生物はなぜ眠る 脳内のたんぱく質解析、正体に迫る

生物はなぜ眠る 脳内のたんぱく質解析、正体に迫る

コラム(テクノロジー)
科学&新技術
2018/12/1 6:30
人間は生きている時間の約3分の1は眠っているといわれる。一方で、不眠症など眠りに関わる不調に悩まされる人も多い。健康的な生活に欠かせず身近な存在にもかかわらず、睡眠は謎に包まれている。人はなぜ眠るのか、どんな仕組みで眠くなるのか。科学者はそんな疑問を解き明かそうと願い、新たな研究成果が相次いでいる。
「眠りの謎は大きく分けて2つある」。筑波大学で睡眠に関する研究プロジェクトを率いる柳沢正史教授はこう解説する。一つは「生物はなぜ眠らないといけないのか」で、もう一つは「どうやって眠りを制御しているのか」だ。
第一の謎は難問だ。動物にとって眠っている時間帯は無防備で生死に直結する問題といえる。しかしどんな動物も、眠り方に違いはあるが必ず眠る。起きていたときの肉体や神経を休めるため、学習した情報を整理、記憶するためなど様々な目的が唱えられているが、明快な答えは見つかっていない。
現時点では、昼と夜の周期がある地球で覚醒と睡眠の時間をもつ生物が進化してきた結果だ、と受け止めるしかない。確実に分かっていることは、眠らないと生物は死んでしまう。
第二の謎については最近の研究から多くの手がかりが出始めている。遺伝子やたんぱく質の機能を探り、睡眠との関係を調べられるようになった影響が大きい。柳沢教授らも2018年、眠気を催す脳内のたんぱく質の変化を初めて突き止め、話題を呼んだ。
この研究では、16年に約1万匹の中から見つけた遺伝子が突然変異したマウスを使った。眠っても眠っても眠気が取れない特徴があり、詳しく分析すると「Sik3」という遺伝子が変化していた。普通のマウスに比べこの遺伝子が活発に働いているという。
普通のマウスとよく眠るマウスを比べて、どんなたんぱく質が関わっているのかを調べ上げた。浮かび上がってきたたんぱく質は80種類あり、「リン酸化」という反応を起こしていた。普通のマウスは眠るとリン酸化したたんぱく質は元に戻り、動き回る。しかしよく眠るマウスは睡眠を取ってもたんぱく質はリン酸化したままで、眠い状態が続いた。
一連の遺伝子とたんぱく質は人間にも共通し同じように機能しているに違いない。柳沢教授は「眠気を催す物質の正体に初めて迫った。謎の解明に向け道筋がみえてきた」と話す。これらのたんぱく質がどのように連動して眠気と関わっているのかは、まだつかめていない。これからさらに詳しく調べていく考えだ。
眠りを制御する物質の探索には長い歴史があり、日本の研究者の貢献が大きい分野でもある。
世界で最初に睡眠物質の存在を示したのは愛知県立医学専門学校(現名古屋大学)の石森国臣博士だ。長時間睡眠を断ったイヌの脳脊髄液を他のイヌに注射すると、眠りが促されることを1909年に報告した。また京都大学早石修教授らが82年に発見した「プロスタグランジンD2」は眠りを誘発する物質として有名だ。
柳沢教授らは98年に「オレキシン」というホルモンを発見した。脳の視床下部という場所で作られているオレキシンは、眠りと覚醒のカギをにぎる重要な物質と考えられている。動物実験などを通してオレキシンの働く仕組みは分かってきた。オレキシンが作られ神経細胞を刺激すると、脳は最終的に覚醒の状態になる。逆にオレキシンの合成が抑えられると、眠る方向に傾く。まるでシーソーのように覚醒と睡眠を調節している。
過去に見つかった眠気を引き起こす物質と、新たに見つかった眠気状態を保つ物質との関係の解明も、これからの研究テーマだ。
オレキシンは医療現場にも恩恵をもたらした。オレキシンの働きを抑えて眠りを誘導する不眠症の治療薬が開発された。また突然眠り込んでしまう「ナルコレプシー」という睡眠障害にも関わり、治療薬の臨床試験が進んでいる。
一般的に適切な睡眠時間は6時間半から7時間半とされ、それより短い睡眠では死亡のリスクが高まるという調査報告がある。厚生労働省の14年の調査では国民の約5人に1人が「睡眠で休息がうまく取れていない」と感じている。睡眠の謎を解き明かす研究から、眠りの不調がもたらす健康障害を解消する方法が見つかる可能性も出てきた。
睡眠障害に詳しい日本大学の内山真教授は「原因の分からない睡眠障害は多い。睡眠の基礎研究は医療にとっても非常に有効だ」と指摘する。
(科学技術部 福井健人)