逃亡46年“最後のフライト”で見せた67歳過激派の素顔

逃亡46年“最後のフライト”で見せた67歳過激派の素顔 「指名手配に負けない」中核派が支援か

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警視庁に移送される大坂正明容疑者=7日午後、東京都千代田区(松本健吾撮影)

 半世紀近くに及ぶ逃避行の末に姿を現した男の胸には何が去来していたのか。昭和46年に東京・渋谷で学生らのデモ隊により警察官が殺害された渋谷暴動事件で、警視庁が殺人容疑などで逮捕した中核派活動家、大坂正明容疑者(67)。7日、勾留先の大阪府警大淀署から東京都千代田区の警視庁本部に空路で移送された。羽田空港へ向かう、およそ1時間のフライトで見せた逃亡活動家の素顔、そして、徐々に明らかになってきた逃亡生活の実態とは。

短く刈り込まれた白髪交じりの髪
 7日正午すぎ、1台のワゴン車が大淀署から滑り出してきた。
 報道陣のカメラが浴びせるフラッシュで浮かび上がったのは、眼鏡をかけた白髪交じりの老年の男。
 ゆったりとしたジャージーの上下に茶色の靴、髪は短く刈り込んでいた。

 車外の喧噪(けんそう)に動じることもなく、じっと前を見据えたその男こそ、警視庁公安部が46年にわたって追い続けてきた大坂容疑者その人だった。

 梅雨入りが発表されたこの日の大阪は曇天模様。
 降りしきる雨の中、ワゴン車は約30分後に大阪空港に到着した。車を出た大坂容疑者は捜査員に囲まれながら、ゆっくりとした足取りで空港内の警察施設へ。真一文字に結んだ口を開くことはなかった。

 再び姿を見せたのは、午後1時29分。警察官と思われる10人ほどが見守る厳戒態勢の中、大坂容疑者は大阪空港の搭乗ゲートから羽田空港行きの飛行機に乗り込んだ。最後部中央の席に座った大坂容疑者の周囲には複数の捜査員が陣取り、不測の事態に備えた。

 大坂容疑者の姿を捉えようとするマスコミ関係者らも多かったとみられ、機内は満席に近い状態。独特の緊張感が漂う中、午後2時15分、定刻より少し遅れて飛行機は滑走路を飛び立った。
黒縁眼鏡を外して機内でみせた素顔

 飛行機に乗り込んだ大坂容疑者は移送の際に掛けていた黒縁の眼鏡を外した。
 警視庁が公開していた手配写真と同じ素顔をさらしながら、右側の窓から東京の街並みを眺めたり、周囲を見回すようなしぐさをみせたり。

 約1時間のフライト中、言葉を発することはなかったが、その態度は意外なほど堂々としていた。機体の車輪が地上をとらえたのは午後3時11分。着陸を知らせるアナウンスが流れ、乗客が身支度のために席を立つ。座ったままの大坂容疑者は顔を上げ、にらみつけるような視線を宙に送っていた。

 羽田空港の搭乗口には、警視庁の関係者が数十人と報道陣約100人が大坂容疑者を待ち構えていた。
 「46年逃げた男はどんな変貌を遂げているのか」
 集まった報道陣の関心はその一点に集中していた。

 午後3時半すぎ、カメラの放列は、ゆっくりと飛行機から出てくる大坂容疑者に一斉にフラッシュを浴びせかけた。
 強烈なストロボ光の反射は、大坂容疑者の白髪が茶髪に染められているように写真に映るほどだ。
 まぶしそうに顔をしかめる大坂容疑者にテレビ局のリポーターが呼び掛ける。

 「亡くなった警察官にかける言葉は」「46年間、どこにいたんですか」
 しかし、大坂容疑者の固く閉ざされた口元が開かれることはついになかった。
「同僚の仇」追い詰めた警視庁

 46年もの歳月を費やして「同僚の仇」(警察幹部)を捕えた警視庁公安部。事件は一応の決着をみたが、まだ解明すべき点は残る。

 最大の謎は、大坂容疑者がどうやって警察当局の捜査の網の目をかわし続けたのかというものだ。
 捜査関係者によると、大坂容疑者は、事件から2年以内に千葉県市川市の活動家宅に短期間宿泊。公安部は、大坂容疑者がこの時期に複数の仲間の元を渡り歩いていたことも把握していたという。

 しかし、その後は生死も不明な状態が続き、捜査は暗礁に乗り上げていた。
 転機は、平成24年3月、東京都立川市のマンションから、大坂容疑者が北関東の病院で治療を受けようとしていたことを示す資料を発見したことだった。その4年後の28年1月には、東京都北区のマンションで、大坂容疑者の潜伏の形跡を発見。いずれも過激派「中核派」のアジトとみられ、中核派が組織的に大坂容疑者の逃亡を支援している実態が明らかになった。

 北区のアジトからは大坂容疑者のアルファベットのコードネームが書かれた「指名手配キャンペーンに負けない」との趣旨の文書も見つかっており、「捜査機関に足取りをつかまれないように、大坂容疑者に関する情報は全て暗号でやり取りされていた」(警視庁幹部)という。
地裁前で抗議活動、機関紙で「無実」

 公安部は一連の捜査で、今回、大坂容疑者とともに逮捕された中核派の非公然活動家の男(58)と行動をともにしていることをキャッチ。今年1月には、大阪府警が、この活動家の男が大坂容疑者の最後の潜伏場所となった広島市のマンション一室に入るのを確認した。

 捜査員がこの部屋の監視を続ける中で、活動家の男以外の男の存在を察知。粘り強い捜査の末にたどり着いたこの男こそが大坂容疑者だった。先の幹部は、「中核派の10人前後の活動家が警察当局の捜査を警戒しながら、主に2人ペアで大坂容疑者の逃走を支援していた」と指摘する。

 大坂容疑者の逃亡を支援したとみられる中核派は、協力団体とともに大坂容疑者が殺人容疑などで逮捕された当日の7日、東京地裁前で抗議活動を決行。機関紙「前進」で、「大坂同志は無実」と題する記事を掲載するなど、“後方支援”を続けているが、46年にわたる逃亡への関与の有無について明らかにしていない。
 ただ、歴史の波に埋もれかけた事件が、真相解明に向けて大きく動き出したことは間違いなさそうだ。

 【渋谷暴動事件】=昭和46年11月14日、米軍駐留を認めた沖縄返還協定に反対する学生らのデモ隊が暴徒化し、東京・渋谷の派出所や警戒中の機動隊員を火炎瓶や鉄パイプで襲撃。派遣されていた新潟県警中村恒雄警部補=当時(21)、2階級特進=が大やけどを負い死亡した。中核派活動家らが逮捕されたが、大坂正明容疑者は逃走。警察庁は昨年11月、有力な情報提供者に最高300万円を支払う公的懸賞金(捜査特別報奨金)の対象に指定した。

 【中核派】=過激派の極左集団。昭和32年設立の「日本トロツキスト連盟」に路線対立が生じ、38年に中核派革マル派に分裂した。「革命的共産主義者同盟全国委員会」が正式名で、東京都江戸川区の出版社「前進社」が本拠地。警察庁によると、構成員は渋谷暴動事件の46年に約8370人で、現在は約4700人。暴力での共産革命を目指し、内部にテロやゲリラを実行する非公然組織「革命軍」などがある。空港建設を巡る成田闘争などでもゲリラ事件を起こし、革マル派との闘争は双方に多数の死傷者が出ている。近年は労働運動を通じ組織拡大を進め、反原発などの市民運動にも参加する。