世界を変える「天才」たち 並外れた頭脳の秘密に迫る

世界を変える「天才」たち 並外れた頭脳の秘密に迫る

日経ナショナル ジオグラフィック社

2017/5/7

http://www.nikkei.com/content/pic/20170507/96958A9F889DE3E7E4E4E2EAE5E2E0E6E2E6E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO1566427024042017000000-PN1-12.jpg

数学者のテレンス・タオは、31歳だった2006年に数学界のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を受賞。天才と呼ばれることには抵抗があるようで、重要なのは「直観と文献、少しの好運に導かれた勤勉な姿勢」だと語る。(Paolo Woods/National Geographic)

 米国フィラデルフィアにあるムター博物館には、奇妙な医学標本が数多く展示されている。しかし、訪れた人々に圧倒的な畏敬の念を抱かせるのは、物理学者アルベルト・アインシュタインの脳の切片である。残された脳組織を見ても、驚異的な頭脳の謎を解き明かせるわけではない。それでも、いや、だからこそなおさら、人々はこの標本に魅せられるのだろう。

 アインシュタインは思考力だけを頼りに、一般相対性理論に基づいて、加速する巨大な物体が時空にさざ波を起こすことを予測した。これを実証するには、100年もの歳月と膨大な演算能力、大規模かつ高度な技術が必要だった。そうした重力波が実際に検出されたのは、2015年のことだ。

 アインシュタインのおかげで宇宙の謎を探る研究は大きく進展したが、彼のような並外れた頭脳の秘密は一向に解き明かされない。いったい何が、天才を生むのだろうか。

知能指数が高ければ天才か
 知能はしばしば、天才を判定する標準的な指標と見なされてきた。知能検査の開発に関わった米スタンフォード大学の心理学者ルイス・ターマンは、IQ(知能指数)が140以上であれば「天才か、それに近い」と仮定し、1920年代に米国カリフォルニア州の児童1500人余り(おおむねIQが140以上)を対象に追跡調査を開始。彼らがその後の人生でどの程度成功したかを調べた。

 調査対象者のなかには一流の科学者や政治家、医師、大学教授、音楽家になった人もいる。調査開始から40年後、彼らが発表した論文と著作は合計で何千点にもなり、取得した特許は350件、執筆した短編小説は約400編にのぼった。

 一方で、並外れた知能が必ずしも傑出した業績につながらないことも判明した。IQが非常に高いにもかかわらず、成功できなかった人も多い。逆にIQが140未満でも、長じて名をはせた人たちもいた。ノーベル物理学賞を受賞したルイス・アルバレズとウィリアム・ショックレーがその例だ。

 創造性も、知能検査では判定できないものだ。創造のプロセスは、脳の右半球と左半球、特に前頭前野のさまざまな部位から延びる神経回路網が同時に協調して働く活発な相互作用から生まれると、米ニューメキシコ大学の神経科学者レックス・ヤングは言う。

 ジャズの即興演奏は、この創造のプロセスを示す興味深い事例になる。米カリフォルニア大学サンフランシスコ校の聴覚の専門家チャールズ・リムは、MRI(磁気共鳴画像法)装置内で演奏できる小型のキーボードを開発し、6人のジャズピアニストを対象に実験を行った。その結果、即興演奏中の脳の活動には注目すべき特徴が見られたという。

自己表現にかかわる脳の内側の神経回路網が活発に働く一方で、注意の集中や自己監視にかかわる外側の神経回路網の活動は弱まったのだ。「まるで脳が、自分にダメ出しをする回路を断ち切ったかのようでした」とリムは言う。

■遺伝か? 育ちか?
 天才は生まれつきの資質か、それとも育てられるものなのかを探る研究者もいる。遺伝子研究の進歩で、今では人間の特徴を分子レベルで調べられるようになった。ここ数十年、知能や行動、さらには絶対音感のような特殊な資質に関わる遺伝子を特定する研究がさかんに行われている。モーツァルトからジャズ歌手エラ・フィッツジェラルドまで、卓越した音楽家には絶対音感をもつとされる人が多く、その能力が彼らの業績の一翼を担っていると考えられる。

 ただ、知能については研究結果の利用に倫理的な懸念がつきまとううえ、何千もの遺伝子が少しずつ関与している可能性もあり、遺伝子の特定は一筋縄ではいきそうにない。また、遺伝的な資質だけで偉業を達成できるわけではなく、個々の潜在能力を引き出し、育てなければ、天才は生まれない。その役目を果たすのが、社会や文化、家庭環境だ。

 現代屈指の数学者の一人といわれるテレンス・タオは、幼少の頃から言葉と数字の理解力がずばぬけていた。そんな彼のために、両親は豊かな教育環境を整えた。本やおもちゃやゲームを与え、自分で遊び、学べるようにしたことで独創性と問題解決能力が育ったと、父親のビリーは考えている。

幸いにもタオは、才能を伸ばしてくれる教育者にも恵まれ、7歳で高校の授業を受け、13歳で正式に大学生となり、21歳でカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授になった。「才能は重要だが、それをどう引き出し、育てるかがさらに大切だ」と、タオはブログに書いている。

 天才の源泉をひもとく旅に、終わりはないのかもしれない。謎は謎のままでいいという見方もある。そう、すべての謎が解けなくても、その過程で脳や遺伝子や思考方法についての理解が深まれば、少数の特殊な人だけでなく、誰もが能力を伸ばせるようになるだろう。旅の成果はそれで十分なのかもしれない。
(文 クローディア・カルブ、日経ナショナル ジオグラフィック社)