中華イノベーションの源泉 「緩さ」が拓く新・製造業 経営の視点

中華イノベーションの源泉 「緩さ」が拓く新・製造業
経営の視点 編集委員・太田泰彦

目覚めた直後の寝ぼけ眼で、歯ブラシがうまく握れないことがある。指先の動きはぎこちないけれど、視覚と脳の働きが必死にそれを補い、やがて動作が追いついてくる。
同じ理屈が機械にも当てはまる。部品の精度をミクロン単位まで極めなくても賢い人工知能(AI)があれば、ロボットや工作機械を正確に制御できる。
「製造業大国の日本とドイツが築き上げた技術体系は過去のものとなる」。中国広東省深圳に拠点を置くベンチャーキャピタリストの徐家斌氏は、ハードウエアとAIが接する領域に宝の山があると語る。
ベアリングや歯車などの精密部品は、熟練工の腕に製造を頼る面があった。だが人間は高齢化するし、コストもかかる。機械的な精密さで高品質を競うのは日独などに任せて、むしろAI開発に投資する方が新しい製造業の世界を開拓する早道かもしれない。
日独のメーカーに中国製造業の実力を聞けば、おそらく大半が「まだ道半ば」と言うだろう。職人技を尊び、何事にも几帳面(きちょうめん)な日独の目に中国の人や社会は緩くて「きちんとしていない」と映る。
一面ではその通りだが、その緩さの中に中華イノベーションの源泉があるのではないか。精度はそこそこで安価なものづくりは、中国企業のお手の物。AIなどのソフトは開発した後の製造コストはかからない。
2017年の中国の特許の出願件数は、10年前の5倍近い138万件に達し、AI関連でも米国を上回った。中国のAIが進歩し続ければ、ユルいけれど仕事はちゃんとする低価格な機械製品が、世界の市場にあふれるだろう。中国の弱点だった緩さが、逆に低コストという強みに化ける。
先端技術が中国に盗まれているとトランプ米大統領が怒っている。日独には、ものづくりでは中国に追いつかれないとの自負がなお根強い。とはいえ技術の進歩は一本道ではない。習近平(シー・ジンピン)政権が掲げる「中国製造2025」は、必ずしも日米欧への追随を意味しない。
AI開発の碼隆科技(マロン・テクノロジー)社は、博士号を持つ研究者が集まり14年に設立した。たとえば磁気共鳴画像装置(MRI)による脳疾患の診断システムが、深圳の病院で既に使われ始めている。
5~6人の医師が読影した診断結果と、AIが特定した腫瘍部位の画像は、ほぼ完全に一致。違うのは判定までにかかった時間だ。電気代だけで働くAIは1.725秒、高給の人間チームは6分だった。医療コストは劇的に下がった。
なぜ開発スピードがこれほど速いのか。同社の国際ビジネス担当に尋ねると、苦笑と答えが返ってきた。「だって、日本や米国では病院から患者のデータなどもらえないでしょう?」
中国では個人情報をいくらでも集められる。データは大きいほど価値が高まりAIの肥やしとなる。米国のシリコンバレーを含め、世界のAI技術者が深圳を新天地と見なして流れ込む理由も、ここにある。
デジタルと専制国家は、残念ながら、相性がよいのだ。対抗する手段は、まだ見当たらない。