殊な能力だ。たとえば彼は、照明に付いている赤外線の人感センサーが作動しているかどうかがわかる。プランターの花に目をやれば、蜜のありかを示す紫外線の模様が“見える”。アンテナは彼の障害を補うだけでなく、健常者に見えない光まで感知する能力を与えたのだ。

 だとすれば、ハービソンは未来を研究する人々がずっと思い描いてきた世界に一歩近づいた存在といえるかもしれない。未来学者のレイ・カーツワイルが著書『シンギュラリティは近い』で述べている「人間の潜在能力の著しい拡張」をいち早く示した実例と言ってもいい。

 「人類は生物としてのあらゆる限界を超越するだろう」と、カーツワイルは予言している。「自己の限界を超えようとすることこそが、人間であるということなのだ」

■「ゲノム編集」は未来を変えるか
 優秀な子孫をつくるためにヒトゲノム(人間の全遺伝情報)に手を加える試みには異論もあるだろう。しかし、CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)と呼ばれるゲノム編集技術を使えば、迅速かつ正確にDNAの特定の配列を切断し、望ましい配列と入れ替えることが可能になる。これまで何年もかかっていた遺伝子の改変を短時間でできるのだ。

 クリスパーは、ヒトゲノムの操作では既存の技術と比較にならないほど強力だ。体外受精を例にとろう。体外受精で優秀な子どもをつくるには、受精卵のなかから望ましい遺伝子をもつ卵を選ばなければならないが、優れた遺伝子をもつ受精卵が一つもなかったらお手上げだ。クリスパーを使えばこの問題は解決する。卵子精子のDNAに望ましい遺伝子を直接、確実に挿入できるからだ。

 クリスパーは体外受精よりもはるかに強力な技術で、乱用されるリスクもはるかに大きい。遺伝的に完璧な人種をつくるという発想が生まれるかもしれないのだ。一方で、クリスパーをヒトゲノムに用いることでもたらされる大きな恩恵も否定できない。難病の治療や予防などの分野では、大きな期待がかかっている。カリフォルニア州立大学モントレーベイ校の生命倫理学者リンダ・マクドナルド・グレンは、最低限この技術をどう利用すべきか「思慮深い議論」を重ねてほしいと訴える。

 私たちは今、人類の進化のあり方を根底的に変えようとしているのだろうか。今や進化とは、自然淘汰(自然選択)を通じて望ましい遺伝子がゆっくりと広まる自然の営みに加えて、人間が身体能力の拡張や科学技術の進歩を促すためにできるあらゆる試み――遺伝子と文化とテクノロジーの融合――をも意味しているのだろうか。だとすれば、そうした進化は人類をどこに連れていこうとしているのか。

(文 D・T・マックス、日経ナショナル ジオグラフィック社)